素晴らしい公演でした。
下野マエストロと鹿児島交響楽団が織り成す音楽は
それはそれは濃密でドラマティックで美しく魂が宿り
繊細に情景を映し出す照明の優美。
そこに登場人物ひとりひとりから発せられる呼吸とエネルギーと波長とが重なり、心が揺さぶられます。
例えば、
私がそれまで観てきた、蝶々さんの登場から結婚式の場面では
形式的且つ単一的で、ただ表面上で歌詞を連ねるだけの 唐突でサイボーグのような合唱だったり、
敢えて合唱をspookyにしたい演出なのかもしれないけれども 振り切れていなかったり
挿入された日本の音楽のすっとんきょうさが、日本文化を茶化してるかのように悪目立ちしていたり
オケと登場人物たちが調和していないなど……
物語の世界に入れさせてくれない演出に興醒めしていたものです。
加えて、 Hou! Cho-cho-san ! の合唱には何の呼吸も感じられず、ただの奇声で感情が全く伝わってこないことが多く、緊迫感のあるはずの場面が台無しでいつも可笑しくて笑ってしまうほど。
それらがこの度の舞台では 全く異なっていました。
蝶々さんをとりまく人々
合唱団の皆さんのひとりひとりに至るまで、個として、ちゃんと、そこに生きているのです。
その場にいるひとりひとりが、ちゃんと、在る。
その人々の人間模様と、一連のひと幕が鮮やかに描かれている。
(その中では神官の一場面がお客様の笑いを誘っていたりもし 😂 )
『その他大勢』が存在しない。
メインキャストのみならず、合唱団の皆さんのひとりひとりの 生き生きとした豊かな喜怒哀楽の表現、溢れ出す情緒豊な本当に素晴らしい音楽と照明。
全てがひとつになり 真に贅沢な空間でした。
だからこそ、
皆が蝶々さんを断絶するシーンが、切なく悲しく胸打つものになる。
意味のあるものになるのです。
くだんの、皆が蝶々さんを糺弾し立ち去る場面では、だだの『怒っている(風な) いわゆる 猿芝居』や全員一色の単調な怒りや謗りではなく
ひとりひとり様々な複雑な思いや感情が見てとれ、去る側と去られる側、両方の痛みが伝わり、とても切なく涙しました。
そして Hou! Cho-cho-san! の中に感じられる呼吸、歌声、そしてそれが遠退きこだまし、 残された蝶々さんの耳に心にまだ残っているかのような表現……本当に秀逸でした。
タイトルロールの髙橋絵理さんは いつもながら 歌唱、表情、目、身体…まさに全身全霊、
全て 内側から発せられる細やかな感情表現に圧巻です。
あの偽りのない眼差し。いったいどれほどのエネルギーを費やしてるのでしょう…
あどけなさの残る15歳の蝶々さんは本当に愛らしくて 思わず「可愛い……😍」と口から漏れてしまったほど。
それが、ピンカートンを待ちわび3年の月日が流れると 凛とした芯のある聡明な、目を見張るほどの美しい女性、蝶々夫人へと変化。
そしてクライマックス、絶望から 毅然と死へと歩む姿、歌声、その気高さに
うん、うん!!そう、そうだよね!! そういうことだよね! あなたは武家の娘なのだから……😭
と、私は涙しながら何度も大きく頷き…
そして
衝撃のラスト……
号泣でした。
この度の『蝶々夫人』は
演出の岩田さんの発案と構成のもと
一部、ブレーシャ公演のときに改訂されたものに
差し替えての特別版公演でした。
通常上演されている現行版は、その後のパリ公演のときに更に改訂されたものということで、
なるほど、それまで私が観てきたものは
全てパリ公演版だったわけです。
例えば、子供とシャープレスの前で
「芸者になんて戻りたくないわ!芸者に戻るくらいなら死ぬわ!死ぬわ!」と
易々と叫ぶという……
母親としてどうかしてると思うのと同時に、武家の娘が、それこそ誇りも威厳の欠片もなく そんなことを子供や人前でわめき散らす?!!
という違和感。
しかも大抵、半狂乱のように叫びまくって表現されていて、同情するどころか白けてしまうパリ版。
解説書や解釈書などを読むと、この歌を「死への覚悟」と書かれていることが多いのですが…
この歌こそ、蝶々夫人の人物像をおかしなことにしてしまった挙げ句、この物語をセンチメンタルなお涙頂戴の、チープなソープオペラ(昼ドラ)に成り下げてしまう改悪だと思うのです。
また、「子供の為に芸者に戻るくらいなら死んだほうがマシ」
と声高に叫んでおきながら
後々いくら愛しい坊やだのなんだのと言っても、鍍金。
子供への愛情も誇りも無く、あるのは自身を悲劇のヒロイン化して酔っている自己愛だけとしか感じることができず……
子供との別れに切なくなるどころか
「これは蝶々夫人の悲劇じゃなくて
こんな母親を持ったこの子供の悲劇よね」
という感想を抱かずにはいられない。
クリスチャンとなった彼女が キリスト教の戒律に背き、自死する大義名分とは…………?
岩田さんが構成し演出された 特別版『蝶々夫人』は
岩田さんの解釈と導きによって 、
そして、それを具現化してくれた皆さんによって、
私がずっと抱いていたそれらの歯痒さをすべて
取っ払ってくれました。
蝶は 「不死不滅」の象徴として、日本では長く、武士に好まれ家紋にも用いられています。
武家の出である彼女が、武家の人間としての誇りと魂を携え、我が子への愛と誇りを抱き
頑なまでに一筋の道を貫く姿にこそ、崇高なほどの悲劇があり、
武家の人間として自死を遂げるという『生きざま』に胸が掴まれ 苦しくなる。切なくなる。愛しいくなる。
そんな 武家魂、大和魂 の物語を観ることができて
ほんとうに幸せです。