
私は1980年生まれ、アメリカ出身で、長年金融業界に身を置いてきた。キャリアの大半はニューヨークで過ごし、効率、成果、スピードが評価軸となる世界で生きてきたと思う。三年前、日本市場に関わる業務をきっかけに来日し、勤務地は東京、居住地として選んだのが鎌倉だった。
正直に言えば、当初の鎌倉は「東京まで通勤可能で、海が近い落ち着いた街」という程度の認識だった。歴史都市としての知名度は理解していたが、自分の生活や価値観を変える場所になるとは考えていなかった。
実際に暮らし始めて感じたのは、鎌倉が観光地である以前に、明確な生活都市であるという事実だ。朝夕の駅前には通勤・通学の流れがあり、住宅地では日常のリズムが淡々と続いている。寺社や海が近くに存在していても、それは特別な演出ではなく、生活背景の一部として溶け込んでいる。

仕事は変わらず金融の世界にあり、判断スピードや責任の重さは日本に来ても変わらない。しかし、仕事が終わった後に街を歩くと、時間の質が違うと感じるようになった。夜の騒音が少なく、光も控えめで、自然と呼吸が深くなる。これは情緒的な表現ではなく、生活環境としての事実に近い。

日本の風俗や生活習慣についても、三年間で見え方は大きく変わった。形式やルールの多さに最初は戸惑いもあったが、それらは人と人との摩擦を最小限に抑えるための知恵でもある。鎌倉では特に、他者の生活領域に踏み込みすぎない距離感が保たれている。その距離が冷たさではなく、相互尊重として機能している点に、次第に安心感を覚えるようになった。
金融業界に身を置く人間として、私は長く「成果がすべて」という価値観で生きてきた。だが鎌倉での生活は、その前提に静かに疑問を投げかけてくる。成果を否定するわけではない。ただ、それだけでは測れない充足感が確かに存在する。朝の海沿いを歩く時間、季節ごとに変わる街の空気、何気ない挨拶の積み重ね。こうした要素が生活全体の質を底上げしている。
鎌倉で出会った女性たちについても、私は一つの傾向を感じている。前に出ることよりも、自分の生活をきちんと持っている人が多い。仕事、家族、自然との関わり方を含め、生活全体をどう成立させるかを重視しているように見える。それは決して理想化されたイメージではなく、日常会話や行動の中で自然に伝わってくるものだ。
そうした関係性の中で、私は一人の女性と出会い、時間をかけて理解し合うようになった。文化の違いは確かに存在するが、それを乗り越えるというより、違いを前提として調整していく感覚に近い。感情を過剰に表現することも、劇的な展開もない。ただ、安定した対話と信頼が積み重なっていった。

この三年間で、私の中で「成功」という言葉の意味は変化した。肩書や収入だけではなく、どこで、どのような時間を過ごしているかが、人生の満足度に大きく影響することを実感している。鎌倉はその気づきを与えてくれた場所だが、特別な理想郷というわけではない。あくまで、一つの選択肢として、静かに人の価値観を映し出す街なのだと思う。
もし、都会的な生活に違和感を覚え始めている人がいるなら、環境を変えることで見えてくるものがあるかもしれない。鎌倉は答えを与えてくれる場所ではない。ただ、問いを立て直すための余白を与えてくれる街だと、今の私は感じている。