あえて擁護のコメントをさせていただく。
彼と仕事をしたのは、1989年にフジテレビ系列でオンエアされた荻野目洋子主演のドラマ「こまらせないで!」だった。
このドラマで彼にはナレーションを担当してもらったのだが、文化放送のラジオDJを辞めテレビに進出して、「プロ野球ニュース」の雨で試合が中止になった際の穴埋めコーナーの「MLB情報」や「珍プレー好プレー」のナレーションで認知され始めた頃のことだった。
当時おいらはこのドラマのナレーション収録の一切を任されており、スケジューリングからブッキング、スタジオ収録での立会いなどを一人で行っていたのだが、収録の際の彼は非常に腰の低い、愛想のいい人だった。
「自分はラジオでの経験はあるけれど、テレビの世界では新人なので」ということで、ひと回り以上も年下のおいらにも常に敬語で接してくれた。
その腰の低さと愛想の良さでスタッフに気に入られ、多くの番組司会を担当することができたのだと思う。
彼と仕事をしたのはこのドラマの一度きりで、その後、人気が増すにつれて増長して態度がでかくなったのかもしれないが、あのでかい態度は演技で、実際の人柄の良さは変わっていないと思っている。
スタッフに好かれていなければ、あれほどの番組数は持てないはずだからだ。
確かに子育てには失敗したかもしれない。
しかし、あれだけ多忙な人なら、子育てにまで気を配ることができなかったのも仕方ないんじゃないかと思っている。
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20131025-1209077.html
彼と仕事をしたのは、1989年にフジテレビ系列でオンエアされた荻野目洋子主演のドラマ「こまらせないで!」だった。
このドラマで彼にはナレーションを担当してもらったのだが、文化放送のラジオDJを辞めテレビに進出して、「プロ野球ニュース」の雨で試合が中止になった際の穴埋めコーナーの「MLB情報」や「珍プレー好プレー」のナレーションで認知され始めた頃のことだった。
当時おいらはこのドラマのナレーション収録の一切を任されており、スケジューリングからブッキング、スタジオ収録での立会いなどを一人で行っていたのだが、収録の際の彼は非常に腰の低い、愛想のいい人だった。
「自分はラジオでの経験はあるけれど、テレビの世界では新人なので」ということで、ひと回り以上も年下のおいらにも常に敬語で接してくれた。
その腰の低さと愛想の良さでスタッフに気に入られ、多くの番組司会を担当することができたのだと思う。
彼と仕事をしたのはこのドラマの一度きりで、その後、人気が増すにつれて増長して態度がでかくなったのかもしれないが、あのでかい態度は演技で、実際の人柄の良さは変わっていないと思っている。
スタッフに好かれていなければ、あれほどの番組数は持てないはずだからだ。
確かに子育てには失敗したかもしれない。
しかし、あれだけ多忙な人なら、子育てにまで気を配ることができなかったのも仕方ないんじゃないかと思っている。
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20131025-1209077.html


