自宅のキッチンにあるレンジフードのスイッチが壊れてから、もう三年以上が経過しています。換気扇機能は生きているのですが、照明だけが点けると二度と消せない状態になってしまいました。分解して確認してみると、スイッチ内部のプラスチック部品が経年劣化で割れていました。
交換しようにも、ずいぶん昔のモデルで、そのメーカーはとっくの昔にレンジフード事業から撤退していました。当然、部品なんて手に入るわけがありません。換気扇自体は動くので、このためだけに高額なリフォームをするのももったいないでしょう。仕方がないので、充電式のLED電灯を買ってきて、手元を照らすのに代用していました。明るさは十分なのですが、数日おきに充電が必要で、正直、面倒だなと感じる日々でした。そのうち、その面倒さにも慣れてしまい、「まあ、仕方ないか」と、半ば諦めのような気持ちで過ごしていたのです。
 

壊れたものは潔く買い替える。メーカーがサポートを打ち切った古い製品は修理不能と見なす。専門家でも難しいなら、素人が手を出せるはずがない。
特に家電製品など、技術の進歩が著しい分野では、古いものを修理して使い続けるよりも、最新モデルに買い替える方が機能的にもコスト的にも合理的だ、とされる風潮があります。時間や労力をかけて修理を試みるよりも、スパッと新しいものに切り替える方が、多くの人にとって「正しい」選択肢であり、「仕方ない」状況を受け入れる方が楽な道なのかもしれません。僕も、このレンジフードに関しては、まさにその「常識」に囚われて、「仕方ない」と簡単に片づけてしまっていたようです。
 

そんな「仕方ない」が当たり前になっていた僕の心に、ある日突然、小さな波紋が広がりました。キッカケは、たまたま観た台湾映画です。主人公の家族たちが暮らす、アパートの台所。そこに映し出されていたのが、なんと僕の家のレンジフードと全く同じデザインのものだったのです。日本ではとっくに姿を消したはずのモデルが、彼の地ではいまだ現役で、しかもすごく綺麗に使われている。その映像を見た瞬間、「え、もしかして、まだなんとかなるんじゃ…?」という思いが、長い間沈んでいた僕の諦めの気持ちを揺り起こしました。
改めて部品を探し始めたのですが、やはりメーカー正規のルートは閉ざされています。部品を供給していた会社も見つけましたが、個人への販売はしていないようです。再び途方に暮れそうになりながら、住宅設備部品を手広く販売しているサイトを何気なく眺めていました。すると、僕が探しているスイッチ部品と、形状が驚くほど似ている部品を見つけたのです。
 

あくまで「似ている」だけで、メーカーも違うし、サイズや仕様が合う保証は全くありません。それでも何かに引きつけられるように、その部品に関する情報を数日かけて徹底的に深堀りしてみました。
そしてついに、探し求めていた貴重な情報、まさに光となる証言コメントを発見したのです。それは、僕と同じレンジフードを使っていた人が、同じようにスイッチが壊れ、この「似ている」部品を取り寄せたところ、加工なしでピッタリ合った、という内容でした。
「いける!」確信した僕は、すぐにその部品を取り寄せて取り付けました。結果は大成功です。換気扇と照明のボタン配置は従来とは逆になりましたが、照明は問題なく点灯・消灯するようになりました。まさに、探求の末に辿り着いたシンデレラフィットです。
長年「仕方ない」と諦めていたことが、「まだなんとかなるかも」という小さな希望を発端に、本当に解決できたことで、しばらく味わうことのなかった感動を覚えました。同時に、身の回りにある「仕方ないこと」も、実は「まだなんとかなること」なのではないかと強く感じたのです。常識や諦め癖にとらわれず、少し視点を変えて粘り強く探求すれば、変化を呼び起こせる。この経験は、あらゆる課題解決にもきっと通じるはずです。
とりあえず周辺の「仕方ない」リストを見直して、「仕方ない」と「まだなんとかなる」を仕分けしてみます。

 

新たな項目、「なんとかなるかもしれないけど、別にそのままでも」が登場しました。