母親の逝去から早いもので3ヶ月が経過しました。

 

7/16(金)に関東は梅雨明け、本来大好きな真夏なのですが

今年も新型コロナの影響で遠出はできず、近隣近所をウロウロ

と言った感じです。

 

なので備忘録的に5月、6月、7月・・

私の出来事と言うか?思い出を記録に残したいと思います。

 

4/16(金)母親逝去に伴い介護は卒業したのですが、自宅の

遺品整理(断捨離)が、ほぼ終了したのが6/23(水)で最後は

業者にお願いし18万円くらい支払いました。

 

最初の見積もりが約30万円でしたので、盛りを減らして18万円

になったのですが、今も亡き両親の布団や一度も使用していない

食器類が自宅に残っています。

 

冬場のバザーに妹にお願いして再利用?と考えています。

 

近所の神社寺院に参拝を欠かさず・・

 

 

 

写真上は布多天神社での茅の輪くぐり

半年の汚れを落とす。

 

写真(下)は布多天神社に隣接する大正寺の

お釈迦様に毎回、小さく合掌しています。

 

 

自宅の遺品整理をしていたら、天保通宝や寛永通宝が

出てきました。

 

これは親父の遺品。

 

 

 

母親が残してくれた糠味噌

緩くなったので、いり糠買ってきて、唐辛子

ニンニク、ショウガを混ぜてリフレッシュさせ

ました。

 

私がもの心ついた3歳くらい?の時から

この糠味噌存在してましたので、恐らく

60年以上母親が手入れしてくれた糠味噌と

思料しています。

 

 

母親から教わった梅干しの作り方

大きい梅より小梅が好きなんでスーパーから

買ってきて、ひと瓶漬けました。

 

 

 

植木屋の息子の私ですが、植木屋修行から挫折

してしまい演劇やってたのですが、演劇からも挫折

中途半端なことしてた若い時の失敗談があります。

 

なので、植木の手入れはできない私ですが、職人

さんを頼んで我が家の小さな庭が林状態になって

ましたのでサッパリと剪定、抜根、草むしりして

もらいました。

 

写真上が手入れ前、写真下が手入れ後

母親が鉢類をいっぱい残してくれてました。

 

7/14(水)に庭の手入れ完了。

 

お値段、約10万円。

 

今回のブログ記事での写真は以上ですかね。

 

自宅の遺品整理(布団と食器処分残すのみ)

マンションの庭の手入れ終了。

 

あとは行政手続き中で今、税理士さんにお願いして

精査中で、行政手続き完了すれば・・

 

介護から始まった「縛り」から開放されます。

 

新型コロナワクチン接種予約完了も接種当日の朝

体調不良(頭痛)一旦キャンセル。

 

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母親の新盆でしたので、7/13(火)菩提寺参拝予定も

この日も体調不良(頭痛)でしたが・・

後日知り得ましたが、母親の葬儀を執り行ってくれた

菩提寺の住職、49日法要も執り行ってくれたのが

5月でしたが、7/13(火)急逝(遷化)されました。

 

7/13(火)の体調不良は虫の知らせ?だったのかな??

今思うと、6月に菩提寺に両親の墓参りに行った時に

住職と会話したのですが・・

 

お母さんの具合どうですか?と言われた。

 

私は驚きました。

 

4/20(火)に葬儀、5月に49日法要をして頂いたのに

半月前に49日法要やって頂いたのですが・・

と住職の申し上げましたが、住職・・

あぁ・・ そうでしたと・・

 

死因は、くも膜下出血だったらしく・・

私は当時、認知症かな?と推測したのですが

ここからも私の推測ですが、くも膜下出血と聞いた

途端、頭の中のくも膜に瘤ができて、記憶を司る

海馬が圧迫されてたのかな?と解釈すると

辻褄が合いますが、あくまでも推測なので。

 

住職にはお世話になりました。

 

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緊急事態宣言中の東京、昨日7/27(火)は東京2848人

感染者数。

 

暫くは私も近所のみの行動範囲で都心部や遠方には

行かないつもりですが、昨年だと母親が介護施設に

いましたが、今は自宅で一人、それも独身ですから

人と触れる機会はなく、妹は妹で7月上旬に左足骨折で

今も松葉杖状態。

 

母親も左足骨折、ADL低下で免疫機能落ちましたが

ただ、母親は骨粗しょう症でしたから、妹との骨の状態

違いますが、左足骨折は共通しているので何の因果か?

色々先入観覚えます。

 

 

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こういう動画を観ますと羨ましいと感じます。

 

私も庭に小さな池か小川を作ってサワガニなどに

住み付いて欲しいという妄想。

 

40年以上前に庭師の親父と2人で浅草の某お寺の

庭で池を作りました。

 

池用の大きな石をトラックで調布から浅草まで運び

滑車で釣り上げて下ろし池に据える

 

これが凄い重労働で、当時筋肉質になってしまった

私です。(今は筋肉はありません)

 

なので、こういう小川みたいなもの作りたいですが

調布の自宅はマンションであり、小庭占有してますが

庭は借りているんで毎月の管理費から加算され請求

振り替えられています。

 

東京では無理で、じゃぁ、田舎に移転し不動産を購入すれば

できないこともないのですが、田舎一人くらしは不安ですね。

 

調布居住歴50有余年

 

生活インフラ、人間関係、調布のみならず近隣の府中

稲城、三鷹、狛江は隅々まで知ってるし、菩提寺が千歳烏山

ですから、田舎に引っ越すといっても未知の世界です。

 

ただ、この9月よりマンション管理費(修繕費)が値上げされ

年間5万円強の値上げだし固定資産税併せて、12ヶ月で

管理費合算で割ると、賃貸で2DKくらいの家賃並みの数字に

なります。

 

今は慌てず、焦らず引っ越すつもりは有りませんが、

頭の片隅に入れておいて、目先のことを熟してゆくしか

ないと考えています。

 

多分、この先知り合う人間関係が影響してくると思いますが

このアラカンと言う年齢になると、若い時と違い警戒心が強い

若い時は金銭的な大失敗が2回ありますし、その自分の不味い

やり方で大動脈解離までになって一時期生命の危険まで

危ぶまれました。

 

それとこの夏は縛りから間もなく開放されるので、休みますが

ずっと無職のままで居る訳にも行かず、身内や友達と相談しながら

友達のコネでパートで良いので職に就くか?私自身の課題が

山積しています。

 

今日は備忘録として長文になりました。

 

一応、アウトプットしたかったので記録に残します。 (*^_^*)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自身の小学生時代の思い出などを記してましたが

 

先月(4月)はバタバタしてました。

 

4月を回顧致し、備忘録として記事に残します。

 

4月の始まりは・・(4/1)

 

 

JR国立駅から1,2キロ(大学通り)を下り

 

桜の花見見物してました。

 

 

翌4/2は稲城大橋上(府中市)より

 

多摩川沿いの咲く桜を堪能

 

 

 

4/3 よみうりランド

 

ところが帰り際

 

肉離れを人生初体験してしまいました

 

 

 

現在は完治してますが・・

 

捻挫の経験は有りましたが

 

肉離れは相当辛かったですね

 

 

4/5に神棚を設置しました

 

ここからが4月のドタバタの始まり

 

4/16はバーミヤンでランチ

 

私のスマホに14時14分施設長から電話

 

母親の息が止まりました

 

どうしますか?

 

救急搬送しますか?

 

私は救急搬送してくださいと回答

 

この時点では息が止まっただけの状況判断

 

タクシーに乗車し母親が救急搬送された病院の

 

医師とスマホで会話

 

医師:救急車に乗車された時点で50分以上

 

心臓停止、しかし救急車内で心臓が蘇生

 

されど5分も心臓が停止すると脳のダメージが

 

大きく、それが50分以上停止してた訳であり

 

蘇生させても元の母親には戻らず植物人間

 

状態になってしまうと医師より説明を受ける

 

この時点で自然に心臓が停止した時点で

 

蘇生(心臓マッサージなど)はしないと伝える

 

そして、15時30分頃に救急搬送先の病院に

 

到着し、ストレッチャーに乗る母親を部屋の外から

 

目の当たりにするが、PCR検査結果が出るまで

 

近くに行けず、PCR陰性確認後、母親の側に行く

 

しかし、既に意識はなく人工呼吸器装着状態

 

最後に母親の面前に話しかけ、何を母親に言ったか?

 

今は失念してますが、感謝の言葉を述べたと思います。

 

16時40分に心電図モニターのアラームが鳴り、

 

モニターの波形は水平(フラット)になり・・

 

16時45分に医師による死亡宣告

 

これより、救急搬送先病院の医師より説明があり

 

救急車に乗車する前に心臓が停止していたので

 

取り敢えず「異常死」として警察に報告との由

 

その後、警察の方が見えられ施設と連絡を取り合う

 

状況にもよりますが、事件性の有無の可能性があると

 

仮にですが、死亡解剖や私たち家族の預金通帳など

 

調べられる(あくまでも状況によります)

 

ただ、施設との入居時の契約で主治医(施設の往診医)

 

との契約で死亡診断書を書いてくれる契約だったことを

 

後刻知り、警察の方も遺体に外傷の有無を確認した上で

 

帰られました。

 

病院で亡くなられた場合は、医師が死亡診断書を書いて

 

くれますが、自宅だとか

 

救急車内(救急隊は医師ではないので)

 

この場合、異常死となり警察が介入する

 

昔、何かの本で読んだ記憶を蘇り

 

自宅で何かあった場合(状況判断必要ですが)

 

私の例は、高齢者で母親は胆嚢癌や肺癌腫瘍

 

先が無いことを把握、及び

 

高齢者なので容体急変をいつでも有り得ると

 

覚悟してた状況ですので、本来は救急隊ではなく

 

主治医を呼ぶのが正解と結果論的に思いました

 

まぁ、この判断は・・

 

とっさ時に冷静に判断するのは難しいし

 

つい救急車を呼ぶ方が安心と考えてしまいますが

 

あくまでも私と高齢の母親(末期癌)の例ですので

 

参考程度に理解頂ければと思います。

 

全ての方に当てはまることではないです。

 

ただ、万一・・ 死亡解剖されたら

 

自分の親ですからね

 

どういう気持ちになるか!?

 

 

葬儀も無事終了

 

我が家の断捨離整理が始まりました

 

 

 

親父が生前聴いていたカセットテープ類

 

親父と母親の靴類の断捨離

 

 

そしたら十手みたいなものが出てきました

 

 

府中街道沿いに在る、お地蔵さま

 

母親の施設に面会に行く度

 

小さく手を合わせ(合掌)ました

 

新型コロナの影響で2週間に1度の面会でしたが

 

 

母親関連の行政手続きも開始

 

未支給年金請求(手続きは要予約)

 

これも新型コロナの影響で対応できる職員が

 

少ないので訪問日時を予約しないと今は駄目

 

その他、準確定申告と相続関連(既に司法書士介入)

 

月が変わり5/1

 

 

母親が最後にお世話になった病院へ

 

医療費を支払いに来院

 

最近は10キロから12キロ痩せました

 

母親永眠後1度アルコール飲酒しましたが

 

以降は・・

 

 

ノンアルコール

 

1ヶ月前の桜や、よみうりランド来園

 

肉離れなど

 

もう遠い昔に思える感覚です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は、お墓参りに行くつもりも強風のため、行くのを延期しました。

 

理由は、風が強い時は、お寺さんで線香に火を付けるのを禁止

 

されているためです。

 

なので、今日も私の歴史(自分史)の中で「小学生時代」に触れて

 

みようかと思います。

 

写真につきましては、電車、切符などとGメン75に関連したものはネットより

 

小学校や階段の写真は私が撮影したオリジナル写真です。

 

小学校1年生の時

 

 

小学校1年(昭和45年・1970年)私が初めて

 

異性と言うものを感じた最初の切っ掛けでした。

 

担任の女性先生が綺麗(美人)やった。

 

失礼しました。

 

(備忘録でもありますので記事に残します)

 

この頃から食べ物の好き嫌いがハッキリしてきて

 

クリームシチューとコンニャクが苦手になりました。

 

小学校2年の時に大学卒業したばかりの

 

男の担任の先生に無理矢理

 

コンニャクを食べさせられ、

 

尚更コンニャクが嫌いに

 

先生の思いは、コンニャク嫌いを直させたい思い

 

だったと思いますが、逆効果。

 

小学校3年生の時は定年間近の男の先生でしたが

 

今思うと変わっていた先生でしたが面白かった

 

例としてあげれば、授業中に黒板に「私は良い先生ですよ!」

 

書いて

 

自分自慢をしたり・・

 

男性児童を笑わせるのが得意でした。

 

 

多分、大正生まれで戦争に行かれた世代ですから

 

今の教員とは価値観、時代背景が違います。

 

あと、親父ギャグ系話題とか多かったと記憶してますが

 

まともなことも言ってたと思いますが、

 

私の記憶に残ってないですね。

 

小学校4年、5年と2年連続は同じ先生で

 

こちらの先生も大学卒業したばかりで

 

教員免許とられたばかり

 

学年全体では私は2番目、クラスでは1番背が高く

 

しかし、席替えで一番前の席に変わり、黒板下に

 

日本史の歴史年表を貼り出す

 

私は勉強は苦手で国語も算数も体育も通信簿は

 

5点満点の0点から1点

 

ところが、先生の授業を聴いていない私は最初の頃は

 

無の胸中?だったかは失念しましたが歴史年表が何気なく

 

読んでいると、いつの間にか倭の国、邪馬台国から近代史

 

佐藤栄作元総理までの時代年表丸暗記できて

 

小学校5年のテストで国語、算数は5点から10点でしたが

 

社会(歴史)は95点から100点と、日本史は、やる気満々

 

(注)当時は小学時代世界史は授業に出ないので日本史のみ

 

この辺りから地元の図書館へ借り出しに行き、織田信長、

 

豊臣秀吉、徳川家康と安土桃山時代から江戸時代初期にかけて

 

人物史から入り、1冊の本を1日から1日半で読み終わり

 

更に同じ本を読み返す

 

なので、織田、豊臣政権、徳川幕府の初期は

 

非常に当時詳しくなりました。

 

ここで思ったことは、脳で記憶しているんだろうけれど

 

信長や秀吉、家康の質問が私に来ると自然と口が開く

 

体全体で覚えてる感覚でした。

 

 

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他に小学生時代に夢中になったこと

 

当時の夢は地元、京王線の電車の運転手、車掌になりたかったこと

 

当時は特急、急行、快速、普通(通勤急行、通勤快速)といった感じで

 

よく電車に乗って、調布駅((または西調布駅)起点とし府中、京王八王子

 

高尾山口、または上り方向新宿までの電車によく乗りました。

 

なので今と違い、アナログ時代ですから車掌のアナウンスも録音された

 

ものであhなく、その都度車掌さんが音声でアナウンスし個性ありました。

 

また駅のプラットホームでもアナウンスを参考にして

 

昭和48年・昭和49年頃(1973年・1974年頃)ですと、調布駅のアナウンスと

 

府中駅の男性アナウンスの個性(違い)を研究

 

調布駅のアナウンスは案外、格好良いアナウンサーみたいな声で

 

府中駅のアナウンスは個性が強すぎて、フチュウーフチューです

 

文字起こしするとこんな感じで、2回目のフチューですというアナウンスを

 

強調されてました。

 

昔の京王線は京王帝都電鉄と言い

 

(現在は京王電鉄)

 

ネットより拝借しましたが、分厚いボール紙

 

西調布→新宿まで 大人70円(小人35円)そう

 

5円玉使えたんですよ。

 

昭和45年(1970年)西調布駅は窓口で駅員さんに新宿まで

 

大人1枚 子供1枚と口頭で・・ 調布駅は既に自販券売機でしたが

 

5円玉使えて、お釣りも5円玉出て来た記憶あります。

 

 

写真は白黒で電車の塗装は白と思いますが、緑色の塗装の

 

この電車に乗車した記憶あります。

 

電車内は独特な香ばしい?匂いがして、

 

扇風機がありました。

 

私の小学生時代は・・

 

5000系

2000系

 

そして6000系

 

 

昭和48年(1973年)当時ですと、初めて特急電車に6000系が

 

採用されて、それ以前は6000系の新車両があるので

 

急行では6000系で特急は5000系のみの使用でした。

 

そして、母親の実家が千葉県安房郡天津小湊町

(現・千葉県鴨川市)

 

ですので国鉄(現・JR東日本)で新宿発の安房鴨川行き

 

12時52分発の電車に乗って

 

特に昭和47年8月2日

 

親戚の1歳上の女性

(当時小学5年で早生まれで学年は2つ上も年齢は1歳上)

 

同じ歳の親戚男性(昭和38年生まれで私より1ヶ月遅い生まれ)

 

3人で・・

 

 

この電車に乗って安房小湊駅で下車しタクシーで

 

天津神明神社前まで(当時の初乗りタクシー運賃180円)

 

そしたら、神明神社バス停前で祖父が迎えにきてました。

 

最近は安房鴨川駅行きは東京駅発着が大いですが

 

当時は新宿発が多く、新宿の次は錦糸町駅、千葉駅の

 

停車順番。

 

違う路線ですと大網駅から内房線を経由して安房鴨川という路線も

 

ありました

 

 

ネットより拝借写真ですが、安房小湊駅も昭和50年代

 

後半までは、こういう切符使用してた記憶があります。

 

 

私の母校(小学校)

 

 

 

現在、調布市立第三小学校から第五中学校方面へ行く階段

 

ここは、昭和48年(1973年)開通

 

以前はこの付近、自衛隊の第七機動隊がありました

(現在は府中市に移転)

 

階段が整備される前は、あぜ道クネクネで不安定な道

 

ただ、当時はザリガニとかいましたけどね。

 

 

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小学生の時の夜の定番TVはTBSの

 

8時だよ!全員集合を観て、昭和50年(1975年)放送開始

 

Gメン75を観て寝るのが習慣でした。

 

 

 

この面影という曲が好きで、当時は貧乏で木造アパート暮らし

 

天井は夜中にネズミが走る音が聞こえて、トイレは汲み取り式便所

 

でも慣れと言うのは怖くて?

 

ネズミが夜中、天井走っていても驚かない

 

木造ですから、2階の住民が大音量で、この曲のレコードを

 

かける。

 

親は五月蠅いと言ってましたが、私は心地良く

 

この曲を聴いてました。

 

何れ中学時代に、このレコード(EP版)を購入することに

 

なります。

 

このドラマの出演された岡本冨士田さんが、私が小学6年の

 

遠足帰り(高尾山遠足)に府中駅構内でロケしていてリハーサル中

 

目があって感動した単純性格の自分を覚えてます。

 

また、昭和51年(1976年)1月3日関屋警部補(原田大二郎さん)

 

殉職シーンにショック覚えたの記憶してます。

 

また、昭和51年1月12日に生まれて初めて買ったレコード

 

 

岩崎宏美さんの3rdシングルのセンチメンタル

 

B面の、そうなのよ・・ も好きで今は

 

ハイレゾでダウンロードしてパソコンに格納してあります。

 

こんな感じの小学生時代の思い出でした。 m(_ _)m