またまたお久しぶりですね。
すみません。
本の方は表紙デザインが確定し、文章の最終編集になってるようです。
それから入稿して、、、みたいな。
書いたら終わり!とは行かないようで
書き終えて1ヶ月になりますね。
すみません。お待たせしちゃって。
さて、私の最近のFacebookの投稿は以前に戻り、明るかったり、メッセージだったり。
活動してることも見えたりしますので、もうすっかり復活してると思ってらっしゃるかもしれません。
確かにそうしてるのです。
しかし、心配されてる方もいます。
早すぎるのではないのか?
そうですね。
有ることから動けるようになりました。
しかし、淋しさや痛みは依然と大きいのは変わりません。
これは、最後までそうだと思います。
同じ経験をされてる方からもそう聞いてます。
でも、それとは別にハッキリ分かったことこともあり、私の命がどこまであるかわからないけれど、その時までやりたいと思うことが出来たのです。
毎日、先の事を考えると、老化していく自らの身体、母の老い、1人の未来、孤独など考えてると、死にたいとしか考えられない時期も続きました。
しかし、ある日降りてきたのです。
娘のことを、娘の人生は何だったのか?と考えていた時でした。
もしも私が今死んだら、娘は私を地獄に落として殺す為の人生になってしまうということです。
私はとても娘を愛しています。
あの子の生きた証を残したい。
亡くなってから、娘がどれだけ沢山の人の悩みを受け止めてきたのか、自身の悩みは明かさなかったかを知りました。
私以上に良いカウンセラーになったでしょう。
そんな娘を親を追い詰めただけの人生だったとはしたくない。
そして、少しずつ娘を生かすことを考えていました。
その結果はいずれ皆さんにお伝えできると思います。
大切な人を亡くすとは、自らの人生そのものまで奪われてしまい、今後生きる恐怖と悲しみと孤独が押し寄せて、この世の中に留まりたくなくなります。
しかし、それでは、亡くなった人の人生を否定し自らを否定することになるのです。
だから、私たちは残されたパーツで何が出来るかをもう一度棚卸しし直して、自らも亡くなった人も生かす方法を見つけなければいけません。
そんなこと出来ないよ、、、
なんて思うでしょ。
でも、愛していたらわかるはず。
それが真実の愛ならば。
今、私は娘とのコミュニケーションも上手くいってます。
ただ、分かったことは、時に悲しさでいっぱいになる日は、娘とアクセス出来ないということ。
悲しみでいっぱいだと、繋がれないのですね。
だから皆さんも苦しいときは、思い切り泣いて浄化したら、前を向いて歩きましょう。
そして、語りかけてあげて下さい。
きっと、何かしらのメッセージが送られると思いますよ!

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