ショック痛みのため、睡魔の限界が来る時まで就寝できない状態ですショック
救急外来(ED)受診!何が起こったかの詳細はこちら

通信制大学院で現在取っているコースの毎週の課題提出が日曜夜11:59で、
今週も無事、提出が終わりましたのでブログを更新することにしますショボーン

 

先日だいぶ痛い思いをして神経伝導検査を受けてきました。

明確な受傷機転やoveruseの要素が無いので、結果が出るまでは、

色んな疾患、特に神経筋疾患や難病系が頭に浮かんでは消え、

気持ちがそわそわしていました。
私が受診している病院グループはオンラインの自分のアカウントで

検査結果の多くが確認できます(プリントアウトも可)。
このため結果がアカウントに上がってすぐ、神経医のレポートを読んでみて
Hand Doctorの受診を待たずに肘部管症候群だということは分かりました照れ ホッ

 

さてこれはオペ確定だろうという腹づもりでHand Doctorを再受診しました。
でもこの日の受診でこの医師にオペしてもらうのは止め、別の医師を受診することに決めました。
今回のトラブルはリハビリテーション領域に直接つながる内容のため、

救急外来(ED)受診時から医療従事者の言動を大変興味深く観察していました。
特に複雑なオペではないだろうし、病院も徒歩圏内だし、
最初のHand Doctorにオペをお願いすることに特に迷いはなかったのですが、

いくつか理由が積み重なって止めました。

理由① 初診時に、処方すると言っていた鎮痛薬の処方が出なかった。

→ありがちなこと。オフィスのスタッフに連絡してリクエスト
 

理由② リクエストから数日後に「処方したよ」と(恐らく事務スタッフから)

メールがあったけど、結局処方箋は薬局に届かなかった。
→オフィス内のどこかでコミュニケーションに問題がある

理由③ Hand Doctorの再診時に「その後どう?」的な会話に続けて、

「あれ、まだ悪いの?それじゃあ『神経伝導検査』(→先日痛い思いをしてやったやつ)

をしてみようか?」とのコメント笑い泣き そうくる!?

→10秒、いや5秒でもいい、前回の自分の書いたカルテを読めば自分の出した

オーダーくらい認識するはずじゃないか????

でも私は比較的医療従事者の怠慢に寛容なため、この瞬間は残念に思いながらも一応スルー…


理由④ 検査結果をろくに説明せずに(「that is there...」くらい言ったかな?)

「これだとオペだね」

→神経医の書いたレポートのみならずデータ全てに隈なく目を通して教科書の

正常値とも比較している私にとってはあまりにも手抜きの説明に感じられる。

でも思い直せば、この時「詳細を説明してください」って自ら言わなかった私も悪いかな…と思いながら一応スルー

 

理由⑤ オペスケジューラーがやってきて色々同意書を書けと置いていく。
よく見ると「麻酔にも同意します」という書類もあるが麻酔については一切聞いていない

→これってかなり致命的だと思うんですが、アメリカでは常識ですか?その後ナースに聞きに行きました。

 

理由⑥ Hand Doctor再診直後に知人PTを訪ねたのだが、整形専門のPTの丁寧な所見の取り方と、
医師の所見のとり方に大きく差を感じてしまった。

分かるよ、医師とPTでは使うアイテムが違うからそりゃPTのほうが丁寧な部分もあるだろうけど、

やっぱり神経根症状の所見を「上見て〜、下見て〜」だけで取ろうとするのは手抜きすぎ!!!


なんだろうな、ひとつか2つまでなら流すことができたんだろうけど、

帰宅して夫に上記を話して、ちょっと怒っている夫を見たら、

3時間後くらいにセカンドオピニオンの申込みをしていました。
翌日、予約の確認が取れた後、上記のオペ予定をキャンセルしました。
電話で2箇所に取り継がれたものの、思いの外あっさりキャンセル完了。


ちなみに、この先生にかかって一つだけ良かったことと言えば、

「セカンドオピニオンを取ることは私の意思決定に役に立ちますか?」

という私の質問に、大変肯定的に対応して下さったことです。

アメリカに来てまもなく5年、家族の受診やオペで様々な機会がありましたが、

初めてセカンドオピニオンを取ることになりましたビックリマークビックリマーク
「普通に予約してください。この検査結果を持っていってね。」だそうです。
実際に、目的の病院にオンラインの予約フォームがあり、「セカンドオピニオン受診」という選択肢がありました。

セカンドオピニオン先の探し方については、友人にアドバイスした時の体験も踏まえて

次回書きたいと思います。
 

ありがとう先生、きっと良くなるようにがんばりますニコ サヨウナラ〜病院

本日もお読みくださってありがとうございました。

ぐすんリハ室通いを休止していますぐすん

7月いっぱい日本に帰国していましたが、アメリカに戻ると同時に

左手の尺骨神経領域に麻痺、しびれ、痛みが出ました。

 

夜間救急(深部静脈血栓or 心筋梗塞疑いから始まり、最終的に神経根症?との指摘) ※1

→かかりつけ医(夏季休暇のためNPに診察してもらい、絞扼性神経障害?との指摘)※2

→整形外科医(肘部管症候群+TFCC損傷疑い)+作業療法士(OT)によるスプリント作成
sprint

→神経伝導検査 (Neuro Doctorは当然ですが中枢性、例えばMSも疑って所見取ってました)

NCV test

→整形外科医からの結果説明&再診待ち ←今ココ

 

※1 

驚くべきことにERのチェックインから、EKG(ECGとは言わないんですね!)、

採血、モルヒネ投与、超音波検査、全てを通してphysician assistant(PA)が

RNにオーダーし最後まで医者(MD)が登場しませんでした。

まだ請求は来ていませんが、アカウント上はPAの処置として計上されています。

退院時に「診断と薬の処方はしないのでかかりつけ医に2日以内に行ってね」

と言われたのもアメリカっぽい割り切った分担だなーと思いました。

 

※2

annual check-upをしてもらっているかかりつけ医(Primary Care Physician)

に予約を取ろうとしたら、なんと1ヶ月のバケーションに出ていました。

その間の代診はNurse Practitioner(NP)が担当していました。

かかりつけ医には専門医を紹介してもらうのと、とりあえずの痛み止めの処方を

もらうのが目的だったため、診断力には何も期待していませんでしたが、

私の症状を見て第一にCarpal Tunnel Syndromeという名称が出てきたので

「あ、やっぱり(詳細な診断を期待してはいけない)な…」と思いました。

でもネットワーク内の手の外科で高名な方を紹介できる、というのは

ベテランのNPさんの実力だと思うし、とてもありがたかったです。

 

診断や処方や他科紹介など、日本では医師が独占する役割の数々を、

Physician Assistant やNurse Practitionerも担うことができる、

このアメリカの分業制度を私自身は気に入っています。

本当に重篤・重症な人への対応が適材適所でできると思うからです。

しかるべき訓練を受けた人であって、法律的な責任を負う所まで教育されているなら

医師(Medical Doctor)が全部担う必要はないんじゃないか思っています。

 

これまで自身の帝王切開(C-section)、夫のDay Surgery、

こどもの外傷でER受診等、様々な場面でアメリカ医療のお世話になって

きましたが、今回は最もリハビリテーションに関連するトラブルで、

症状発症時からとても興味深く自身の経過と医療者の評価を観察していますキョロキョロ

どの診断名が出ても、これまで担当してきた患者さん達が思い出されます。
ただ各種疾患の経過もざっと見通せるので、メンタルが浮き沈みしています。

 

免許もとったし、現場にも慣れてコネも作ってきたし、

大学院にも入ってコースこなしてるし、

さあ、あとはグリーンカードが来て(これはもうちょい時間かかるけど)

稼ぐだけだ!!と思った所でのブレーキショック

少なくとももう詳細な所見が出て見通しが立つまで現場はお休みするので、

大学院の課題に取り組むこととブログアップで気持ちを維持したいなと思います。

 

 

今回はPT現場の話でなくてすみません。

読んで頂きありがとうございました。

 

 

ニコボランティア採用にまつわるものだけで(3病院)3回の面接を経験できましたニコ

過去2回、病院ボランティアに応募する準備段階について書きました。

病院ボランティアは無料の英語学校①

病院ボランティアは無料の英語学校②


諸書類をオンラインと郵送で提出して3週間ほどすると面接の連絡が来ました。

高校1年生(英検2級笑)以来の英語面接だったのでド緊張です滝汗

Referenceになってくれた方が、プレイデート(子連れで公園で会うこと)がてら

面接練習をしてくれましたが、その時初めてテッパン質問Tell me about yourself

を知ったくらい、社会人経験が足りない状態でした。

渡米から1年半、電話も対人会話もしていましたが、想定しない質問に対しては

まだ凍りついてしまうような時期でした。
 

面接に訪れたのはボランティアディレクターの部屋。

その病院は非常に強固なボランティア組織があって、ディレクターの部屋も

とても立派で、正職員の秘書さんもいます。ディレクターは無給です。


余談ですが、テネシー州は別名Volunteer Stateといいます。

1812年の米英戦争(第二次独立戦争)でテネシー州の義勇兵が活躍したこと、

その後の南北戦争でも戦況を決定づける戦いが繰り広げられた土地であることからくる愛称です。
地元大学のカラーはオレンジで、大学フットボールのチームは文句なしの地元のヒーロー。

彼らのチーム名もVols(Volunteers)でした。

 

簡単な挨拶が終わると、早速来ました!
準備していたあの質問、Tell me about yourself です!!
準備した通り、これまでも仕事を求めて多くの人に話してきた通りの

例の流れで話を進めました。

 

「私は長く病院でPTとして働いてきました。

仕事はとても楽しくやりがいがあり、大好きでした。

アメリカで永住する予定なので、アメリカのPT免許を取るつもりです。」

 

「ただ、日本の免許からアメリカ免許に移行するには時間がかかります。

それにコミュニケーション能力が不十分です。

臨床的な英語に慣れるために当初aidの仕事を探していました。

でもCさんがteaching hospitalであるこの病院で

ボランティアをするほうが良いだろうと勧めてくれました。」

 

「ボランティアをすることで、アメリカのPTの流れを知り、

患者さんやスタッフと話して、臨床的な会話を習得したいです。」
 

準備はしていましたが、当然上記がスラスラ言えたわけではないでしょう。

でも虚勢を張らず、素直に、やりたいことが伝えられたと思います。

必死に話しました。

学校にも行かず、無資格のアシスタント職をこなすだけの英語力もなく、

もうこれ以外に方法が無いように思えました。

ここで拾ってもらえなかったらリハビリ室は一生縁のない所になってしまうかも…

くらいの必死さでした。

 

これに対して言われた一言に凍りつきましたアセアセ

ディレクター「リハビリテーション以外の部門に配属されてもちゃんと仕事できるかしら?」
私「・・・・・・・・・!!!!!?????」

絶句、とにかく絶句ショック!
そんな質問への回答、準備してない笑い泣き
絶対やりたいことだから紹介者を通してこうして志願してきたのに…

渡米から5年目に入った今でも同じ悩みを抱えているのですが、

想定を超える言葉に対して切り返すことはとても難しい。

一般に就活生なら早々に対策する部分なのでしょうけれど、

経験も対策も完全に不足していて返す言葉が見つからないの一言に尽きました。

別地域に移住して再度ボランティア先を探した時にも再度登場するこの質問、

どういう意図かは各々の場所で違ったかもしれませんが、

少なくとも「(ボランティアは)職員が頼みたいことを頼むポジションであって

あなたの目的のためにあるものではありませんよ」

という釘刺しの意図は含まれていたのではないかと思います。

この時はあまりに衝撃を受けてかなり支離滅裂な回答をしたように思います。

ただコミュニケーション能力が不十分です。

という点は確実に間違いなくボランティア志願の動機になっているので、

そこを強調したように思います。

どのようなコミュニケーションの機会も私にとっては学びのチャンスになります、

みたいに答えたような…決してこのように綺麗には言えてないんですけどね。
冷や汗タラタラの面接はおよそ30分ほど続きました。

キラー質問はしてきましたが、ディレクターはゴッドマザー的な温厚で素敵な方でした。

 

オフィスでのインタビュー後、ディレクターは私を連れて院内のツアーに出ました。

総合案内(ボランティアの花形)、売店(完全にボランティアによる運営)、

図書室、外来受付(ここもボランティアの要職)…

ディレクターは院内でとても存在感のある方なのか、途中何人もの職員と立ち話をし、他のボランティアの方達も新顔を連れた彼女に声をかけてきます。

ツアー中、私は初対面挨拶を繰り返しました。5秒ほどの自己紹介と2往復程度の受け答え、それもまた初めての経験で反射神経を総動員しました。

 

そして、アメリカに来て初めてリハビリ室にやってきました!!!!

これまでは外出時に町中にあるPhysical Therapyの店舗を外から見てるだけ…

日本では10年、毎日当たり前のように足を運んでいた所です。

渡米して1年半、私の日常から完全に存在が消えていたリハビリ室お願い

 

それは地下にありました。立地的にベストではない。

ディレクターは「私院内ではここが一番好きだわ、患者さんもスタッフも明るくて」と言いました。

大げさな表現ですが、その日は私にとって

PTとして復活するための記念すべき第一歩でした。
PTは男性1人、女性2人の3人居ました。助手の方も1人いました。

3人、少ないですよね。
その後全体像が分かってくるのですが、大学病院は外部にも複数サテライトクリニックを持っていました。

大学病院キャンパス内の整形外来を利用する方は、例えば院内職員だとか、

キャンパスが最寄りだとか、そういった方達が来ているようでした。

私は当時アメリカのPTに特に何も先入観がない状態だったのですが、

その時居た3人(後日4人目に出会いますが、その女性も含めて)も助手さんも

全員私よりも歳上だったのが印象的でした。

私は30代半ばで日本のリハビリ室を去っていますが、若手には含まれませんでした。

PT達は足を止めてディレクターが私を紹介するのを聞いてくれました。

「日本でPTだった子です、これからアメリカの免許を取るそうよ」

という言葉は彼らの興味を引いたようでした。

 

その少数のベテランさん達とその後1年付き合ってくことになりました。

落ち着いた空間で皆さん業務にも余裕があり、よく可愛がって下さいました。

ここのリハ室では患者さん一人につき45〜60分の枠をとっていましたが、

個別にお願いすると、その枠いっぱい私を実習生のように側に置いてくれて

解説つきで見学することができました。
最初は治療の解説や質疑を通して、聞き慣れない単語を

(でも書いてもらえば分かる既知の単語を)耳で拾うのに必死でした。
慣れてくるとPTが「じゃあどの筋が一番原因になっていると思う?」

のように、日本の臨床実習のスーパーバイザーか!?

というような質問もしてくるようになりました笑い泣き アリガトウ…
とにかくどのPTも患者さんを交えたディスカッションを通して、

教えること、伝えることが上手でした。

また同じ治療、症状は日本ではどうなのか?と興味をもつことを常に怠らない人達でした。
このような良い人達に巡り会えたからだと思いますが、

夫が「語学学校には行かなくていい」と言っていたことがようやく腑に落ちました。

私が吸収すべき会話は全てここにあったからです。

 

ボランティア開始から半年経過した頃、日本にいる身内が亡くなったり、

またニューヨークに転居することが決まってNY州審査のプロセスを開始したり、
色んな状況から気持ちが不安定になっていましたが、

そこのリハビリ室にはいつも安定した時間が流れていましたニコ

外国人PTがボランティアとして来るという非常にレアな出来事に、

圧倒的安定感を持ってして適応してくれました。
私がPT免許取得のプロセスを完走し、今もボランティアを就活の一貫として続け、

めげずにコツコツと歩みを進めている、その最初の1年をスタートさせてくれた

University of Tennessee Medical Centerは、私のアメリカPT人生の原点です。
 


名札はfirst nameですが、面白いことに全職員first nameのみの表記でした。

さて次回は、整形外来のリハビリ室ボランティアとして

具体的にどんな仕事ができたか詳細をご説明しようと思います。

病院ボランティアは無料の英語学校④に続く

 


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