性犯罪被害を受けて、泣き寝入りするか戦うか
そこで恐らく誰もが考えるのは

「信じてもらえるか」ということ

思い出したくない忌々しい汚らわしい相手の行為と

自分のその時の状況や感情を思い出すことは

本当に辛い

心がそのストレスを受け止めきれずに

自己防衛のために「忘却」することもある

一種の記憶喪失だ

それほどの辛い経験を、説明することがどれほどの負担であるか

まして、信じてくれないことを前提の相手を前にそれを話すことは拷問に等しい

自分は被害者であるにも関わらず、責められているように感じるなかで、記憶が揺らいでいく


誰しも自分が予想外の困難に遭遇した時、なぜ自分がそんな目にあわなければならなかったのかと考える

服装や態度で相手に隙を見せてしまったのではないか

多少の差こそあれ
性犯罪被害者はそんなことを考えてしまう

どうにも納得のいかない被害

加害者をどれだけ憎んでも
自分の気が治まるような復讐を
相手にすることはできない

悲しく辛いことではあるけれど
その原因が自分にあると考えることで
答えが得られるような感覚になる

自分がいけなかったんだ

同意のない一方的な性交渉は犯罪

けれど、被害に遭わない人もいる

自分があの時 そこを通らなければ

もっと警戒心をもっていれば



そんな気持ちが自分は被害者だという気持ちを揺らがせていく

同意の上の行為じゃなかったのかと問われ続けるうちに

自分の主張に自信が持てなくなってくる

あるいは絶対に違うと自分は知っているのに
そう言い続ける気力を失っていく



伊藤詩織さんの勝訴は
無力だと思っていた被害者にとって
勇気を与えるもの

傷は癒えないけれど
少なくとも同意の上の行為ではなかったと認められた

そこに至るまで
自分を強く保ち続けることがいかに難しいことであったか 

更なる被害者を生まないための抑止力になることを願う