Dancing Across the Amazon

Dancing Across the Amazon

南米大陸の左端から右端まで、
徒歩とカヌーとイカダだけで旅をし、
道中、毎日ダンスするブログです。








★南米大陸7000kmを徒歩とカヌーとイカダで、横断中。
リャマ、牛、犬などの動物を連れて旅をしています!
旅の道中、毎日現地の方とダンスをし、映画を撮影。
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まず、川が段々とデカくなってきた。


支流からいくつもの川がこのウカヤリ川に合流し、いつの間にか、かなり広くなっている。

向こう側の岸をながめていても、しばらくめを凝らして見ていないと、川がどちらに進んでいるのかわからないくらいだ。



距離にして何キロくらいあるのだろう?1.5キロくらいはあるのかな。
無風の状態で、反対側の岸まで漕ぐと30分から45分はかかる。








(愛読書のスペイン語ー英語の辞書を読みながら時間を過ごす)





今日は、そんな中強い風が吹いて、川の流れにぶつかり、随分と高い波が立っていた。バシャン、バシャンとカヌーの中に水が入り、気が付くとくるぶしを覆うくらいの水量がカヌーの中に。



この先の道程を想像すると、少し怖くなった。
カヌーがひっくり返ることはなくとも、一気に波が押し寄せて、手ですくい出る間もなくカヌーの中が水で満たされたら、、、。



僕は川に投げ出されるし、荷物はバラバラになり、荷物をロープで結んであるカヌーは、荷物の重さで水の中へしずんでしまうかもしれない。



それなら、いっそのこと失ってもいい荷物は結ばない方がいのではないか??
そんなことを考えたりした。










今日は、10キロしか進めなかった昨日と打って変わって、
随分と前進出来た。直線距離で25キロだから、30km~35kmくらいは進めただろうか。



しかも、地図上では川の形がΩ状になっている所のくっつきそうな部分が実際にはくっついており、半日分くらいのルートを近道することが出来た!




一生懸命オールを漕ぎ、5時になると、砂浜へ。

三日ぶりの砂浜。


やっぱしここが一番落ち着く。


誰もいないし、静かで、平らで、魚も獲れる。



そう、今日は5時に浜に着いてから6時まで、
ソッコーでテントを張って、ダンスをませて、その後10回くらい投網を投げた。
少しずつ、投げた網が綺麗な円に近づいてきた。
10匹くらいゲットした雑魚たち。雑魚でも、魚は魚だ!
明日、三枚におろして、調理してやろう。









(キジさんも、お魚が大好き!)





いつものように、テントの中にもぐりこみ、
テントの天井を眺めてイヤホンで音楽を聴く。



変わらぬいつものことだけれど、なにか、この「旅」ってやつが、刹那的で、僕は好きなんじゃないかなぁ、、、。そんなことを考えた。



空の天の川も、もう見飽きた。
今の僕にとっては、これが 特別きれいだとか、感心するものでもなくなったが、そこにいつもと同じようにあって、きれいだなぁとは思う。



人生は、普通が一番美しいのかもしれない。


驚きだけが、素晴らしいのではないのかもしれない。


普通に、そこに、いるってことが、一番感動的なのかも、、、しれない。














20151103



今朝、目が覚める前に不思議な感覚に陥った。



僕は、日本の実家の、自分の部屋の布団の中にいたのだった。
そして、今僕の目の前にあるアマゾンの旅の「今」を、思い出しているのだった。


どうして、今って、イマなんだろう?

もしかしたら、今ぼくの目の前にあるイマは、帰国後の僕が思い出している瞬間のイマなのかもしれない、、、。













そんなことを考えていたことを一旦忘れ、
昨晩お世話になった方の家で朝ご飯を頂き、
お約束の「中国語でコレなんていうの?」「あぁ、日本語ね。日本語ではこういうんだよ」と言うやり取りをしながらノートに書き、


お礼を言い、出発した。




今日は風がずっと東から吹いていて、昼ごろからは川の流れが遅く、


一生懸命オールで漕いでも、風に吹かれて元の場所に戻されてしまう始末。



一旦進むのを諦めて、一時間半くらい休んでいた。
諦める。頑張って前に進みたいところ、敢えてそれを諦める。


待つ。風が止むのを、ただただ待つ。




浜に上がり、打ち寄せられた丸太の上に腰掛けていると、
ドミンゴがやってきて「なでなでしてー」と言ってくる。
オウムのキジさんも、カヌーから飛び降りてこちらへノコノコと歩いて来て、気が付けば僕の膝の上にチョコンとすわっている。
ドミンゴは、僕の足を枕に横になっている。




僕は、この仲間たちと一緒に、こういう時間を過ごしたんだ。
一生懸命オールを漕いで太陽の下で汗をかくよりも、大好きな仲間たちとのかけがえのない時間を、過ごしたい。
そんな風に思った。そして、












「こいつらは、ただ生きているんだ。ただここにいるだけなんだ」そんなことに気が付いた。僕みたいに「目的地」を定めたりせず、ただただ純粋に、今日を、今を生きているだけなんだ。




ドミンゴはいつの日か日本へ行く為にこんな旅をしているなんてことを知らないし、キジさんだってこの後ブラジルへ連れていかれることなど知る由もない。


風は止んだ。そして、再び僕はオールを手に取った。
そしたら、また風が吹いて来て、もう17時近くにまでなってしまった。


向こう岸の砂浜には遠すぎてたどり着けそうにないし、
このまま先へ進むとこちら側の岸には崖しかない。



やむなく、デコボコの場所にカヌーを停めた。


なかなか進めない。今日なんて、10キロそこらしか進めなかった。
お尻が痛い。カヌーの上ではずっと座った姿勢なので、お尻の骨が、もう悲鳴を上げはじめてから久しい。









僕は、彼女を日本で待たせている。

一年半もの間、待ってもらっている。
罪な男だと思う。


「寂しい」と言う彼女に、いつも申し訳ないとばかり思っていた、、、。

でも、今日、気が付いた。


もしかしたら、彼女より辛いのが僕なのかもしれない。


本当は、幾らでも泣いてしまいたい気分だ。



早くゴールに近づきたいし、1分でも早く日本に帰りたい。
そして、今日もお尻が痛い。しばらくカヌーの上で立ち上がってお尻の痛みを和らげる、、、。



日本にいる友達から、最近こう言われたことがある。
「辛いとか、苦しいけど頑張るとか言う姿よりも、リッチーが笑顔で楽しんでいる姿のほうが、人は勇気づけられると思う!」と。



僕も、それはそうだと思う。
そう言われて以来、できることならそうしたいと思って、やってきた。





、、、けれど、今は無理だ。












「楽しい方へアンテナを張って、自分に素直になれるように」
そう思って、フィンランドに冒険家を招待する企画にも応募してみたけれど、結局選ばれなかった。



フィンランドに行けたらな、一旦日本に帰国出来たなら、
僕は楽しくハッピーで、笑顔でいられただろう。



けど、そういう結果にはならなかった。


僕の人生は、そう甘くはなかった。



であれば、いま俺はクッとこらえて、強くなってやろう。
フィンランドに行けた僕がなれなかった、強い僕になってやろう。



笑顔のほうがいい。楽しい方が良い。
、、、だけど、楽しむには、エネルギーがいるんだ。



友達とワイワイ仲良くやれる日々があって、
美味しいご飯を毎日食べられて、
好きな人と一緒にいられる時間があって、
それで初めて、
楽しくなれる。










今の僕には、どれもこれも、それらが無いんじゃ!

ごめん、悔しいけれど、今の僕には笑顔になる勇気も、楽しめる強さも無いや。


弱くて、ごめん。


今はただ、強くなるために、、、。


夜は、テントの中で音楽を聴く。
壊れて片方しか鳴らないイヤホンで。
これでも少しは幸せになれる。


日本の実家のフカフカの布団の中で、涙も出ないテントの夜を、
僕は「イマ」のように、思い出すだろうか。


その時、僕は何を感じているだろうか、、、。


おやすみなさい。
いつも有り難う、キジさん、ドミンゴ、そしてあなたへ。



20151102




朝だ。
もう、太陽が随分と高くまで上がっている。
今日は少し長く寝てしまったみたいだ。


疲れがたまっているのかもしれない。











オールは、進むためには漕がない。
オールを漕いで進める距離は、タカが知れてる。



ただ、風が吹いて川岸に流されそうになったり、
夕方に砂浜へたどり着きたいときは、漕ぐ。




強い風が吹くときは、気が付かぬうちに一時間くらい
全力で漕いでいる時があり、そういうのが原因で疲れてしまう。




それに、長いこと街で休養したことで体力も下がってきていたのだろう。




今日の出来事と言って、言うほどないのだが、
今日は一日曇っていて過ごしやすかった。




それから、顔の川がべりべり剥けた。




昨日まで、太陽が強く、顔や手の甲の皮膚がヒリヒリしていたのだが、
今朝気が付くとヒリヒリはなくなり、二重に皮をまとったような感覚になっていたのだ。














とにかく何もやることがないので、
皮を剥いでしまった。





夕方、5時になると空が黒い雲で覆われ、雷が鳴り始めた。
砂浜まではまだ随分と距離がありそうだったので、人影の在るところへ行き、




人の住んでいる場所でテントを張らせていただくことが出来た。













オマケに夕飯までごちそうになった。


彼らは原住民の顔をしているので、そうかと思ったら、
プカルパの街から降りてきた移民なのだという。




だから、原住民の言葉は喋らない。


この村は、21年前に出来たのだという。
「原住民のコミュニティがあるのはもっと下の方。この辺にあるのはみんな移民の村よ」と奥さんが教えてくれた。







(夕焼け雲に、虹がかかっていた)






さて、明日も有り難く朝食をいただいて出発するとしよう!


20151101








5時半に目を覚まし、6時か7時に出発してから陽が沈む前の5時まで、




僕は一体何をしているのだろうか?











難しいことを何も考えず、ただ、鼻歌を歌ったり、唯一持っている本(英語ースペイン語の辞書)を読んでみたり、浅瀬にカヌーがたどり着けば投網を投げて魚を捕り、、、そのほかには何もやっていないと思う。




昨日なんて、何もやらな過ぎて、結局テントに入ったあと、ブログを書くこともしないまま朝を迎えてしまった。もとより、ブログに書くような出来事も無かった。



テントの中で、18時半から眠りに就くまで、汗をかきながら前の晩に引き続き「一人しりとり」をやった。前日は動物しりとりで、ネタがなくなってしまい、ギブアップした。この日は二文字しりとり。



一人しりとりの強みを生かし、2つ先の単語でもケツの二文字を取って単語がつくれるか、予想してから言葉を発する。この方法で、前日よりも長く続いた。



あまり難しいことを考えたり、何かを頑張ったりするのはやめようと思っている。





もう、精神的には「帰りたい病」は既に限界を超えている。













一日でも早く日本に帰りたいんだけれど、そんなことを考えていたら、全然先へは進めない。





今日、気が付いた。




・・・・・・




「諦める」のが肝心なのだ。















きっと、そこに「居る」と言うのは、自然の、あるがままの状態に、抵抗することを諦めるということなんじゃないか。





暑さに抵抗することを諦め、時の流れや川の流れの緩やかさに抵抗することを諦め、ただ、眠気を許し、そこに、いる。





順応、調和、平安、そういう言葉に言い換えられるかもしれない。
きっとここに生きる方法をよく知っているのが、先住民族の方たちなのだろう。






少しだけ働いて、あとは昼寝をして過ごす、、、。




それが、ここアマゾンに生きる人たちの、生きる知恵なのだろう。




彼らがブログなんてものを書かないのは、ここに、本当に、いる からなんだろう。



昨日、ブログを書かなかったことで、
気が付けたことだ。












今夜は、少しだけ雨が降った。
その他、特に変わったコトも無い。





ただただ、流れるだけ。
それが一番の、近道なり。

20151031







昨日の夜、久々に夕方の6時過ぎ時にテントの中に入り、ブログを書いた後は何もすることがなく、退屈で仕方なかった。













何せ、前日まで毎晩電気を付けて音楽を聴いたりネットをやったりすることができる環境にいたのだ。





やっぱり、寂しいという気持ちが一番大きかったように思う。



「テントの中に、誰か話し相手がいたらなぁ、、、」なんて思いながら、実際に声に出して一人会話を始めてみた。



「なんていうかさぁ、、、」


「、、、ん?」


「いやぁ、やっぱし寂しいんだと思うんだよね、僕。」


「、、、まぁね。分かるよ。」



「誰かが隣にいて、話し相手にでもなったくれたらなぁって。」


「やっぱし、今の時代の人はインターネットで友達とつながっている気になって、寂しさを紛らわせているんじゃないかな。」


「そうかもねぇ。だって今ここにスマホがあって誰かと電話したりフェイスブック見たりできるんなら、寂しいとは思わないだろうからねぇ、、、。」



そんな会話をテントの中で独りぶつぶつとしゃべりながら、気が付いたら寝てしまっていた。


その後、大きな明るい月が昇ってきて、目を覚ました。



そのあとは、オウムに話しかけた。


このオウムは、「オウムさん」とか「ローラ」だとか仮の名前を付けていたのだが、最終的にはフェイスブックのコメント欄で名前の案が挙がった、「キジさん」という名前に決定した。


「キジさん、キジさん。お前はかわいいなぁ。いい子だなぁ、、、。」
僕の胸の上で眠るキジさんを眺めながら、僕は高校生の頃、ものすごくカラスが飼いたかったということを思い出した。



そして、将来日本で小さな動物園を経営している自分を想像したら、興奮してしばらく眠れなかった。



さて、今日は朝5時に起き、夕方の5時過ぎまで川下り。




プカルパの街で買った投網を3-4回投げると、なんと25センチくらいの魚が
20匹くらい捕まった!










そして今日は、ひたすらこれらの魚をおろしていた。


鱗を取り、三枚におろして、干す、の繰り返し。

何度もやっているうちに、慣れてくるのがいい。

状っつしているのが自分で分かると、面白い。



魚の身体をじっくり観察していると、口の作りとか、歯の形の違いとか、頭蓋骨の形とか、そして内臓の作りとか、「なるほど、上手く出来ている!」と、神様のデザインセンスのすばらしさ(機能性)に感心したり、模様が付いているのは鱗で、鱗を取ると模様も消えることを発見したりした。










とにかく、時間を忘れられることに専念した。


「長いなー、退屈だなー」と思いはじめたら、一向にゴールにはたどりつけないことを僕は知っているのだ。


5時頃、砂浜を見つけカヌーをそこに停めた。


漁師の方たちが、浜の向こうの方から様子を見にやってきた。
笑顔で握手をし、挨拶をする。旦那さん、子供たち、それから奥さんもやってきた。女の人が笑顔で挨拶してくれるってことは、「ここでは何も危険なことは起きませんよ」の記し。


これまでいろんな原住民族と接してきたが、この辺りに住むシピーボ族の人たちは文明の中に住んでいるし、かなり穏やかな性格なので、安心して旅ができる。ありがたや、ありがたや。



そして、今回の旅で、初めて自分で獲った魚を自分で調理して食す。
調理と言っても、魚と塩と水を鍋に入れて火をかけるだけ。


それでも、自分で食を確保できるのは、一歩また「自由」に近づいた証拠かな!?










そしてまた、夜がきた。
風がないと、テントの中はめちゃくちゃ暑い。


なにせ、テントを張っている地面の砂が、日中カンカンに温められているため、地面から熱が湧いてくる。



そんな中、今夜はテントの中で一人しりとり大会が開かれていた。
お題は、動物!


「動物なら俺が得意な分野だ!」と息巻いてみたが、なにせ「一人しりとり」なので、相手も同じくらい動物の名前を知っているので、接戦となった。


最初はなかなか調子が良かったのだが、30くらい動物の名前が挙がってくると、さすがにお互い眉間にしわを寄せての接戦となった。



キツツキなど、「なになに返し」が、一番きつい。
何せ「一人しりとり」なもんで、「どうだ!キ返しじゃ!」と言った瞬間、またすぐに自分の番がきて、「キから始まる動物を探すのに苦しんだ。」


最後のほうになると、特別ルール導入で、「真剣白刃ドリ」とかもアリってことにしてなんとか戦いを進めたのだが、最後は精神戦に突入、あまりの暑さも相まって、結局僕が「リカオン!」と叫んで自らこの戦いを締めくくった。



一体、一人しりとりをして、「よっしゃー、勝った!」という気分になれるのか、、、。気が向いたらまたやってみよう。


、、、という風にまぁ、


街にいるときと、考え方も行動も、価値観も善悪すらも、ひっくり返ったくらい違う。



町にいたときは、なにか哲学的なことや心理学、宗教、歴史、言語など様々な分野に興味を持てていたのだが、今の僕の頭は「どれだけ時間を無駄にできるか」こそが、正しい道なのだと、そういう価値観になっている。











全然、深いことは考えていない。
、、、面白いくらいに。



町にいると、それだけ余裕があるっていうことなんだろう。

ただ、あたまで考えて分かることなんて、タカが知れているのだ。


経験から湧き出た感情こそが、本当の「知」なのだと思う。
そしてこの本当の「知」が、「血」となり肉となれ。

あー、あついあつい。

やっと汗が出てきた。

もう22時になった。


旅は楽しい。いろんなことを考える必要は無い。
生きていれば、それでいい。
それだけで、人生は楽しいんだ。




20151029