前回の続き→能登半島地震からの学び。

2024年1月1日 夕方 今までにない揺れでパニック状態。長女とともに外に飛び出した。


間を置いて、2階にいた夫と次女も外に飛び出してきた。よかった、とホッとしたのも束の間。 


「津波が来る!!!」


ここは浜から50メートル。

同じく外に飛び出していた隣のご夫婦とも顔を合わせ、「これは まずいね。」

すぐ高台に避難しないと!


子供を車に待たせ、私と夫は必要なものをとりに家の中にもどり持っていくものを探した。


…何を持っていけばいいんだっけ??!


全く頭が働かない。とりあえず、財布や通帳の入ったカバンと携帯。


子供はサンタさんに貰ったばかりのおもちゃを取ってきて!と叫んでいる。


急がないと… とりあえず適当な防寒の衣類を集め、寒かったので毛布を持って すぐに車に戻り 路地にでた。





すると 近所のおじいさんが 電動車椅子で ウロウロどこかに向かおうとしている。家族の年配の女性二人もその後を追って走って避難しようとしている。

高台にある小学校までは2キロ程度。車でも5分。


「乗ってくださいっ!」


自分たちは車を停め、私と子供たちは後部のトランクに移動し、おじいさんと女性2人を乗せ 小学校まで向かった。


高台の小学校には、他にもぞくぞくと避難の車が集まってきていた。車からおり、人のいる方へ。校庭にあったベンチに 足の悪いおじいさんを座らせ 毛布で包んだ。

夕方に差し掛かり、外は風も冷たく さらに寒くなり始めていた。


集まった人たちは、海の方をながめ ざわざわしている。みんな携帯で誰かと連絡を取り合いながら、どの顔もとても不安な表情をしていた。


私は初めて、場の その空間の"集合意識"というものが実際にあるのだとわかった。それが海の見えるこの景色、町内全体からも伝わってきた。


不安と恐怖のバイブレーション。


今晩、ここに泊まるのか? こんな寒いのに体育館で? 小さい子供もいるし、この雰囲気には自分も耐えられそうもない。


自分も海の方を眺めながら考えていた。

どうなるんだろう。


津波が来たら  海岸から50mに建つあの古い木造の家は確実に流される。そういえば、


【流されて欲しくないもの? …家の中にあったっけ?】


テレビ、洋服、仕事関係のもの、キッチン家電、こどものおもちゃ、好きな本、趣味のもの 


あー、全部 さようなら。


強いていえば、こどもの思い出の工作や写真のアルバムくらい欲しかったかな。


でも、まぁー、いい か。


津波で家が飲み込まれていく 映像が頭に浮かんできた。


不安で心臓が ぎゅっと縮こまっている一方で、「全部流れてもいいか。さようなら」と冷静に見ている自分もいたのです。



だけど、ここには居られない。福井(私の地元)に避難しよう。

夫と子供たちを呼び、おじいさんたちにも ご無事で と声を掛け 移動を決めた。


次回に続く。