記念すべき初アメ。

 

おとち洞窟。

大蛇 と書いて おとち。

滋賀県長浜市 旧木之本町 古橋。

 

 

1600年6月15日関ケ原の戦い、同日徳川家康の東軍勝利

6月21日西軍石田三成捕縛

 

1年前にロードバイクで片道40km、初関ケ原探索 初笹尾山

関ケ原の陣地を数か所回る。

 

今回、念願の、「松尾山」「おとち洞窟」の2か所!

 

2年前の小谷城攻め時、おとち洞窟行こうとして

宿泊先の受付美人女性の勘違いにより

 

「物部守屋」 が蘇我氏と戦って敗れた後 隠れた洞窟、にたどり着いた

 

 

、、、オーストラリアから来てた戦国マニア幼馴染とふたりで

 

「ちゃんと確認しなかったからなぁwwwwwwww」

 

、、、ということで念願の おとち洞窟!!!

 

我が西軍の頭である三成氏!!!!

 

命からがら逃げてきたであろうこの場所

 

ほんとに

つらかっただろう

 

再起を図って死ななかった。

 

徳川を許せず

絶対に再起を図って

念願を果たす。

 

そのために命は自分からは絶対に捨てない。

 

腹は切らない。

 

この考え、これはこれで めちゃめちゃ共感する

 

ほんの、ほんの少しでも可能性があるのであれば

それをつかめるように選択する。

 

恥も外聞もない。

 

己の。

 

死んでいった仲間たちの。

豊臣家の。

ために。

 

 

旧木之本町古橋 の 湖国バス の バス停「古橋」にある案内図。

これと過去訪問者のブログを頼りに行く。

古橋、は 母の出身地、三成氏が幼少時ここのお寺にお世話になった、との話もある。

 

 

バス停の少し北にあるT字路を東に入り橋を渡り北に折れる。

 

すぐに左側に 己高庵 ここうあん があり

ここに駐車場があるが通過し、車でいけるところまで行く。

数百mで未舗装路に入り緊張感が増す。

 

この 後輪駆動スカイライン 走行21万km超 でどこまで行けるのか!?

 

倒木等心配したがなんとか行けて

2kmくらいで分かれ道。

 

左を選択。

 

慎重に。

 

対向車が来た時のことを考えて 退避場所 を確認しながら進む。

 

数百mごとにすれ違い可能な場所がありホッとする。

 

右に大谷川を見ながら、、、しかし景色は運転中の私は楽しめずw

 

道は1台通れるくらいだが

狭すぎず、、、

 

別れ地点

左を選択してから2km

ついに看板が登場!!!!

 

 

ちょうどここに車を停めておくことができる広さもあり

、、、2台はとめられそうですが

古橋バス停あたりでガイドさんをお願いしていく方がよさそうです、、、

愛車を停めていざ登る!!!

 

900m40分 と看板に表示。

 

登りで900mは相当しんどい!

私はランナーで体力があるので余裕あるが 

4ヵ月前に痛めた股関節が完治しておらず、しかし、ま、ヨユーだなたぶんww

 

同行の幼馴染

オーストラリアから帰国中、は 歩いたりして体力維持中

地元のやつ、は 普段から山城攻めをよくしているためおそらく大丈夫

 

オレたちは半分 20分 で行くぞ! と

ぼちぼちとばす。

 

途中看板が何度もあるが

無いところもあり

道を間違える可能性あり。

 

私らはなんとか行きは間違えず

帰りは1か所50mだけ間違えた。

 

スタート地点は電波が届かないが

ほどなく圏内になるので電話はできるが

道確認は難しいと思うので

慎重に。

 

熊注意地区でもあるので、クマよけの鈴等も。

 

三成氏は、、、登り始めてもなかなか着かず

「まだ着かないのか~!?」

なんて思ったんだろうか、、、

 

いや、

とにかく人里から離れた方がいいから

どれだけ遠くてもいい、と

思っていたんだろうか、、、。

 

 

20分くらいで着いて

 

さすがオレらw 

はしごに驚く。ロープに驚く。

 

 

 

中の狭さに驚く。

 

中は広そうだが

崩れた影響か

入口は非常に狭い。

 

長いはしごをふたつ、20mくらいのロープ、を設置してくれている

こうもりさんがバサバサ入ったり出たり

中は真っ暗。

 

片手で体を維持しながら

片手でスマートフォンの明かりで照らしながら

下る。

 

難易度高い!wwwwwwwwww

 

こうもりさんへの慣れが全然なく

最初はほんとにコワかったwwwwwwwwww

 

2本目のはしご は ほんとに狭く、太っている人はきついかも。

はしごも 上の岩も どろどろなので 服も手も汚れます。

 

中に降りると広い。

とても広い。

こんな暗いところに三成氏、ひとりでいたんだろうか、、、

いや、従者がいただろう、、、

 

一人だった説、がありますね。

従者と相当前に別れて一人で行動していたようです。

 

与次郎 という知人に匿われていたと言われていますね。

 

数日で

見つかった とも

匿ってくれた村に迷惑をかけるのを避けて自分から名乗り出た とも。

 

9月15日の戦闘 から

6日後の 9月21日 に 旧知の武将 田中吉政 によって捕まった、との説。

 

この日は西軍諸将ゆかりの関ヶ原陣跡等をめぐり、ラスト、おとち洞窟に車をとばして旅行は終了。

西軍をじっくり堪能した1日でした。

 

 

三成氏が捕縛された場所は諸説あり。

 


ガイドは例えば

http://kitabiwako.jp/volunteer-guide/vol_okubiwako