ぽんちゃんのしゃべればしゃべったってしゃべられるし・・・ぶろぐ -2ページ目

ぽんちゃんのしゃべればしゃべったってしゃべられるし・・・ぶろぐ

タイトルに特に意味はありません・・・・

津軽弁っぽいタイトルつけでみました。。。。

 









自宅のベランダから河川敷の公園をみると
桜が満開

気持ちの良い日曜日です。

朝から家の掃除とトイレの掃除をしました。

トイレが綺麗になると気分もよくなりますね。



4月にはいってから新しい財布を使い始めました。

黄色い財布

お金

貯まるかな…(^^;
外は雨です・・・

仕事が終わり 職場から帰宅途中の車の中で ふと ある事を考えておりました。

10年前の今頃

親父が入院しました・・・。

末期のがんで 全身に転移をしており 余命は6か月との診断結果でした・・・。

田舎の母親から電話をもらった時

親父は 以前から体中に痛みを訴えていたこともあり

たぶん・・・・と考えていたので 特に驚きはありませんでした・・・。

青森で入院中の親父見舞ったったのが 11月の初めころ・・・

余命6カ月とはいえ 

まだそこそこ元気だろうと考えておりましたが

その日の夜 病室で見た親父の姿は

ベットに横になり 

意識はありましたが痩せて目がうつろで 酸素吸引器をつけている唇が乾ききった姿でした・・・。

親父のあまりの変わりように言葉を失った私は

ただ無言で親父を見ている事しかできませんでした。

雪まじりの小雨が降り 寒い夜でした・・・・。

ふと

私に気付いた親父が

おう 来たんだな・・・

どうやって来た・・・・

と声をかけてきたので

親父の車 借りで 乗ってきた・・・・と答えると

親父は

雪 降ってらけど 車(親父の車)大丈夫だが・・・・・

と聞いてきました。

私は 

大丈夫だ・・・今日 冬タイヤさ交換してきたはんで  と答えると

安心したように

んだが・・・それだば大丈夫だな・・・・と言いました・・・。

今考えると

結局

この会話が 親父と話した 最後の会話になってしまいました・・・。

それからしばらく親父を見ておりましたが

あまりの変わりように いたたまれなくなった私は

まだ・・・・来るはんで・・・

といって病院を出ました・・・。


それから2週間後の11月20日

ようだいが急変した親父は そのまま天国へ召されました・・・。

入院して わずか一カ月後の事でした・・・・。


私には 今でも とても悔やんでいる事があります・・・。

それは

こんなに早く逝く事がわかっていたら

私が見舞に行った時

医者から止められていたとはいえ

唇が渇ききって つらそうにしている親父に

せめて 水をたっぷり飲ませてあげたかった・・・・

もう10年もたちますが・・・

今でもその時の事を考えると 

とても自分がいたたまれない気持ちになります・・・・。



そんな事を思い出してしまう 秋の夜の雨は 今でも好きではありません・・・・・。








 
 

なかなかみなさん 可愛く撮れてますねぇ

あしたCD
買ってこよう^^