私は、「教え」の時、「公平」ですね。と言われたことがある。
しかし、そんな私にも、盲点があるのだろう。
時々、贔屓(ひいき)をする人を見ると、
自分で贔屓しているという自覚がないのでは?
と思うことがある。
反対に、贔屓によって、競わせようとしているのかもしれないが。
平等悪という位だから、贔屓は悪いことじゃないと書かれているが
矢追先生のいう意味もわかるような気がする。
誰にでもチャンスはある。
そのチャンスを活かせるには、その人の運のみならず、
才能や気持ち、努力があるのだろう。
努力を活かせるようになるにも、やはり、自分を磨いてないと
何もしていない人と、同じではないだろうと思える。
矢追氏の言われる事件に対して、私はよくわからないので
言及はさけるが、「贔屓の引き倒し」は、贔屓がかえって贔屓した相手の事情を不利にするということだ。
ただ、言いたい事は、わかるような気がする。
これを地球を守っている人達におきかえてみると
「熱い思いが正義とは限らない。見守るべ
き一般人は為政者を疑わない。地球の保護者
会長を務める人物を疑う為政者すらいない。」
と矢追氏の言葉を置き換えることができるので
意味は深いと思う。