苫米地英人博士の論文「潜在ポテンシャル統一理論:認知ホメオスタシスと認知戦」の美しい理論の一つに
「利他性は非合理ではない」
というものがあります。
苫米地英人博士の潜在ポテンシャル統⼀理論:認知ホメオスタシスと認知戦
2.12.4 拡張制御モデルですね。
(今回、理系院卒友人にサポートしてもらいつつ書いています。)
「利他性は非合理ではない」、非常に美しい響きの結論ですし、確かに「情けは人の為ならず」と言う諺もあります。
しかしそれでは、従来のダーウィン主義やリチャード・ドーキンスの「利己的遺伝子説」は、どうなるのでしょう?
本当に合理的ではないのでしょうか?
例えば飢饉のなか、①自分だけで食糧を確保する、②自分の食糧を家族に分け与える、③身近な仲間や友人に分け与える、④知人だけでなく見知らぬ人々にも分け与える、この4パターンを考えてみます。
当然④がもっとも高い抽象度における行動ですが、この行動の結果的、自分の分の食糧は無くなり餓死してしまうかもしれません。
利他行動はこのように自己犠牲を伴います。
これは、「不合理(損な行動)」ではないのでしょうか?
さて、ではこちらの方程式をみてみましょう。
πi(パイ・アイ)=全体を・不快さを最小(arg min アグ・ミンまたはミニマム)にしたい、という式。
「不快さ」が少ない方がHappyですので、つまりこちらは「不快さを最小にしたい」という式です。
そして∫(インテグラル)は、積分、つまり面積です。
ですから「∫₀ᵀ 」は、時刻0から未来の時刻Tまでの、全期間にわたる不快コストの面積です。
αは抽象度です。
「利他性は非合理ではない」という結論から考えても、抽象度を上げる(利他性が高い)ことが、合理的つまり「不快さ」の数値が減る、と言う結果になりそうなのは想像できます。
ではあなたは今すぐ、困っている人に手を差し伸べますか?
もちろんそういう人もいるでしょう。
しかしなかなかそうもいかない。
目の前のこなさなくてはいけない仕事をほうり投げてでも、今すぐ世界の貧困に喘ぐ人を助けるわけにはいかないな、と思ってしまうのは、コストを計算しているからですよね?
というのが②第二項の部分です。
①第一項
tはtimeのtです。
Vは不快度、iは私です。
ある時刻「t」においての、「xi」私がある状態に感じる、「Vi」私の不快さの度数です。
②第二項
この部分は、「他者との関わり」によって生じるエネルギー・不快さを表しています。
第二項は、「αiが増えると Sij 自体が減少・収束しやすくなる」、つまり単純に「抽象度が上がったら不快さは減る」と説明しているわけではありません!
(ちなみに何度もAIは間違った答えを繰り出してきました〜)
Σj(シグマ・ジェイ)は、γとSの積の和です。
もちろんこの場合は、γij(ガンマ・アイ・ジェイ)とSij(xi , xj ; αi)の積の和。
「α」とは抽象度、iは私、jは私以外つまり他人です。
γij(ガンマ・アイ・ジェイ)は、「社会的認知結合係数」です。
一言で言うと、私(i)と他の人(j)の心が情報空間でどれくらい強く結びついているか、関係の重み・深さがどれくらいかをを表します。
Sij(xi , xj ; αi) は、自分(i)と他人(j)との摩擦から起こる、不快さの度合い、です。
通常は家族など近しい存在よりも、地球の裏側の見知らぬ他人など遠い関係の存在との方が、摩擦から起こる不快さは大きくなります。
自分の分の食費の支払い時、自分の分だけでなくパートナーや子供のことまでの食費を支払う時、そして地球の裏側の見知らぬ人の分を支払うことを考えた時、を比較してみます。
自分の分の食費を支払うのが一番コストが低そうです。
では家族3人分の食費4,500円を支払うコストと、地球の裏側の見知らぬ人達の食事を用意するために支払う4500円はいかがでしょうか?
大抵の場合は、家族のために用意する4500円の方が、支払いやすいですよね。
つまりここでの数値は、抽象度を上げることで「不快さ」の数値がいきなり見事に逆転したりはしません。
さて、苫米地博士の論文の「2.12.3抽象度依存型共有関数」には、このように書かれています。
共有安定性汎関数を抽象度に依存する形に拡張する:
Si(x; αi) = Σj≠i wij(αi) d(xi , xj)
ここでwij(αi) = exp(−dist(i, j) / αi)。αiが増加するにつれ、遠くの主体がより高い重みを受ける。
自分の家族やせいぜい隣近所の人10人分までしか考えていない人と比べて、地球全体83億人全ての平和を考えている人の方が、「考えなくてはならないこと」の総数は多くなるであろうことは予想ができます。
数値的に考えて、そちらの方が不快な思いをする機会が増加します。
数式の構造に基づくと、「αiが大きくなると、不整合の大きいものに高い重みがつき、その数が増えるため、第2項単体の収束確率は悪くなる」結果となります。
抽象度が高く利他性が増すほどに、身近な人だけでなく地球人あるいは宇宙人全てのことまで考えるようになるのですから、むしろ不快コスト、ストレスコストは増加する、というのが第二項です。
すなわち「利他性は非合理」で、リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』のような世界となります。
ではなぜ「利他性が非合理ではない」と言えるのか?
続きます。