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ラテンニュース 転機。話そう、話しましょう(40)タレント、シルクさん

【人・生き方】

 ■相方が亡くなってからの人生は「おまけ」 スタートラインは2度ひける

 “よしもとの美容番長”として知られるタレントのシルクさんは、年齢不詳の若々しさと独自の美容法で注目を集めています。かつては漫才師で、コンビを組んでいた相方が早世したショックから、一時舞台を離れたこともありました。再起を後押ししたのは-。(豊田真由美)

 ◆異色の漫才コンビ

 漫才に本格的に魅了されたのは、吉本興業(現・よしもとクリエイティブ・エージェンシー)に入ってからだった。学生時代は漫才ブーム。お笑いが好きで、大阪外国語大学(当時)の学園祭では同級生のミヤコさんとコントを披露していたが、プロになるつもりは全くなかった。

 ところが、一般企業に就職後、1年もたたないうちに、吉本に入らざるを得ない状況に追い込まれる。気軽に受けた漫才のオーディションで注目され、新聞に「大卒の漫才師」と取り上げられたのだ。今でこそ有名大学出身の「高学歴芸人」は珍しくないが、当時は異色の存在。女性の漫才コンビも少なかった。

 「できるところまでやってみよう」と始めたら、のめり込んだ。NHK上方漫才コンテストで最優秀賞、朝日放送主催の新人コンクール(現ABCお笑い新人グランプリ)では最優秀新人賞を獲得。滑り出しは好調だったが、客層が幅広くなると笑いが取れず、打ちのめされた。掛け合いの間合いが1秒ずれると受けない。でも、ぴったりかみ合えば、“どかん”と笑いが起こる。分かってきたのは4~5年がたった頃。「これか!」と思った。

 ◆相方の死

 相方のミヤコさんとは小学生の時に塾で知り合い、中学・高校・大学は同じ学校に通った。コンビを組んでからも周囲に珍しがられるほど仲が良く、同居するなど常に一緒。しかし、結成から十数年が過ぎ、着実にキャリアを積み重ねていた2人を病魔が引き裂いた。番組の企画で、人間ドックを受けたミヤコさんに肺がんが発覚。医師が告げた通り、その半年後に30代の若さで他界した。

 以来、漫才をしたいとは一切思わなくなった。「漫才には魅力を感じていたけど、あの子じゃないとだめだと分かった。私はあの子とやる漫才が好きだったんだ、と」。1人で舞台に出たが、うまく話せなかった。相方がいた左側を見られず、顔の左半面がけいれんし始めた。これでは舞台に立てない-。

 所属事務所の勧めもあり、約半年間、仕事を休んで米ニューヨークの友人のもとへ身を寄せた。お笑いをやっていながら、いつまでも暗い顔をしていられない。それに、どこへ行っても「あぁ、相方亡くしたあの子ね」と、哀れみの目で見られるのが嫌だった。

 ニューヨークでは、持ち前の明るさと自信を取り戻し始めた。ある朝、いつものようにジョギングに出かけたとき、フェースエクササイズの教室の看板を見つけた。顔を鍛えるという考え方が新鮮で、興味を引かれて通い始めた。すると、2カ月半ほどで顔のけいれんがなくなり、夢中に。近くのサルサダンスの教室から漏れ聞こえてくる音楽に引き寄せられ、このラテン系の踊りも習い始めた。

 渡米から約半年後、ラジオのパーソナリティーのオーディションに受かり、帰国。タレントとして、1人での仕事も少しずつこなせるようになった。ニューヨークで始めたジョギングや料理は習慣化し、体重も自然と減った。

 ◆“美容番長”に

 「美容番長」としてブレークしたのは、後輩芸人のおかげという。あるとき、男性お笑いコンビが番組の企画で自身に一日密着。「姉さんみたいな美容マニアは周りにいない。女の人を塾みたいに集めてイベントしたら?」。そう言われたのが、平成16年から続く女性限定の美容イベント「べっぴん塾」を開くきっかけになった。

 仕事でサルサダンスを披露するようになったのも、後輩から深夜番組で見せてほしいと頼まれたのが最初だ。まじめに踊ったつもりだったが、なぜか受けた。「若くはないのに、肌を露出した衣装で堂々と踊る。そのギャップがおかしかったのでは」。うれしいショックだった。

 一時は引退も考えた芸能界での再起。時間はかかったが「相方が築いてくれたものをゼロにしたくない」という思いがあった。「相方が亡くなってからの人生は『おまけ』。つらいことがあっても、そう思えば何でも乗り越えられる」。2人で歩んだ道のりを引き返さなくても、途中からまたスタートラインを引いて再出発すればいい。それが「生き残った幸運を生かす」ことだと信じている。

 ≪Plus≫

 --「噂年齢50歳」といわれていますが、噂は本当ですか

 「ご想像にお任せします」

 --曖昧にしているのはなぜ

 「見た目年齢がほんまの年齢と思っているんです。年齢を言ってしまうと、みんなそれを基準にして考えるでしょう。見た目で判断してほしいからです」

 --ご自身では何歳と思われますか

 「40代から体力もそんなに衰えていないし、先日、体力測定で肺活量とか骨密度とか測ったら、ほんまに40代やったんです。やってきたことが間違っていなかったと自信になりました」

 --シルクさんのような女性がいると、年を取るのが怖くないですね

 「めちゃくちゃ楽しいです、40代から。マラソンも走れるようになったし、衰えやしわも楽しめるようになってくる。『老化』じゃなく『発酵』やと思えてきたかな」

                  ◇

【プロフィル】シルク

 しるく 年齢非公表、大阪府生まれ。大阪外国語大(現・大阪大外国語学部)卒。大学卒業後、友人のミヤコさんと漫才コンビ「非常階段」を結成。朝日放送主催のコンクールで最優秀新人賞を受賞するなど頭角を現したが、平成8年にミヤコさんが死去。漫才をやめ、現在はバラエティー番組や女性限定の美容イベントなどで活躍している。自身の美容法をまとめた著書「シルクのべっぴん塾」「シルクのべっぴん塾 美欲」(いずれもヨシモトブックス)が発売中で、「シルクのDVDべっぴん塾」もリリースした。



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ラテンニュース ウチナーンチュ大会 華やかステージ、バザールもにぎわう

 第5回世界のウチナーンチュ大会3日目の15日は、終日あいにくの雨に見舞われたが、メーン会場の沖縄セルラースタジアム那覇は、海外からの県系人だけでなく一般県民も多く訪れた。多国籍の料理が楽しめるワールドバザールなどがにぎわい、ステージでは沖縄ラテンフェスタとして、ディアマンテスをはじめ、サンバやサルサの演舞やバンドが盛り上げた。
 沖縄コンベンションセンター劇場棟では琉球の風「琉球クリエイティブと琉球舞踊」が開催され、同センター展示棟では現代版組踊「翔べ!尚巴志」が、同会議棟ではワールドウチナーシンポジウムやビジネスフェアが行われた。
 夜には浦添市など7市町村で歓迎交流会が開かれ、県系人らは出身市町村で親戚らと再会した。那覇市小禄では「世界のウルク・タバルンチュ歓迎親善交流大会」があり、字単位で交流会が開かれたところもあった。
 最終日の16日は、グランドフィナーレに宮沢和史、喜納昌吉、BEGINらが出演。カチャーシーと花火で4日間の幕を下ろす。



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ラテンニュース サルサ教室:軽やかに キューバ人の島大院生が指導--松江 /島根

 キューバ出身の島根大大学院生が指導するサルサ教室がこのほどカラコロ工房(松江市殿町)であった。20~60代の男女9人がラテン音楽に合わせ軽やかなステップを踏んだ。
 企画したのは松江市在住の会社員、佐々木晶子さん(26)。留学先のドイツでサルサを始めたが、松江では踊る機会が少ないため「踊る場を作ろう」と発案。ラテンアメリカ文化を広めたいという島根大大学院生、マルケス・フォン・ダミアンさん(36)に声をかけて、実現した。
 練習は基礎ステップが中心。サルサは初めてという松江市、化粧品販売、松本たみ子さん(59)は「普段は会わない人たちと一緒に踊れて楽しかった」と喜んだ。
 マルケスさんによるとサルサはキューバ人の生活の一部。松江でも自宅で音楽を流してステップを踏み、故郷を懐かしんでいるという。教室は今後も月1回開く。問い合わせはカラコロ工房(TEL0852・20・7000)へ。【宮川佐知子】

9月28日朝刊



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