令和元年六月は非常に意義のあ
る月です。みなさんがよくご存知の
”あのひと”が17歳の夏に単身
上京するという重い決断を下した
のは昭和54年の今頃で、それか
ら40年となるのが今月です。
当時”ノリコさん”が御両親を数年
かけて説得、そして翌年(昭和55
年)春に卒業してから上京するは
ずだったにもかかわらず、
七月には東京の学校に転校と
いう”有言実行”をなしとげたのが
この年の夏のことです。
「せっかくのチャンスなのに、
来年の四月なんて、じっと待ち
きれません!」
そう言って単身上京しました。
今思えばこれが正解でこのタイ
ミングしかなかったのですが、
この有言実行こそが、のちの
成功につながる”セイコの底力”
なのでしょう;
この決断がなかったら、なんて
今更なのかもしれませんが、
"松田聖子と言う存在はなかった
かもしれない"とよく言われます。
聖子さんが過去に語ってい
ましたが、
「大きなチャンスを頂いた
とき誰にでも、何処にでも、
いつでも出てくるチャンス
ではないように思えた。」
「人生にはいくつかチャンスが
あるんだと思うんですけど、
これは人間として経験して
おくべきもの」
「自分では本当に普通の事、
私の中では普通の事、
私に起こってきた事の中で
本当に私が心から直感して
やろうと思ってきた事を
やっただけ...」
チャンスを逃して後悔するくらい
なら失敗を恐れずに挑戦する
姿勢こそがセイコの真髄だった
のでしょう、そうやって前だけを
向いて生きてこられました、
それを後知恵で、ああすれば
よかった・・・と言うのはまさに、
負けイヌの遠吠えなのかも
しれません。
聖子さんの功績をたどると、
神がかっている、というか奇跡
的な出来事の積み重なりがあ
るといわれます。
予定通り昭和55年春に上京
していたら、4月1日のレコードも
発売されなかっただろうし、エク
ボのCMの曲ヒットも他のひとが
歌っていたということになるから
です、しかし学生時代から信仰
心が強かった聖子さんには
”神の導き”があったのでしょ
うか、幸運の女神は”聖子”
に微笑みました。
”松田聖子”はそれから40年
たっても、昭和、平成、令和を
通して第一線で活躍し続けて
います。余談ですが聖子さんの
可愛さも年々進化しており、
なぜか歳とともに若返って
いっていると言う噂もありま
す。これも奇跡なのかもしれ
ませんね;
今年の埼玉公演の”熱狂ぶり”
をきいて来年の”40周年”では
良い席がとれるのかすこし気
になりましたが、来年の事は
またそのときに考えた方が
よいのかもしれません。
埼玉、名古屋・・・・・・とセイコ
の夏はつづきます。
今年は40年前に決断を
くだした聖子さんの勇気
に感謝しながら応援した
いとおもいました;




































