研究者によるインナージャーニー:「私」の記録と観察

研究者によるインナージャーニー:「私」の記録と観察

親の許す厳しい条件の中でしか進路が選べず、どうしたら望む道に進めるか必死でもがいた結果、社会人になって2度大学院に入り、研究者に。一番難しい「私」なるものを少しでも明らかにするために、日々の気づきを綴ることにしました。

数日前に、突然心底思った(いわゆる言葉が降って来た感覚)ことがあります。

 

 


それは、

「自分の使命に沿った仕事だけする!」

ということです。

 


 

私の場合、自分の使命=研究すること なのですが、

 

 

研究や自分の研究テーマに関連・関係する仕事はするけど、

そうではないことは、もうやる必要がないんじゃないかと、突然強く思ったのです。

 

 

 

今年の3月に大学の専任教員を辞めて以来、

 

 

体調を回復させることもあり、数か月間最低限の仕事だけしていました。

その仕事は、自分の使命に関する仕事のみです(週1回の非常勤や講演、執筆等)。

 

 

 

毎月の生活に必要な額は稼げてなかったですが、

失業手当や貯金等で補填できたので、問題なかったです。

 

 

 

 

その後、私の研究に直結する研究所で、急遽声がかかり、

7月から今年度末まで、産休代替で仕事をさせていただくことになりました。

 

 

結果的に、大学を辞めてから、自分の使命に沿った仕事だけして生活することが可能な状況になりました。
(とりあえず1年間)

 

 

 

私が研究者を志してから、ずっとずっと心から望んだ働き方であり生き方。

気づいたら概ね実現していました。

 

 

 

実現しているのに実感できなかったのは、

絶対的な収入がかなり少ないこと、

(現時点では)あと半年しか現状が保障されていないこと、

研究にコミットした自分のサービスや事業がスタートできていないこと

 

 

が主な原因かと思います。

 

 

 

 

研究にコミットした仕事で、大学教員時代までとは言わずとも十分生活できるくらい稼げていないと、

「自分の使命に沿った仕事をして生きる」が体現できていないと思いこんでいました。

 

 

なので、もう少し体調がよくなったら、

なるべく研究に直結する稼げることで稼ごう。

直結しなくても、研究する時間を確保したうえで、

(なんでもいいから)私ができる仕事で稼ごうと

焦っておりましたえーん

 

 

 

 

よく考えて見たら、平均的な年収や生活費が、私に必要なのかと考えたときに、

必ずしもそうではないのです。

 

 

 

 

そもそも、研究自体は稼げるものというか、稼ぐ目的でやる行為ではありません。

いわゆるライフワークだし、アート的な要素もあります。

 

 

 

半年前までの、社会人になってから四半世紀以上、

「生活のため」「(親・恩師・社会の)期待に応えるため」という言い訳をして、

自分の使命に全然沿わない仕事を多くしてしまったので、

 

もうそのような仕事の仕方・生き方はせず、使命に沿った仕事・生き方をするぞ!

と思いました。

 

 

 

「必要以上にお金のために働かなくてもいい」状態でいられる思考や、

そのためにやっていることは、また改めて書きたいと思います。

 

 

■教育ネタ・沖縄ネタ右矢印 X(Twitter)音符 Instagram キラキラ

■研究者としての個人webサイト 
右矢印 萩原真美-オフィシャルサイト-

■執筆した書籍・雑が。