ホールは、人間が空間をどのように利用しているかについて研究を行い、社会空間における人々の物理的な距離感を幾つかに定義した。これらはプロクセミクスと呼ばれ、密接空間、個人空間、公共空間、社会空間に分類される。

それぞれのケースで人々は大小それぞれの個人の泡を纏い、そこに侵入されることには嫌悪感を覚える。

しかし、例えば満員電車等ではその泡の大きさを保つことができず、無理に泡を縮めながら暮らしていく必要性が求められる。大きく足を広げて座ったり、音漏れの激しい音楽を聴くことは、泡の調整が不適切だということで批判されるのである。

 

電車内などの公共空間では、個々人が相手に過度の関心を持つことは不適切であることとされる。前の席に座る相手を凝視したり、急に話しかけたりすることはよろしくないことであることは我々の感覚上でも明らかである。

これをグフマンは儀礼的無関心と呼んだ。あくまでも儀礼的な無関心であり、完全な無関心はまたそれでよろしくないところがミソである。

例えば電車内で化粧をすることは非難されがちなことだが、その理由としては、「無視されている感じ」というものが主要なものとしてある。

公共の空間では、化粧に集中して個人の領域に没頭することや、カップルや友人同士がその集団が造り上げる空間内に集中することは好まれないのである。

個人あるいは集団内で集中してしまうことをゴフマンは「離脱」と呼んだ。

互いにあからさまに関心を向けたりしないが、完全な無関心であるわけでもない、見えない糸で織られた社会が公共空間にはできあがっている。