お久しぶりの更新です。

2019年もなんだかんだで2週間経ってしまいましたね。
時間は待ってくれないな。



私が結婚したのは21才になってすぐ。
今思い返すと早すぎたな〜と思います。

両親が離婚する事になったものの、あんな父親だったから
離婚したいなんて母が話したら殺されるかもしれないと恐怖し、
離婚するための材料集めに20才の頃は翻弄しました。
母が離婚する決意に至ったのは家庭内暴力ではなく父の不倫。
一戸建てに引っ越してすぐ、父は以前住んでいたマンションに
ロシア人女性を籠い続けていました。当然一戸建ての我が家には
あまり帰って来ることがなくなり、引っ越して3年後
私は父とその女性の不貞行為を証拠に残すためしばらく
探偵のようなことをしました。

証拠写真を集め、日にちを決めて夜逃げ。
アパートの契約やらなんやらバタバタとやりました。

短大では、朝登校したら急にハブられる女子特有のイジメと
ありもしない噂をばら撒かれ、不安神経症になり
抗鬱剤と睡眠薬を処方され、短大卒業したものの、
アパートには私の部屋もなく3人の弟と母の面倒を金銭的に
見なければと思っていたのでトラックドライバーになりました。

そして短大卒業、夜逃げ、その半年後結婚。

元々結婚願望や幸せな家族が欲しいという思いが
人一倍強かったのも結婚が早すぎた理由の1つかな。

まさか結婚した事をすぐ後悔するとは
当時思ってもみませんでした。
当たり前といえば当たり前ですが。
後悔先に立たずってやつですね。

結婚後もバリバリと働き続け、母が辛そうな時には
援助もしながら、弟が風邪をひけば病院へ連れて行ったり
そんな日々が3年続きました。

私は子どもがずっと欲しくて、若かったので簡単に妊娠できると
思っていたけれどなかなかできず3年経過。
当時の夫は淡白な人だったので、夫婦関係は
それほどなかったのが問題なんですがね。

それでもやっと娘に恵まれ、いざ出産。

母が助産院で子ども達をお産し、ずっと子どもと一緒にいれたり
和室で陣痛から出産までゆっくりと流れ作業でなく迎えたかったので私も助産院での出産を選びました。

8月の真夏。
夫の帰りを待ってそろそろ寝ようと思った夜中2時52分破水。
助産院へ連絡し、すぐに直行。
夫は一人、俺疲れてるから。と家に帰り就寝。

一人陣痛に耐える事14時間。
母が夕方仕事を終えて来てくれました。
待てど暮せど夫は来ず、陣痛開始から19時間後に
すっきりとした顔をして来た夫。

いやーよく寝た。って旦那。
私は前日から寝ていないので意識絶え絶えに陣痛と陣痛の合間に気絶。
なんなんだろこの人。

こう思ったのは言うまでもない。

助産院の先生が、出産は女の人にとって大きなことだから
いい出産でないとその後の結婚生活に響くのよと言われたのを
今でも思い出します。

事実でした。

お産は20時間41分かかり、無事娘をお産。

陣痛を逃がすのに自分が楽だったからと腰を力いっぱい擦られすぎてぎっくり腰になりましたが幸せいっぱい。

助産院での沐浴は、ぎっくり腰で思うようにできず、先生に
手伝ってもらいました。

そして退院し帰宅。

それからは結婚した事を後悔する日々。


ぎっくり腰で沐浴の手伝いをお願いすると、
あー無理。
そう吐き捨てられ、痛い腰を我慢しながら沐浴の毎日。

母乳で育てていましたが、乳腺炎になり高熱を出し
おっぱいマッサージへ行かねばならなくとも何もフォローはなく

自分の子どもなのに抱き上げようともせず

泣いていても、聞こえないフリ。
オムツかえてあげてと言っても、
返ってくるのは、俺は疲れてるから。

お風呂に入れて上げたいとか抱っこしたいとか思わない?と聞けば
別にない。と言われ

休みの日になれば
自分の部屋にこもってオンラインゲーム。

休みの日に家族で何かしたいと言うと
俺だって休みの日くらい自分で満喫したいんだとキレられ
浴びるように酒を飲みながらゲーム三昧。
自分の部屋やリビングは空き缶空き瓶、こぼした酒、つまみの食い散らかしまみれ。
それを朝起きて娘の面倒を見ながら片付ける私。

めずらしく、週末は○○に行こうかと提案される事もありました。
嬉しくてお弁当を作って夫が起きてくるのを待つ私。
なかなか起きてこないので起こしに行くと

あーやっぱり疲れてるから無理。
と………

え?どゆこと?って思考停止状態になります。

そんなやりとりを2年ほどやると
期待して期待を裏切られてというループに疲れて
期待するのをやめる。という状態になりました。

休みの日には私一人で公園へ娘を連れて行き
お弁当を娘と食べ、家族で遊びたい時には、
私の母や弟にお願いする。
キャンプなんかもさすがに娘と二人では難しいので
弟や私の家族と何度か行きました。

ちなみに娘をお産してからはセックスレス。

夫は私と娘にお金をかけるのが嫌いで
寿司屋に行けば食べるものの順番がありました。
最初にラーメン。次に納豆巻きとかっぱ巻き。
そしてやっと自分の好きなお寿司。
ここまで書いて分かると思うけれど
一皿百円のお寿司屋さんです。

娘が一歳半の頃、まだまだおっぱいっ子だったけれど
仕事をしろと言われトラック復活します。
娘はおばあちゃんにお願いし娘が寝ている間に仕事し帰宅。

そんな日々を送っていたある日、ストレスからか母乳が出にくくなり人間国宝のおっぱいマッサージのおばあちゃん先生に
見ていただくと、胸にしこりがあると言われ
乳がんかもしれないからすぐに病院へ行くよう言われました。
帰り道、もしかしたら娘とお出かけできるのは
最後かもしれないと動物園へ行ったのが懐かしい記憶。
その日に夫に乳がんかもしれないからすぐに病院へと
言われた事を言うと、
あーそう。大変だな。お金かかるな。
と言われ、謝った私。
診察には付いてきてくれるはずもなく
娘を母に預けて検査。
検診ももちろん一人。
どんだけ心細かったか。
結果は陰性。
ホッとしたのを憶えてます。

ときは過ぎ、娘が二歳半の頃、関東大震災が起き
その三ヶ月後、私の体調が急変。
体がダルく、全く動けなくなりました。
気力とかそういう話ではなく、ほんとに体が動かない。
なんとか仕事はしていたもののやはりおかしいと
10月に病院へ行きました。

甲状腺機能低下症。

治らない難病で、子どもは妊娠できないだろうと言われました。
震災による放射能の影響かどうか断定はできないが
それも否定できないと。

それから7年。

2018年末、娘を育てていけるだけの金銭的余裕が私もあり
離婚が決まります。

離婚が決まった時には、
籠から放たれた鳥のような気分になりました。

元旦那の話はまだまだ色々ありますが
長くなるのでかなりはしょってます。

俺は子ども別にほしくない。
そういえばそうボヤいていたなとお産後に思いました。
結婚していなければ…とか
色々思うけれど後の祭り。

自分の子どもには、結婚相手を見極めて本当の幸せを得て欲しいと切に願います。


次回は離婚のその後を書こうと思います。