小学校の授業参観があった。

まずは長男の4年クラスへ。


小3の頃、授業中もよく発言をし、休み時間には校庭でみんなでドッチボールをしながら弾けるような笑顔を見せていた長男。


その姿は、

もうありませんでした…



授業は真面目に取り組むものの、発言はせず、静かにそこに存在していました。心なしか、泣くのを堪えてるような、辛そうな表情に見えました。


その代わり、問題児と言われる転校生が大きな声で雑談しています。彼がきてからクラスの雰囲気が変わりました。透明な水に一滴の墨汁を垂らしたように、全体は薄暗い影を帯びています。彼は授業なんて聞かずに無駄口ばかり叩いています。


長男は、

移動教室も誰かと絡むことなく1人。


休み時間になると、図書室に直行をし読書をしていました。



たった1年なのに、

こんなにも、、変わるんだ。。



小4の4月はみんなで公園で遊んでいたものの、5月から急に行かなくなったので、その直後からの変化なのでしょう。


長男のこれまでの会話から、問題児を中心としたグループができあがっていて、長男はそこから排除されるような言葉を投げつけられているようです。


クラスの片隅で耐えるように存在している長男を見ていてこちらまで苦しくなる。


果たして来年も、再来年もこの状態が続くのでしょうか。

それともクラスが変わればまた変わるのでしょうか?




「学校に行きたくない。ここから離れたい」



長男のその切実なる願いは、奇しくも中学受験への意思をより強固なものにしているようです。



私はカーストという制度などない日本であっても、実は透明なガラスで区切られるように世界が二分されていることを知っています。


それは、底辺の家庭で育ち、荒れた公立中を経て中堅高校に進み、Fラン大学を卒業したにも関わらず、醜いアヒルの子状態で白鳥たちの中に紛れ込む社会人生活を送ったから。

同じ日本にいるのに、同じ時代を生きる同じ年齢なのに、全く違う人生を送っている人たちを目の当たりにしています。


そして私がいま付き合いがある友人たちは、ほとんどが社会人になってからの友人のため、育ちのいい人たちです。


当たり前に中学受験をし、ピアノを弾きこなし、英語もペラペラ。お金に困ったことなんてない。

人生を自分の手でコントロールして謳歌しています。


彼ら彼女たちにとって、昔の私のような、世間の理不尽さに耐えながらなす術もなくただ生きるしかない人たちの存在は、映画の中のように現実感がないものなのです。


そして街中ですれ違うことはあれど、人生が交錯することはない。


なのでもし長男の中学受験が成功すれば、それは玉砕混合の世界を出て、二分された世界の入口に足を踏み入れるということ。


もう授業を妨害したり、徒党を組んでいじめを行うような人の限りなく少ない世界を歩んでいくことになるでしょう。


その時にはじめて、この混沌とした小学校高学年の数年もいい経験だったと言えるのではないかと思うのです。


「絶対にそんなふうに思わない。最悪な経験だよ」


と今は言うけれど、そう懐かしめる日が

世界の分断を知った上で今に感謝できる日が

いつか来ればいいなと願うのでした。