人生上手くいかないとか思ってる人って、死ぬ前提で生きてないって話をします。

 

 

どうもこんばんわ、ダルちゃんです♪

 
人生ダルイなって思う事ありませんか??
 
実はそれはいつ死ぬかも知れないと思って生きてないからと、仏教は言ってます

要は、死ぬ前提で生きてないって事です

 
「いや、私は死を覚悟して生きてます!」

「死ぬのなんて怖くない」

そう言う人でさえ、悩みが絶えないなら、実は死をリアルに感じて生きてないと言う事です
 
どうしてそれが分かるかと言うと、
仏教では死への感度を"鞭"に対する"馬"の反応で例えてます
敏感~鈍感まで4通りあるのですが、
   
①鞭影を見て驚く馬
②鞭、毛に触れて驚く馬
③鞭、肉に当たって驚く馬
④鞭、骨にこたえて驚く馬

解釈は、
 
①鞭影を見て驚く馬
花びらが落ちるのを見たり、火葬場の立ち上る煙を見て、自分の死も身近にあり、いつやってきてもオカシくない事を悟り、心底驚く
②鞭、毛に触れて驚く馬
葬式の行列や、霊柩車を見て、自分の死も身近にあり、いつやってきてもオカシくない事を悟り、心底驚く
③鞭、肉に当たって驚く馬
親戚や隣家の人の葬式で、自分の死も身近にあり、いつやってきてもオカシくない事を悟り、心底驚く
④鞭、骨にこたえて驚く馬
肉親の死に逢って、自分の死も身近にあり、いつやってきてもオカシくない事を悟り、心底驚く
(父、母、妻、夫、子供など...)
 
死に対して心底驚くとは、次の瞬間死ぬ可能性が自分に十分あると感じて、
死を覚悟するという事です
 
「いつ死んでもいい」と言いながらダラダラ生きてる人や、
「死にたい」と言いながら死なない人は、これに当てはまりません
 
なので、
①鞭影を見て驚く馬花びらが落ちたり、火葬場の煙を見て、死を覚悟
②鞭、毛に触れて驚く馬葬式の行列や霊柩車を見て、死を覚悟
③鞭、肉に当たって驚く馬親戚や隣家の葬式で、死を覚悟
④鞭、骨にこたえて驚く馬肉親の死で、死を覚悟
 
こう見たら分かるのですが、ほとんどの人は4番目にも当てはまらないと思います
僕は親父が死んで、母親が死にそうになってても自分の死を覚悟しませんでした
 
自分の親族が死んだからって、自分の死はまた別問題だと思ってるのが人間です
 
例え一時的に死を覚悟しても、1年後はどうでしょうか??5年後はどうでしょうか??
 
だから人間は悩みが絶えません
 
 
では、死を覚悟した人間がなぜ悩みから解放されるかと言うと、
僕の仏教への解釈ですが、
死を覚悟すると、本当の意味で何も怖くなくなるからじゃないかな?と思ってます
 
強がりでいきったり、大声で怒鳴り散らしたり、権力財力で人を蹂躙したり、マウントとったり
そういう世間で起きてるあらゆる下らない事をする必要がなくなるからです
 
要は悩みの種が最小限~無になると言う事です
悩みの種が減る方向で生きる様になります
 
それが死を覚悟した人間が悩み少なき人生を生き、それができない人間はいくら口先で何を言っても、
悩み多き人生になる理由だと思ってます
 
 
 
ちなみに仏教は、死の覚悟をして、悩みなき人生にしていく方法を教えてくれいて、その方法を仏法と言います
 
           
悩み無くなると暇過ぎてこんなんになります(笑)
※ガチ