どういうスタンスでこのブログをやるのか決まっていないけど、とりあえずイラストや歌をインスタにアップする目的で義理の姉と友達と考えたこの名前で登録をしてみました。
さて、初めての投稿でなにを書きたいかといいますと。
最近、とくに吉沢亮さんをものすごく愛しているわけでもないのに、映画「ババンバンバンバンパイア」と「国宝」を立て続けにみることになったんですね。
そこでものすごく「生きることとは?」「一体何が幸せなんだ?」と考えさせられたので、高校生のときくらいからずっと悩んでいたことを絡めつつ、あらためて考えて記録に残しておこうと急に思い立った次第です。
ちなみに、自分語りがしたいだけなので、映画の内容には一切触れません。笑
高校生のときのわたしは、とにかく生きるのがめっちゃ辛いと思っていて、
なんで生きなきゃいけないんだ?どうしたら幸せになれるのか?そもそも幸せってなんなんだ?みんなは幸せそうで、やりたいことをやらせてもらえる自由があって、それに向けて頑張れていて、生きている意味がありそうだ。
…なんてことを暇さえあればずっと考えていたし、基本ずっと暇だったから、考える材料もないのに、考えすぎて一時不眠症になったりしてました。笑
そして特にこの悩みは解決しないまま、ずっと苦しみながら一応生き続けて、そのまま大人になりました。
(大人ってなんだ?っていうのもまた語りだしたいテーマではありますが、一旦ここはやめておきます)
いま改めて書いてみると、ほんと10年以上おなじことに悩み続けて、いつも同じ答えにしかたどり着けていないな…と成長のなさを感じて苦笑いしてしまうけども。
そんなこんなで惰性で生きていたら、2年前に祖父が亡くなって、今の私が思う(※)今までで辛かった時期ランキング第1位!!!と堂々と思える1年間を過ごすことになりました。
※今のわたしから一番近い辛い時期のことだから大きく重く心に存在しているけど、もっと昔も鮮明に思い出せなくなってる辛い時期はまぁまぁあったのでこの順位はあくまでも流動的なものあることを示しておきたく、あえてこういう表現をしてみました。
(↑わたしのめんどくささが詰まっているよな)
身近な人が亡くなるのが初めてだったのもあるけれど、祖父が亡くなる前の数年間で、わたしの中でかなり祖父の存在は大きな支えになりつつあって、亡くなったから美化している部分もあるのだろうけど、身近な人に自分の選択や意思を否定されたり馬鹿にされたりすることがめちゃめちゃ多かったわたしにとって祖父は唯一の男性の味方でした。
今も基本的に男性は女性のこと下に見て馬鹿にしてるんだろうなと思ったり感じたりすることも多いけど、祖父の存在があるからそうじゃない男性も中にはいるんだなってことを実感込めて信じることができています。
それくらい、わたしの中で大きな存在であった祖父ですが、自分がコロナにかかってしまい、治ったら会いに行こうと思っているうちに亡くなりました。
そこからはもう、祖父がこの世にいないことが意味不明で、別に日常を送ることはできているけれど、本当は今すぐ大泣きしたい気持ちを隠して普通に過ごすことがとにかく辛く。
辛いことを打ち明けてしまったら、打ち明けてしまった相手はどうしても私を元気づける立ち回りを強制されてしまうし、わたしも元気づけられたら無理にでも元気になった姿を見せなければいけないと思ってしまい、それはお互いにとって良くないことだと思うからほとんど誰にも弱り切っていることを打ち明けられなかった。
そんでもって、周りからしたらわたしはいつも通りに明るくしているから「いつもの元気なわたし」に向けていろいろな言葉を投げかけてくれるけど、それに対して自分は100%で返せていなくて、そんな中途半端な自分を他人に見せ続けることもまた辛く。
そんな日々を送っていたら、かなり傲慢だけども、わたしの辛さを見せられない人たちになんでわたしが明るさを提供し続けないといけないんだ?というモードに陥る日も増えてきて、自分のことも周りの人のこともみんな嫌いで、毎日のように仕事帰りの電車の中で涙が止まらなくなる…ってかなり異常な状態でした。
今思うとよくないなぁと思うけど、けっこう本気で「〇にたい」ってずっと思ってたし、泣きながら「〇にたい」を叫びまくるような日もありました。
その時がピークで「なんのために生きなきゃいけないんだ」「幸せなんか一生こない」「幸せに感じる瞬間があったとしてもどうせこの先ずっと誰かを失う地獄の苦しみが待っているだけだ」と悲観的にぐるぐるぐるぐる考えて考えて…。
だけども、わたしが数年前から毎年恒例行事としている西新井大師へのおまいりに行った際に、境内でやっている指輪を授けてくれるお店で祖父を亡くしたことを伝えたところ、「亡くなった人のために生きてる自分がしてあげられること」を教えてもらいまして。
そこでわたしの中で「生きる意味」とか「幸せ」とかの軸みたいなものが出来上がったような気がします。
「亡くなったおじいさんのために生きてるあなたができることは、幸せに生きることだよ」
「あなたが幸せに生きてくれてることが、亡くなったおじいさんが一番喜ぶんだから」
「あなたは幸せに生きることだけ考えてください」
これ言われて大号泣したわたしは、そこからこの言葉を頼りに生き返ってこれました。
そうして、今振り返るとわたしはもしかしたらずっと誰かのために生きたかったのかな~とか思いました。
でも誰のために生きるのかも定まらず、わたしがやりたいと思うことは誰の役にも立たないことのように言われることが多かったから、誰かの役に立つ方法も持ち合わせていなくて、自分に生きる価値なんかないじゃん!と思っちゃってたのかな、と。
でも、指輪屋さんの言葉を聞いて、たしかにわたしの祖父は確実にわたしが幸せになったら絶対喜んでくれる人だし、わたしは祖父に喜んでもらえる生き方をしたいと思えたし、
今となっては、ありがたいことに祖父だけでなく、身の周りにもわたしが幸せになればなるほど喜んでくれるなって人がいてくれていることにも気づけているので、その人たちのことを喜ばせるぞっていう、幸せに生きる気満々で生きています。
もはや、生きる意味というか責任さえ感じてきています。
そんでもってこれからまだまだ多くの人と出会っていく中で、わたしの責任もきっと今よりも少しずつ増えてきて、いずれ幸せに生きることにも慣れていって、「なんで生きなきゃいけないのか」なんて問いには時間をかけずになにか答えを返せるような人間になるだろうなという根拠のない自信があります。
そうなったときのわたしがめっちゃ楽しみです。いろんな意味で怖そうだけど!
ちなみに、今の時点ではわたしの生きる意味は「わたしの幸せを喜んでくれる人を幸せにすること」だと思っていますが、「生きる意味」も「幸せ」も、いつのまにか廃れてしまうものだとも思ってます。
とくに「幸せ」なんかは、ほんと一瞬の感情とか出来事とか状態を指す言葉であって、持続するものではない。
決してネガティブな意味合いでそう考えているわけではなく、むしろ今までは「幸せ」に対するハードルが高すぎたから、一瞬一瞬の幸せを軽視し続けてきたなと反省していて。
「幸せ」といえるのは、毎分毎秒幸せな状態が続いていて不幸な出来事が起きないことを指しているように思っていたけど、今は、一瞬の幸せな出来事や心の動きをを何度も何度も噛みしめて思い出せるのが幸せな一日だと思うわけです。
そして一瞬一瞬の幸せ自体は、自分の感情とか周りからの刺激で左右されてコントロールできない部分ではあるけれど、自分が夜眠るときとか一人でいるときに何を思い出すかは自分である程度決められることだと思うので、今日を幸せな一日にするかどうかはある程度自分で決められるのかな、と。
そういう幸せな一日を続けていられたなら幸せな毎日だし、幸せな毎日が多ければ多いほど幸せな人生だし、、、てな感じで、わたしは出来るだけ些細な幸せな一瞬を味がなくなってもずっと噛みしめ続けて大げさに喜ぶ毎日を過ごすようにしていきたいと思っておりますので、みなさんこれからどうぞよろしくお願いいたします。
…なーーーーーーんて考えていることを、わたしの祖父に話すとさ、どんなに長いまとまりのない話でも「そうかそうか」「うんうん」ってニコニコして聞いてくれて、特に祖父からの返答は普段はないのだけど、後から祖母に「おじいさんがダルちゃんのことほめてたよ。〇〇って言ってたよ」って教えてもらえるんだ。
それがわたしはたまらなくうれしくて、祖父に話してよかったなって心から思えるのです。
(テーマから逸れてすぐおじいちゃん大好き話になっちゃうな…笑)
でもここでわたしが高らかにこれだ!と主張する生きる意味も幸せの定義もわからない人にはわからんだろうし、ぜんぶその人次第なんだなと思う。
わたしにはぜったい理解できない「生きる意味」を掲げてものすごく幸せに生きている人もこの世界には山ほどいるでしょうし、ね。
みんなそれぞれのタイミングでそれぞれの「これかも?」に出会うのだろうし、それぞれのタイミングで「やっぱり違ったわw」とも思うのだろうし、「最後までわからんかったわwww」と思って死ぬのかもしれないし、最初から最後まで必要とせず考えもせず生きる人もいるだろうし、、、そしてどれも別にそれでもいいじゃん!
というわけで、周りの人がいつどのようなタイミングでどのような形で幸せそうに見えていても、わたしとは違うだけだから深く考えなくていいのだよと過去のわたしに教えてあげたいし、この先生きていくときにまた不安に陥るであろうわたしにこの文章を残しておきたいので、こーーーーんな長文で、こーーーーんな遅い時間まで頑張っちゃいました。
もう途中思い付きで書き換えたりもしてるから文章つながってなかったりするかもしれないけど、知らん!おやすみ!