玄宗皇帝

農暦685年8月5日丑刻

グレゴリオ暦換算685年9月8日丑刻


年 

 

日 

時 

空亡:午未、申酉

2甲申、12癸未、22壬午、32辛巳、42庚辰、52己卯、62戊寅、72丁丑、82丙子、92乙亥


・人生の前半は、本人の知性や技術を活かして正しい官業を推し進めるが、晩年に財や女性を求め、それらと暗に繋がることが命式に出ている。


大運年運 出来事

乙巳705年 武則天が退位、唐が復興

午庚戌710年 韋皇后・安楽公主を粛清

午庚戌710年 父・睿宗を復位させる

壬子712年 睿宗から譲位を受け、皇帝に即位

癸丑713年 太平公主を排除し、実権を掌握

辛酉721年 宇文融に戸籍調査 租税制度を整備

癸酉733年 全国を15道に再編 節度使制度を導入

卯丙子736年 李林甫が宰相に 政治が腐敗

卯丁丑737年 寵愛していた武恵妃が死去

卯庚辰740年 楊貴妃を寵愛し始める

乙酉745年 楊貴妃との関係から政務を怠る

乙未755年 安史の乱勃発(安禄山の反乱)

丑丙申756年 楊貴妃を馬嵬で処刑。蜀へ逃亡

丑丙申756年 粛宗が即位、玄宗は太上皇に

丑丁酉757年 長安に戻るが軟禁状態となる

丑庚子760年 甘露殿に 粛宗との関係が悪化

壬寅762年 長安で崩御

※生年月日、略歴はwikipedia、百度より



則天武后

農暦624年1月23日戌刻

グレゴリオ暦換算6242月17日戌刻


年 

月 

日 

時 

空亡:午未、辰巳

6乙丑、16甲子、26癸亥、36壬戌、46辛酉、56庚申、66己未、76戊午、86丁巳、96丙辰


・非常に目立つ人物かつ頭の良い人物で、本人が徒党の頂点に座すること、本人が官職を思いのままに制御できることが命式に出ている。


大運年運 出来事

丁酉637年 唐太宗 李世民の後宮に入る(才人)

亥己酉649年 太宗崩御 出家

亥庚戌650年 高宗の後宮に復帰

乙卯655年 王皇后を廃し、皇后に昇格

(高宗と自身との子を殺害し罪を王皇后と蕭淑妃になすりつけることで自身が皇后に昇格)

戌庚申660年頃 高宗の病により垂簾政治を開始

戌庚申660年 新羅の請願を受け唐が百済を滅ぼす

戌癸亥663年 白村江の戦い 旧百済・日本軍を破る

戊辰668年 唐が高句麗を滅ぼす

申癸未683年 高宗崩御 実子中宗を廃位し睿宗擁立

甲申684年 実質的に唐の最高権力者となる

未庚寅690年 自ら皇帝に即位、国号を周(武周)に

未壬辰692年 仏像建立を推進

乙未695年 科挙制度を強化、仏教を厚く信仰

丁酉697年 契丹の反乱を鎮圧

乙巳705年 病により退位 中宗が復位し唐が復活

乙巳705年 洛陽で崩御、乾陵に埋葬される


※生年月日、略歴はwikipedia、百度より

唐高宗李治

農暦628年6月15日卯刻

グレゴリオ暦換算628年7月21日卯刻


年 

月 己未

日 

時 

空亡:午未

大運:6庚申、16辛酉、26壬戌、36癸亥、46甲子、56乙丑、66丙寅、76丁卯、86戊辰、96己巳


・日主の根が欲しい。申運酉運は比較的安定していたが、甲運から陰りが見える。地支をきちんと制御していたほうが運が良い。

・後妻(則天武后)が権力を有することが命式に出ている


大運年運 出来事

申丁酉637年 父太宗が則天武后(武則天)と結婚

酉癸卯643年 皇太子に(兄・李承乾が廃位)

癸卯643年 王皇后が皇太子妃に

己酉649年 則天武后に一目惚れ

己酉649年 唐太宗崩御、高宗として即位

己酉649年 則天武后が皇后に

己酉649年 則天武后が元皇后(王皇后)を処刑

戌甲寅654年 万年宮の洪水事件(薛仁貴が活躍)

亥癸亥663年 白村江の戦いで倭 百済連合軍に勝利

戊辰668年 高句麗を滅ぼす(唐 新羅連合)

子丙子676年 新羅が朝鮮統一、唐は撤退

子丙子676年 この頃 則天武后武が実権、高宗衰弱

丑癸未683年 崩御

※生年月日、略歴はwikipedia、百度より

唐太宗李世民

農暦598年12月21日戌刻

グレゴリオ暦換算599年1月23日戌刻


年 

月 

日 

時 

空亡:子丑

4丙寅、14丁卯、24戊辰、34己巳、44庚午、54辛未、64壬申、74癸酉、84甲戌、94乙亥


・技術や知性の集まるところを徹底的に制御する。

・本人は世の中で目立って活躍する。


大運年運 出来事

卯甲戌614年 長孫皇后と結婚

丁丑617年 父 李淵と挙兵、長安を攻略し秦王に

戊寅618年 唐建国、父 李淵が初代皇帝に

辰丙戌626年 玄武門の変、兄と弟を討ち皇太子に

丁亥627年 皇帝に即位

戊子628年 3代目皇帝李治誕生

庚寅630年 東突厥を討伐し天可汗の称号を得る

午甲辰644年 高句麗遠征に失敗

己酉649年 崩御

※生年月日、略歴はwikipedia、百度より

唐太祖李淵

農暦566年11月25日

グレゴリオ暦換算566年12月21日

年 

月 

日 

時 丙午(皇帝なので丁未かも)

空亡:午未、辰巳


大運年運 出来事

丑癸巳573年 父 李昞が死去、唐国公を継承

寅壬寅582年 千牛備身(皇帝護衛)に任命

戊午598年 唐2代目皇帝李世民誕生

巳壬申612年 隋煬帝の高句麗遠征に兵站監督で参加

丁丑617年 李世民らと挙兵し長安を陥落

戊寅618年 隋恭帝から禅譲、唐を建国

午辛巳621年 李世民が群雄を平定 唐の支配が安定

丙戌626年 玄武門の変で李建成・李元吉が殺害

       李世民に譲位し、太上皇となる

未乙未635年 崩御

※生年月日、略歴はwikipedia、百度より


文帝楊堅

農暦541年6月13日 伝戌刻

グレゴリオ暦換算541年7月21日 伝戌刻

年 辛酉

月 

日 

時 (本当は癸亥かなと考えています)

空亡:子丑、寅卯

6甲午、16癸巳、26壬辰、36辛卯、46庚寅、56己丑、66戊子、76癸亥、86壬戌


・世の中の大きな役職と縁がある。

・癸亥の方が皇帝の命式として効用高い。


大運年運 出来事

乙丑555年 北周の官職に就く

巳丁丑557年 大興郡公に封じられる

巳戊寅558年 独孤伽羅と婚姻

巳庚辰560年 大将軍に任命される

辰戊子568年 父 楊忠死去、隋国公爵位を継承

辰己丑569年 2代目皇帝 煬帝(楊広)誕生

卯戊戌578年 長女 楊麗華が北周宣帝の皇后に

卯庚子580年 宣帝の死後、静帝の下で実権を掌握

辛丑581年 静帝から禅譲、隋を建国

寅丁未587年 後梁を滅ぼす

寅己酉589年 南朝・陳を滅ぼし中国統一

丑戊午598年 高句麗遠征(第1次)を行うが失敗

丑庚申600年 皇太子 楊勇を廃し次男 楊広を太子に

壬戌602年 妻 独孤伽羅が死去 生活が乱れる

甲子604年 崩御

※生年月日、略歴はwikipedia、百度より



劉邦

紀元前(BC)255年12月26日辰刻


年 

月 

日 壬子

時 

空亡:寅卯
7丁亥、17丙戌、27乙酉、37甲申、47癸未、57壬午

・本人が官職を得て、それは公の財を伴うが自分の財とはしない
・自分も含む集団は武芸等の技術を伴う

大運年運 出来事
未辛卯BC209年 沛県の亭長、反秦活動に参加

未壬辰BC208年 項羽らと共に秦王朝に反乱

未甲午BC206年 咸陽陥落 項羽より漢中へ左遷

未甲午BC206年 楚漢戦争(項羽 vs 劉邦)

丁酉BC203年 垓下の戦 項羽に勝利、楚軍壊滅

戊戌BC202年 前漢王朝を建国、初代皇帝

己亥BC201年 韓信を粛清 呂雉が政治に関与

庚子BC200年 匈奴の冒頓単于に敗北、和議

午乙巳BC195年 崩御(戦場での傷が原因)
※生年月日、略歴はwikipedia、百度より

秦始皇帝嬴政

紀元前(BC)259年1月27日丑刻

年 

月 

日 癸亥

時 

空亡:辰巳、子丑

大運:5庚子、15己亥、25戊戌、35丁酉、45丙申


・本人が世の中で官職を得ることが命式に出ている

・日支亥が重要で、亥がやられると運が下がる


大運年運 出来事

癸丑BC247年 秦王に即位

壬戌BC238年 加冠の礼を行い、親政を開始

庚午BC230年 韓を滅ぼす

辛未BC229年 趙を攻撃、李牧を破る

壬申BC228年 趙を滅ぼす

酉乙亥BC225年 魏を滅ぼす

酉丁丑BC223年 楚を滅ぼす

酉戊寅BC222年 燕を滅ぼす

酉己卯BC221年 斉を滅ぼし中国統一 始皇帝誕生

庚辰BC220年 郡県制導入中央集権体制を確立

辛巳BC219年 不老不死を求め方士を派遣

壬午BC218年 焚書坑儒、思想統制強化

申乙酉BC215年 匈奴対策で万里の長城の整備開始

申丁亥BC213年 李斯の進言により焚書を実行

申戊子BC212年 方士の弾圧を強化

庚寅BC210年 全国巡幸中に崩御

※生年月日、略歴はwikipedia、百度より

宣統帝 愛新覚羅溥儀

農暦1906年1月14日午刻

グレゴリオ暦換算1906年2月7日午刻


年 丙午

月 

日 

時 丙午

空亡:寅卯、申酉

10辛卯、20壬辰、30癸巳、40甲午、50乙未、60丙申、70丁酉、80戊戌、90己亥、100庚子


・木火の勢いが強く、自身の思い通りには生きづらい。

・金水が開運のポイント。


大運年運 出来事

〇〇戊申1908年 即位

〇〇壬子1912年 辛亥革命で退位(清朝滅亡)

卯丁巳1917年 張勲復辟で12日間復位

壬戌1922年 婉容が皇后に

甲子1924年 北京政変で紫禁城追放

辰乙丑1925年 天津の日本租界に移住

壬申1932年 満洲国建国、執政に就任

辰甲戌1934年 満洲国皇帝として即位

午乙酉1945年 第二次大戦終結、ソ連軍に拘束

午丙戌1946年 婉容が孤独死

庚寅1950年 中華人民共和国で戦犯管理所に収容

未己亥1959年 模範囚釈放、市民として生活開始

壬寅1962年 一般女性・李淑賢と再婚

甲辰1964年 政協全国委員に選出

申丁未1967年 崩御

※生年月日、略歴はwikipedia、百度より

光緒帝
農暦1871年6月28日寅刻
グレゴリオ暦換算1871年8月14日寅刻

年 
月 
日 
時 
空亡:戌亥、寅卯

3乙未、13甲午、23癸巳、33壬辰、43辛卯、53庚寅、63己丑、73戊子、83丁亥、93丙戌

・財を欲する月干丙が西太后か。
・本人は権威の組織に座するものの、権威と財が相容れない情報。

大運年運 出来事
未乙亥1875年 即位(西太后の意向)
己丑1889年 西太后姪の孝定景皇后と結婚

己丑1889年 珍妃か側室に

巳甲午1894年 日清戦争

巳甲午1894年 寵妃の珍妃を西太后が虐待

巳乙未1895年 下関条約締結、台湾割譲・朝鮮独立

戊戌1898年 戊戌の変法、近代化試みる

戊戌1898年 西太后による政変、光緒帝幽閉

庚子1900年 義和団の乱、西太后と西安へ逃亡

庚子1900年 珍妃が西太后命令で殺害される

辛丑1901年 辛丑和約締結

戊申1908年 紫禁城内で崩御、翌日西太后死去

※生年月日、略歴はwikipedia、百度より