本来、情報を手に入れるというものは、かつては大変で、色々なものを自力でかき集め、知ろうという努力の結果、得られたものであって、そこに快感もあったわけでしょう。
ところが、インターネット上で、パパッと直ぐに手に入り、過剰な便利さが、今環境として整っちゃっております。
人間は、思想、宗教、物をつくる上で、考えて考えぬいてきた歴史があるのに、ところが、今の情報化の過剰な便利さは、人間のその「考える」という行動を停止してしまっているんじゃないかと、つくづく思う。
こんな状況下では、深い思考能力は落ちてくる。
自分でわかる情報だけを得て、わかった気分になっている。
それで、自分がわからないものを直ぐに「これはダメ」と断罪している。
最後の結果や結論だけをみて、それを平板に捉えて、全てをわかったような顔をしている。
何故そうなのか、ということを考えないで、どっちが正しい、どっちが合っている、白か黒かということしか問わなくなってきている。
その理由や根拠もすっ飛ばして。
他人とのやりとりの中で自分の考え方を変えてみたり、「ああ、そういう風な考えもあるのか」と認識を新たにしたりとか、お互いに色々と調整をしながら、うまく回っていくのが人間社会でしょう。
そういうのをすっ飛ばして、自分と意見の違う奴らを全部「敵」という感じになってしまう人が多くなってきている気がします。
平成28年熊本地震で寄付をしてくれた方々に対して、ネットで叩いて、中傷して、やっかみしている奴等をみて、思わず書き込みました。