1995年

阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件が起きた年

私はこの世に産まれた。

兄弟は4人、末子であり長女でした。

父親は、小柄で優しくぽっちゃりしたクマさんみたいな人

母親は、優しくて天然で細くてかわいい人でした。

お互いの親が信仰していた宗教の活動の中で出会い

色々ありつつも縁談があり結婚した両親。

安産の御守護もあるはずですが、まあそううまくいかず。

母は子供みんなを帝王切開で産みました。

(凄いですよね、ほんと。自分が大人になり母の凄さを改めて感じましたし、五体満足に産んでいただいて感謝しています。)

 

その後、というか具体的な時期は教えてもらってないけど、出産で怖くて痛くて辛いところに加えて、信仰する宗教の「身体を傷つけるのは親不孝になる」等の教えにより、精神的にも自らを苦しめていたのか、母は精神を病み、統合失調症という病を患い、休養と入院を繰り返すようになりました。。

 

そうした状況から、四人の子育ては出来ない状態となり、上の二人は祖父母へ、下の二人は児童養護施設に行きお世話をしていただくことになりました。

これがちょうど私が2~5歳の約三年間。

月1.2回の面会・外出で親に逢う生活。

 

当時の記憶は、

夜の寝る前に保母さんがしてくれるパペットを使ったおやすみトークが好きだったこと。

雷でおへそが取られないようにみんなで隠れたこと。

兄の住んでいた棟の保母さんが怖かったこと。

兄とビワの実が食べたくて木登りをしたこと。

外出した夜、親とバイバイするのが嫌で号泣していたこと。

双子の2歳児に、プレゼントでもらったシンデレラのリュックを奪われ取り返そうとしたら壊れたこと。

シャンプーハット無しに自分で頭を洗えるようになって嬉しかったこと。

結構記憶力が無いのか、そんなに多くのエピソードではないけど

喜怒哀楽が均等に記憶の中に残っている。

児童養護施設居たと話すと、不幸な子かわいそうと思う人もいるだろうけど、決して不幸ではなかった。

私は不幸では無かった。(大切だから2回言う)

 

そして6歳になる頃、日本一熱い町、熊谷に移動し、

家族6人での生活が始まったのでした。