幸せってなんだろう…。

お盆で実家に帰った。かあさんといろいろ話した。

自分が若いころ、いろいろ苦労をかけた分、両親にはできるだけ幸せになってほしいと、まことに勝手ながら、そう思う。恩返しがしたいと。

温泉旅行行こうとか、今度嫁さんの両親と飯食いに行こうとか、なんだかんだと言ってみるがなしのつぶて。

子どもらが元気ならそれでいいって。


じゃあ、俺に何ができるんだろ。

ものじゃないんだな、きっと。話をするとか、兄弟揃ってわいわい思い出話するとか、元気に社会でやってるとか…。

きっと、そんなのが、幸せなのかな。そんなのって言うけど、そんな幸せがいちばん難しい。

これが幸せだなって感じられる心がなけりゃいけない。そんな幸せを感じられる心があったら、人生は幸せに満ちるね。


水は清き、故郷…
人類の歴史は戦争抜きには語れない。

なぜ私たちはそんなことができるのか。そして、できたのか。

命の命としての価値が崩壊している。

なぜこんなことができるのか。


理解できないといってしまうのは簡単だ。

だけどそんな行為に至る心理を理解しようとしなければ本当の意味で平和な世界を築くことはできないのではないか。

我々が放射性物質汚染に窮している最中、時代に逆行するかの如くアメリカの核実験の事実が明らかになる…。

私たちはどうしたらいいのだろうか。

ヒロシマ…平和記念日。ナガサキ…平和の日。

戦国時代。流血革命。第一次世界大戦。宗教戦争。第二次世界大戦。内戦。テロ…。


生きる。私たちのただひとつの真理は、生きる、そのことだけではないのか。生きればいいのだ。死ぬまで、生きれば、それでいいのだ。生きる意味なんて自分で勝手に取って付ければいい。私たちは、生まれ、そこに存在し、そして死ぬ。それだけができればいい。死ぬまでに与えられた時間。それは個人に任される。その時間を精一杯生きられれば、それでよい。それ以上のことを望む必要はあるのか。何を望むのか。人間の一生は一瞬。宇宙の営みから考えればね。そんなでかい話をしてもピンとこないからどうでもいいけど。

ここでふと考える。なぜ自分はこんな発想を得たのか。



うーむ…疲れた。
続きはまた明日…


俺は、生きる。
うーむ。やはり毎日続けるってのは大変ですな。

2日振りです。

この週末は妻と2人で小旅行。見たいものやしたいこと、ほしいもの、それぞれ出し合って行きましたよ、もちろんね。

なかなか暑かったですが、とても楽しい2日間でした。

はっきし言って奈良に行ってきたのです。どちらかというと年配の人が多く、私たちくらいの年代は少なかったように思います。

いいのに~。今回は、飛鳥寺の釈迦如来、通称飛鳥大仏。これがよかった。あと、平成の大修理明けの唐招提寺、千手観音。すごいね。それと、新薬師寺の干支の守護大将12体。これは面白い。ちなみに私は未年。なんかそれなりに武器を持ってるんだけど、酉年の守護大将だけ何も武器持ってない!どうやって敵と闘うのだ?!しかもおちゃらけてるとしか思えないお茶目なポーズ!

一見の価値ありです。見てきてね。


奈良の世界遺産や国宝を拝観して一考…。

イタリアではほとんどどこに行っても写真撮影制限やなんかはない。だから一部の心無い人の手によって傷ついたり壊されてしまうことも多い。だけどすぐ目の前で、歴史に手を触れられるような感じで、偶像を見ることができた。当時の人がどんな思いでそれをつくり、どんなことを考えてそれを見たのか…。同じ人間として、偶像を前にするという瞬間を通して、私と当時の人とを繋げるのが、遠い時代の遺産が持つ大きな意味なんじゃないかと、思ったりする。

他方日本の偶像の前にはほとんど、アクリル板やら金網やら柵やらがある。

どうしても、心理的な隔たりを感じる。歴史という時間の宇宙を感じられない。

私は、やっぱり歴史的な遺産に触れる一番の価値は、それを通して自分と昔の人が、心理的に一体化すること、その瞬間を楽しむことにあるんじゃないかなと思う。

だからといって、おっぱなしにしたら、御利益とか言ってみんな触っちゃうよね。仏像。んで、つるつるんなっちゃうんだな。きっと。

でも何百年、何千年もしたら、それが遺産の一部になるのかも。
でもそう考えるのは勇気がいるわな。


盆踊り、これも歴史との一体化かも…覚えらんない…