君はいま、本音で生きているだろうか?
「本音で生きる方がラクだ」
「自分に正直に生きることが大事」
こういったスローガンは、至るところで見かける。
SNS、CM、広告、会社など。
僕も、これは真実であるように思うし、特に最近は、そのように生きれたらとも思っているくらいだ。
しかし、ここで疑問が湧く。
「本音で生きる」というのは、常に善なのだろうか?それとも、何か条件があるのだろうか?
自分が信じていることほど、最も危うい。
だから今回の記事を通して、できうる限りの吟味をし、「本音」(あるいは「建前」)の正体に迫っていきたいと思う。
本音とは、そもそも何であるのか?
「率直に思ったことを言うことだ」
と言うかもしれない。
では仮に、「思ったことを言うことが本音である」という前提に立ってみる。
そこから、どこへ帰結するのかを見てみよう。
何気ないひと言で他者を傷つける人たち、失礼なことを平気で言う人たち、暴言を吐く人たちも、「思ったこと」を言っているのではないだろうか?
「それは極論だ」
と言うかもしれない。
だが極論に耐えられないなら、前提として未熟だと言わざるを得ない。
そして当然、「本音で生きる方が善い」という命題も瓦解することになる。
未熟な前提で成り立つ結論もまた、未熟なものだ。
本音と建前の境界線
「じゃあ」
君は言うかもしれない。
「本音を隠して、建前で生きろってのか?」
もし君が、目の前の人間に暴言や失礼なことを言おうとしてるなら、隠してしまった方がマシだろう。
だが、それはほんとうに本音なのか?
そもそもなぜ暴言を吐く?
なぜ失礼なことを言う?
それは、本当に伝えたいことなのだろうか?
よほどのサイコパスでもない限り、
そんなことはないはずだ。
「思ったこと」には必ず、動機や価値観の核があるはずで、それこそが「本音」ではないのか?
つまり、「思ったことを言うこと」は本音を定義する必要条件かもしれないが、十分条件とは言えない。
多くの人は、この点を見落としているように思う。
逆に言えば、
本音の対義語である「建前で生きる」というのは、おもったことだけでなく、その裏にある動機や価値観にまで蓋をし、自分にも相手にも嘘をつく行為だと言える。
本音の条件
僕はさっき、
『「思ったこと」には必ず、動機や価値観の核があるはず』
と言った。
つまり、本音とは自分の動機や価値を伝える行為である、とも言い変えられる。
これを前提とした上で、さらに「本音」を細かく分解してみよう。
おそらく、以下の4つに分けられるだろう。
①価値
②信念
③欲求
④感情
「本音で話す」ためには、少なくともこれらの内的な状態を認識している必要がある。
しかしこれだけでは不十分だろう。
認識していても、それを本人が拒否すれば本音で話さないかもしれない。
ということは、認識と同時に受け入れている必要もありそうだ。
要するに、
内的状態の認識と受容こそが、本音の必要条件と言える。(だが十分条件とは言えない。理由はあとで説明する)
このように考えると、
ただ思ったことを相手にぶつけるだけでは、本音にも建前にも属さない、単なる衝動的な反応であることが見えてくる。
しかしそうすると、さらなる疑問が出てくる。
内的状態を認識し、受け入れ、
相手に伝えることが「本音」だとしても、
それは、常に善なのだろうか?
何故なら、その「本音」が相手に望まれているとは限らないからだ。
そこには自己一致=誠実=善という短絡的な連想が働いているように、僕は思う。
そしてこれは裏を返せば、建前は常に悪なのか?という問いでもある。
良い建前 悪い建前
さて、本音が常に善いわけではなく、建前が常に悪とは限らないなら、これもまた分類する必要がある。
これまでの議論から考えると、大きく2つに分けられると思う。
①相手を守るための建前
②自分を偽るための建前
それぞれ見ていこう。
①相手を守るための建前
本音を相手が望んでいない場合、本音を言うことは暴力になってしまうかもしれない。
これは最近では「正論」と呼ばれる。
そのクッションとして「あなたのためを思って」というワードがしばしば使われがちなことは、言うまでもない。
しかし、相手の状況、状態、文脈を考慮せずに、本音や正論を言っても相手のためにならない場面は山ほどある。
例えば、うつ病で苦しんでいる相手に「頑張れ」とか「辛いのはあなただけじゃない」とか。
これは正しいのかもしれない。
それを信じているから言っているのかもしれない。
相手に変わってほしいのかもしれない。
だが、それで相手のメンタルが悪化したり、良くない結果をもたらすなら、本末転倒だ。
君の本音は、誠実な暴力に化ける。
精神科医やカウンセラーは、そんなことを言わない。
何故なら、彼らはうつ病で苦しむ人を守るために存在しているからだ。
だから、むやみやたらに正論や本音を振りかざすようなことはしない。
これが、相手を守る建前だ。
少々極端だが、理解はしてもらえたと思う。
②自分を偽るための建前
問題はこれだ。
これは、見た目としては相手を守る建前と似ている。
だからこそ、慎重に吟味しなければならない。
まずこれには2つの属性が含まれると考える。
1つは自己欺瞞、2つ目は他者欺瞞だ。
しかし、これらは自分を欺くか他者を欺くかの違いでしかないため、個別の考察は省く。
自分を偽ることは、ときに自分を欺き、ときに他者を欺く。
言い換えればこれは、自分にも相手にも害を及ぼしてしまう建前だということになる。
例えば、相手が自分を改善するために本音を望んでいるのに対し、嘘や建前で話すことは、相手を欺くことになる。
あるいは、
会社に誘われた飲み会を断りたいと思っているのに断らなければ、それは自分を欺くことになる。
こうした欺瞞に慣れると人は、自分の大切な価値、信念、欲求、感情を忘れてしまうことになる。
なぜなら、こうした内部の自己認識は、磨き上げられた詐術にとって邪魔でしかないからだ。
不要なものは衰える、これが自然の摂理だ。
さて、そこからどこへ帰結するかを考えてみよう。
少々乱暴だが、
僕たちの一般認識では、
相手を守ること=善
自分を偽ること=悪
ではないだろうか?
ということは当然、
建前=悪といった単純な前提は成り立たないってことになる。
何故なら、建前が良い結果につながることもある、ということがわかったわけだからね。
本音と建前は、組み合わせで決まる
さて、ここで改めて整理する。
本音と建前はある組み合わせによって決まり、それによって、まったく違う性質になる、ということをここに示す。
ここでは、承認と編集と呼ぶことにする。
承認とは、内的状態を認識し、受け入れていることを指す。
編集とは、=建前のことだと言っていい。
以下の組み合わせを見てくれ↓↓
承認あり × 編集なし=直球の本音
承認あり × 編集あり=相手を守る建前
承認なし × 編集あり=自分を偽る建前
承認なし × 編集なし=衝動的な反応(思ったから言った)
見てもらえれば分かる通り、
本音も建前も、内的状態の認識と受容があるかないかで、その性質が反転する。
そして、これらの善し悪しは、相手の状態や状況などによって左右されるということも知っておく必要がある。
まとめ
さて、ここらで締めよう。
ここまで読んでもらった君には、「本音とは何か」が理解できたと思う。
まず、本音は常に善ではないし、その反対の建前もまた、常に悪ではない。
それらは承認(あるorない)と編集(あるorない)の組み合わせでによって決まる。
本音と建前の善悪判断は、
自分が何を言いたいかだけでなく、
それが相手の状態や状況、文脈、タイミングに適しているかどうかで決まる。
本音が世界を壊すとき、建前が人を救う
そして、
建前が自分を壊すとき、本音が救いになることもある。