インドは暑い。

もちろん季節によるし、中央から南部にかけての高地では昼と夜の気温差がかなりある場所もあり、昼間は半袖で「あちーな」でも夜は長袖を着込んで震えることもあるのだ。

そうは言っても押し並べて暑い。

特に湿度の高い雨季は日陰にいようがお構いなしに暑さが身体に纏わりついてくる。

宿の部屋にはシーリングファンと呼ばれる、天井に設置されたそれはそれは大きなファンがドロンとした空気を緩く掻き回している。
意味あるのだろうか、アレ。

ある時、安宿のベッドに寝転びながら今夜何を食べるかと云う、深く難しい哲学的問題について同部屋のオーストラリアの旅人と論を戦わせていた。

すると普段はあまり感じない心地よい風が全身に当たっていることに気付く。
ん?と思い天井を見るとはじめはゆっくりと回っていたはずのファンが段々と回転速度を上げ始めているではないか。

いつもは聞こえない音がし始め、しかも段々と大きくなる。

「ヴ〜〜〜ンンンンンッッッ」

「うぉっ・・これ大丈夫なのか?」

しかしこちらの不安なぞ、一顧だにしないファンの奴は益々回転を上げ、回る羽根が目で捉えられないくらいになっている。
風は途轍もなく強風だ。

「嗚呼・・涼しい。。。いや、そんな呑気なこと言ってる場合じゃないだろ、コレ!落ちてきたら怪我では済まんぞ。」

焦った我々はベッドを降り、部屋の隅に立ち尽くし怯えた後、宿に伝える。

「危ないだろコレ。」

「ん?ああ、たまに早く回るんだよ。なんでか知らんけど。今まで落ちたことはないからノープロブレム。」

いや、なぁ。
そーゆーことじゃない。
今日までそうじゃなかったことは明日も「そうじゃない」ことを担保しないだろうが。

そういう訳でどこにいても暑いインドだが、稀に空調の効いた場所がある。
一定ランク以上のホテルや、ショッピングビル、または列車の一等車などである。

ラージダーニ エクスプレスと呼ばれる大都市間を結ぶ特急に乗ったことがある。
なんと食事付きで、乗る前まではひどく楽しみだったことを覚えている。

そんな訳で車内は勿論涼しい。
乗車した途端、高い外気温に晒された身体の火照りを一瞬にして取り除いてくれる冷房は思わず溜息が出るほど生き返った気分にさせてくれる。

他の乗客を見ると明らかに富裕層と思われる人々が乗っていて、今まで経験したインド社会とは視野に入ってくる感じも気温もまるで違う。

そして乗車して暫くすると、涼しいを通り越して寒く感じ始める。
いや、感じるではなく実際寒い。

何度ぐらいの設定なんだ?
みんな寒くないのか?
どうしているのだろうと首を伸ばし辺りを伺うと皆羽織ものを身体に巻いている。
首元まですっぽりとブランケットに収まっている香水のにほひ強烈なマダムもいる。

「寒い列車に乗るのだからこのくらいの用意は当然よ。おほほ」

そうなのか?
しかし当然ながら私は「おほほ」な準備などしておらず、少し前まで灼熱の濃密な暑さの中にいた格好のまま乗車した為、急ぎリュックの中から唯一の、しかしペラペラの長袖に腕を通し、只々体温の喪失を最小限に留めるべく、身を固く縮こまらせるのであった。

足がまた寒い。

何故なら裸足にビーサンなのだから。

座席に正座して足を暖めている私の姿を誰が笑えよう。


通常より高い料金を払って寒さに耐えているのだ。
何の罰ゲームなのだろう。
何故これほど温度を低くする必要があるのだろうか。

私の推測だが、震えるほどの冷房の効いた場所にいることが富の証と思っているのではないだろうか。

インドには言わずと知れたカースト制度が未だにあり、その階層は根深く人々の中にある。
例え表向きはカースト制度は宜しくないと言っている者の中にもその片鱗が現れる瞬間がある。

自分より下の階級、及びアウト オブ カーストと呼ばれるカーストにすら入らないアンタッチャブルの人達(実はこの人々が一番多い)との違いの象徴として効きすぎた冷房があるのだとしたら。

食事付きの特急列車らしく、給仕が食事を乗客それぞれの席に運び始めた。
勿論、私の元にもそれはやってくる。
とても美味しそうだ。

実際はそれほど美味という訳でもないが、見るからに高そうなスーツに身を包んだ紳士や、鮮やかに煌めく生地のサリーを纏った女性が優雅な所作で食べ物を口に運んでいる。

途中幾つもの駅を通過していく。
その駅には、ホームからこぼれ落ちんばかりの多くの人々が少しオレンジがかった夕陽を浴びながら次にやってくる列車を待っている。


温度も湿度も高い外気に晒され、薄汚れた布の穴に手足を通しているとしか見えない者や、両手に赤子を抱える女児、またある者は家財道具と思しき大きな荷物に身体を預けるように臥せている。

こちら側の世界とはあまりに違う光景である。

スモーク処理が成された車窓越しの彼らは、しかし一瞬のうちに、肉を食む私の視野から飛び去っていった。

それはただの景色なんかじゃない。


※40年ほど前の話であり、今現在のインドに於けるエアコンの普及率やその設定温度については未確認。