これは感想というか、私がずっと感じてきたことなんだけど、景夕さんの歌詞の連続性の中に終わりを感じる瞬間が昔から好きで、でもKraが好きだからKraにはずっと続いて欲しいと思ってきてた。今もそう思ってる。
でも、今回のライブを経て、いつかKraにも終わりが来るのだと実感した。今すぐってことじゃなくて、いつか。終わってほしくないけど、必ず終わりは来る。そういう覚悟ができたライブだったなぁ。
ガゼットの移籍とか、そういうのも不安要素として自分の中にゼロじゃなかったってのもあるかな。(新しい会社の代表も尾崎社長だってのはさっき知った笑)
ただ、「何事にも終わりがある」「時間は有限」ということは、景夕さんはずっと昔から歌ってきているんだなと改めて実感した。また会う日までにしろ、夢のような日々にしろ、それこそ今回演った四季旅もそうだし。けど、いつか終わるから無意味な訳じゃなくて、終わるからこそ前に進もうという前向きさが、聴く人の背中を押すんだなぁと思いましたとさ。
夜の果てで、は、その極みだと思ってる。死んでも好きな人のことを待つの、ロマンチックすぎる。そう考えたら未来に希望が持てる。終わりの先には希望がある方がいいに決まってる。
いつかKraが終わりを迎える日は、多分涙が止まらなくなると思う。でも、Kraがくれたものが今の私を形成していることも間違いないし、私はKraを好きになった自分が大好きだし誇りだって、未来の自分が景夕さんがくれたものを見失わないように書いておこうかな、と思った次第です。
もう一つ、「輪郭」特に、「感情の輪郭」というパワーワードについて。これはもう、景夕さんの歌詞の根底にあるところなんだと考え至った。あなたと私は違う人間だから、分かり合えないところがある。けど手を繋いで影が繋がるように、心も繋がりたい、いつもいつもじゃなくていいから、その片鱗を掴みたいっていう思いを抱えてずっと詩を歌に乗せてきたんじゃないのかな。ブリキで歌ってるもん。「届け!届け!」って。でも届かないんだよね。風に掻き消される。そんなに簡単じゃないんだよ、と。ただきっと、(私はばんぎゃるで、Kraが好きだからこういう解釈になる)ライブでの一体感とか、そういうものが繋がりに感じる時、あるじゃないですか。自分の存在意義とか、自己顕示とか、そういうのが色濃く出ている歌詞もあるけど(無才とかね)それは置いといて、同じ思いで同じ時間を共有したい気持ちの強い人なのかな、音楽にそれができるって信じてるんだろうなーって。だから揺るがない信念のブリキの旗を掲げるし、カウントダウンで最後の時まで歌うって断言してるんだろうな。目に見える輪郭はある意味入れ物で、目に見えない熱とか、声とか、それこそメロディとかで繋がりたいと思ってるんじゃないの?という。
まぁ、こちらは今漠然と思っていることなのでこれから変わるかもしれないけど、あれだけメルヘンな想像力を持ってる人だから、それくらいロマンチストであって欲しいなという願望が9割です!私の景夕さん像といったところか。
同じ人が作ってる歌詞だから、繋がりがあって当然だし、曲と曲とを繋ぐ言葉が楽しいな。
象、とかね。アシメルにもパイドパイパーにも出て来る。何のことか分かんないけど。分かんないこといっぱいありすぎるから、歌詞の解説を一方的にしてもらうだけじゃなくて質問とかも本当はしたいと思っている!笑
昔ほど歌詞と向き合う時間がたっぷりある訳じゃないのが悲しいけど、通りゃんせでもまた新しい発見いっぱいあるといいな。