先日経験できた
石巻での石垣づくりは
津波で被災した大地の再生でしたが
この作業をしながらも
ずっと中村哲さんのことを思っていました
2019年に
アフガニスタンで凶弾に倒れた
あの中村哲さんです
医師として現地に入り
35年に渡り
戦火の中で人々の病を治し
井戸を掘り、用水路を建設した中村さん
なぜ医師が井戸や用水路を?
日本では全く報道されていませんが
本来アフガニスタンは
自給率100パーセントの農業国でした
それが
何年も大干ばつが続き
飢えと渇きで農業は壊滅
子どもちは餓死していきました
餓死とはただ空腹で死ぬのではないのです
口にするものは泥水しかなく
その感染症で亡くなるのだそうです
だからこそ
治療以前に綺麗な飲み水が必要なのでした
国民のほとんどは農民で
収入がないのでやむを得ず傭兵となり
戦闘をせざるを得ないという現実でした
だからこそ
100の診療所よりも
1本の用水路が必要だったのです
医師である 中村さんが
数億円の基金を使い
(全てペシャワール会に寄せられた浄財)
用水路を建設することは
通常だったら
それはそれは無謀とも言えることです
でも
素人だからできたことだったとも
ご本人が言っていました
というのは
日本のような最新技術を持ってくれば
頑丈なコンクリート製の
用水路工事ができたでしょう
でも技術も重機もないからこそ
採用した方法は
その土地のどこにでもある石を使い
誰にでもできる蛇籠という方法で護岸を作り
その籠の裏には自生の柳を植えました
柳は水に強くよく根を張り
護岸をさらに強靭なものにしました
それは
私たちも石垣づくりで教わった事でした
結果
その土地の人々が作り、修理し
その土地の住民の再生を可能にしたのです
「天、共に在り」より
数年後の写真を見ると
柳は大木に
埃立つ荒れた土一面だった場所が
緑の大地に変わっているのには驚きます
実は、中村さんは
日本の昔からある
暴れ川の堰を幾度も見に来ては
先人のやり方を研究していました
つまり
日本古来からある技術で
日本の先人たちがやってきた方法で
完成させたのです
今回
石巻で石垣づくりをしながら
私の中では
アフガニスタンの人々が炎天下の中
必死に護岸を作る姿と
風雨や泥にまみれて日本の先人たちが
暴れ川に向かってきた姿が重なっていたのでした
蛇足ですが・・
* * * *
時は
アメリカによる空爆と
日本では「テロ特措法」で自衛隊を派遣
戦闘ヘリが飛び交うその下の現実は
多くの農民は大干ばつに苦しみ
その現状を打破するために中村さんは
ご自身の息子さんを亡くしながらも
死の谷と言われたガンべリ砂漠を超え
全長25キロにも及ぶ用水路を
アフガンの人々と作っていたのでした
そんな極限に生きた中村さんの目は
本当のことが見えなくなっている私たちに
教えてくれます
10年前に書かれた「天、共に在り」より
・・・自然もまた論評や撮影の対象にはなっても、我が身で触れて畏れや驚きや喜びを覚えるものではなくなってきた。私たちはべルトコンベヤーのようなものに乗せられ、車窓を過ぎ行く景色のようにしか自然を意識することがなくなっている。
・・・たとえ介在するメディアで知識は増えても、自然は映像の知識の分だけ離れてゆくようにさえ思える。
極言すれば、私たちの「技術文明」そのものが、自然との乖離を作る営みそのものである。
・・・時間や自然現象さえ支配下におけるような錯覚の中で生きている。
・・・・知識が増せば利口になるとは限らない。情報伝達や交通手段が発達すればするほど、どうでもよいことに振り回される
その通りですね
合掌


















