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私が

初めて大きな病院を

受診したのは

高校生の時に

車と激突した以来である。



結構なスピードで

車と自転車が接触した

にも関わらず

自転車の私が無傷という奇跡。






そんな話は置いといて……







大学病院へ行き

大動脈弁閉鎖不全症と診断を受け

すぐに検査入院した私。






そんなこと

すぐに受けれられる訳もなく

入院は物凄く暇で

若い人は誰1人いなく

若い研修医の先生はいっぱいいたけど

心カテの造影剤で副作用を起こし

動けず

長い夜を過ごし

物凄い手のあざの数々と

動脈への注射が

いつもの採血よりも

桁違いに痛かったことを

覚えています。








そして








結果は









「先天性の二尖弁ですね。
 血液の逆流も多いです。」








……………ん?
生まれつき?





私も両親も耳を疑いました。





今すぐにではないが

手術が必要とのこと。






「結婚する予定はあるの?」
と聞かれ





この時の私には

一応、婚約者がいたので



「予定はあります」
と答えました。





なぜ

結婚の話をされたかというと




今のままでは

出産には耐えられない位

弁の逆流が多かったようです。



そして




私がする※弁置換術は

2種類の人工弁があります。

(※詳しくはWikipediaで。)




1つは生体弁。

妊娠出産が可能で

薬もある程度の期間だけ服用。

が10~15年位で必ず再手術。



もう1つは機械弁。

妊娠出産は難しく

出血には注意が必要。

納豆禁忌などの制限もあり

生涯ワーファリンという薬を

服用しないといけない。

が耐久性がよく

再手術の可能性は

ほとんどない。






とのこと。






それを当時の彼に話すと

手術後に籍を入れようと

言ってくれたのです。 




私は手術が怖かったけど

乗り越えられるような

気がしました。






そして帰ってから

母に

「ごめんね」

と言われました。

父は何も言わなかったけど

自分を責めていたんだと

今では思います。




私の辛さを

分かってくれた両親のために

私のことで

自分たちを責めている両親のために





私は

23歳の夏に

妊娠可能なように生体弁で

手術をすることを決意しました。