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1933年7月2日
ニューヨーク・ジャイアンツのサウスポー、カール・ハッベルは
セントルイス・カージナルスに延長18回で1-0で勝利します。
将来殿堂入りのハッベルは、12奪三振で許した安打は6本だけと
彼の傑作を作ります。
相手の先発、テックス・カーレトンはハッベルと同様な努力をしましたが
16イニングを投げて、ノーデシジョンでした。
★プチトリビア
左腕から繰り出すスクリューボールを武器とした「キング・カール」
最も有名なのが1934年のオールスター・ゲームで1回から
5連続奪三振。しかも、ルース、ゲーリック、フォックス、シモンズ、
クローニンと将来殿堂入りの5人から奪ったもの。
ルースとハッベルの対決が見たいという少年の投書から始まった
オールスター・ゲームの主役を見事にこなしました。
1951年7月1日
クリーブランド・インディアンスのボブ・フェラーは、
デトロイト・タイガースから2-1で勝利し、ラリー・コーコランと
サイ・ヤングに並ぶ、3度目のノーヒッターを達成します。
フェラーの記録は、サンディー・コーファックスの4度の
ノーヒッターに破られ、さらに、ノーラン・ライアンが7度の
ノーヒッターで塗り替えます。
★プチトリビア
このノーヒッターは、実は1失点なのでノーラン(No Run)ではないのです。
1安打試合を12回もやっているのは、非常に惜しいです。
◆今日の気になった出来事
米大リーグ機構は1日(日本時間2日)、13日(同14日)に行われる
オールスター戦(コロラド州デンバー、クアーズ・フィールド)の
先発出場野手を決めるファン投票の最終結果を発表。
エンゼルスの大谷翔平(26)がア・リーグのDH部門で選出された。
日本野手ではイチロー(マリナーズ)、松井秀喜(ヤンキース)、
福留孝介(カブス)の3外野手に続いて4人目で、指名打者では初となる。
得票率は63%だった。
大谷は球団を通じ「投票して頂いた皆さまありがとうございます。
皆さまを楽しませるようなプレーが出来る様に精一杯頑張りたいと思います」
とコメントした。
1次結果ではア・リーグのDH部門で断トツトップとなる196万1511票を獲得していた。
大リーグの球宴ファン投票の対象は野手に限られ、スタメン出場の名誉が与えられる。
投手と控え野手は選手間投票などで選び、4日(同5日)に全選手が出そろう。
大谷は球宴前日に開催される本塁打競争への出場も表明しており、
標高約1600メートルの高地にあり打球が飛ぶとされるクアーズ・フィールドで、
どんなアーチをかけるのか注目が集まる。
1日(日本時間2日)時点の打撃成績は75試合267打数74安打、打率・277。
28本塁打、11盗塁で現在両リーグ本塁打数のトップを走っている。
両リーグの選出野手は下記の通り。
【ア・リーグ】
捕手 ペレス(ロイヤルズ)
一塁手 ゲレロ(ブルージェイズ)
二塁手 セミエン(ブルージェイズ)
遊撃手 ボガーツ(レッドソックス)
三塁手 ディバース(レッドソックス)
外野手 トラウト(エンゼルス)、ジャッジ(ヤンキース)、
ヘルナンデス(ブルージェイズ)
指名打者 大谷翔平(エンゼルス)
【ナ・リーグ】
捕手 ポージー(ジャイアンツ)
一塁手 フリーマン(ブレーブス)
二塁手 フレージャー(パイレーツ)
遊撃手 タティス(パドレス)
三塁手 アレナド(カージナルス)
外野手 アクーニャ(ブレーブス)、カステラノス(レッズ)、
ウインカー(レッズ)
ファン投票1位で選出。
1908年6月30日
ボストン・レッドソックスのエース、サイ・ヤングは、
ニューヨーク・ハイランダースを8-0で封じた時、
彼の栄誉殿堂キャリアで3回目のノーヒッターを達成します。
1990年に43歳のノーラン・ライアンがノーヒッターをするまで
41歳のヤングは、ノーヒッターの最年長記録でした。
★プチトリビア
通算511勝の不死身の男、サイ・ヤングは、生涯で3度の
ノーヒッターを記録。そのうち、1904年5月5日は、完全試合でした。
1990年6月29日
オークランド・アスレチックスのデイブ・スティワートと
ロサンジェルス・ドジャースのフェルナンド・バレンズエラは
共にノーヒット・ゲームを行います。
スティワートがトロント・ブルージェイズを5-0、
バレンズエラはセントルイス・カージナルスを6-0に封じます。
二人の投手が同じ日にノーヒット・ゲームをした最初の出来事に
なります。
★プチトリビア
1990年はノーヒッターが多かった年で、9回もありました。
スティワートは12奪三振、バレンズエラは7奪三振でした。
1957年6月28日
コミッショナーのフォード・フリックは、シンシナチファンが
投票箱に不正投票をしたという騒動の中、ナショナル・リーグ
オールスターロースターを振り分けます。
最終結果は、ほとんどがレッズのメンバーが先発で選ばれ、
フリックは、ガス・ベルとウォーリー・ポストの代わりに
ハンク・アーロンとウィリー・メイズを先発させました。
★プチトリビア
正確に書くと、締め切り間際に20万票がレッズ選手に入り、
一塁を除く7ポジションでレッズが独占。
唯一、ポジションを譲らなかったのが、スタン・ミュージアルでした。
2000年6月27日
ロサンジェルス・ドジャースは、大リーグから引退を発表した、
41歳のオーレル・ハーシハイザーをリリースします。
彼は18年のキャリアで204勝と3回のオールスター出場をしました。
彼のベスト・シーズンは1988年で、59回連続無失点という新記録を
作り、ナ・リーグのサイヤング賞を受賞しました。
★プチトリビア
88年は、23勝、15完投、8完封、267イニングの4部門で1位。
ワールドシリーズでも、第2戦で完封、第5戦で完投と2勝をあげて
MVPに輝きました。
1920年6月26日
高校生選手権試合でルー・ゲーリックという名の17歳の
選手がリグレー・フィールドの場外にグランド・スラムを
放ちました。
ゲーリックは、コロンビア大学へ進みますが、それをやめて
2年生の後にニューヨーク・ヤンキースと契約しました。
★プチトリビア
ゲーリックの背番号は「4」。
3番ベイブ・ルース、4番ゲーリックと打順で背番号がついていました。
そしてヤンキースの「4」は、史上初の永久欠番となりました。
1971年6月25日
ノースウェスト・リーグのベンド・レインボーズで
俳優のカート・ラッセルが二塁打とシングルで
プロ野球にデビューしました。
ラッセルは、肩のケガでキャリアを終えるまでに
ニ塁手と遊撃手で打率.313を記録しました。
★プチトリビア
けっこうアメリカのアクターには、野球が上手な人がいて、
ケビン・コスナーやトム・セレックなどもマイナーでやったことが
あるとか、ないとか。。。
マイケル・ジョーダンもバロンズでやってましたね。
ノースウェスト・リーグは、ショート・シーズンのA級クラスです。
◆今日の気になった出来事
エンゼルスの大谷翔平投手(26)は29日(日本時間30日)、
敵地ニューヨークでのヤンキース戦に「2番・DH」でスタメン出場。
第2打席に両リーグ単独トップに立つ3試合連続27号ソロ、
さらに続く第3打席でも28号アーチを放ち、本塁打王争いで
“独走態勢”に入った。
この日は5打数2安打3打点、1四球で、打率は・278となった。
大谷の2打席連発は3年ぶり2度目。
また、あす30日(同7月1日)の同カードで、4勝目を目指し先発登板する。
チームは5―11で敗れ連勝は2でストップ、借金は再び3となった。
初回1死の第1打席はヤ軍先発右腕タイロンの前に右飛だったが、
3回の第2打席で3ボール1ストライクからタイロンの外角チュンジアップを
完ぺきに捉えて右翼席にライナーで飛び込む27号ソロ。
打球速度は109・6マイル(約176・4キロ)、飛距離は395フィート(約120・4メートル)。
前日28日(同29日)の同カードの初回に右越え27号ソロを放ったのに続く
3試合連続アーチで、26本塁打で並んでいたブルージェイズ・ゲレロに1差をつけ、
本塁打王争いで両リーグ単独トップに立った。
大谷の3試合連続アーチは、今月18、19、20日(同19、20、21日)の
タイガース戦以来で今季3度目。
また、25日(同26日)のレイズ戦から続く連続試合安打を「4」に伸ばした。
さらに5回無死二塁の第3打席では、内角直球を捉え、またもライナーで
右翼席に飛び込む28号2ランで、ゲレロに2本差をつけた。
打球速度は112・4マイル(約181キロ)、飛距離は356フィート(約109メートル)。
大谷の2打席連続本塁打は、18年8月3日(同4日)のインディアンス戦で10号2ラン、
11号ソロを放って以来2度目。
これで6月は13本目で、07年7月に松井秀喜(ヤンキース)が記録した
日本人月間最多記録に並び、ア・リーグ月間MVPにも大きく近づいた。
また、27日のレイズ戦で3安打して以来、今季22度目となるマルチ安打もマークした。
7回1死の第4打席は左腕コーデスと対戦し中飛、9回2死一塁の第5打席は
右腕アブレイユと対戦し一ゴロだった。
大谷翔平選手モデル!
1993年6月24日
カールトン・フィスクはボブ・ブーンが保持していた、
2225試合を破る捕手で2226試合出場をしました。
フィスクは、また捕手として351本塁打という記録もあり
2000年に殿堂入りを果たしました。
★プチトリビア
捕手として351本塁打は、昨年マイク・ピアッツァに抜かれるまで
歴代1位で、今でもアメリカン・リーグ記録です。
1984年6月23日
ライン・サンドバーグは、彼の壮大なキャリアの中でも
すばらしい試合を作ります。
ライノは、6打数5安打、7打点を記録し、抑えのエース
ブルース・スーターから9回と10回に2本の同点本塁打を
放ちました。
このサンドバーグの活躍で、延長11回12-11で
カージナルスを破りました。
★プチトリビア
サンドバーグといえば、カブスの名ニ塁手として
1983年から91年まで9年連続ゴールドグラブ賞に輝き
89年から90年にかけて123試合連続無失策も記録。
打でも90年に本塁打王になるなど、ミスター・カブスとして
活躍しました。
1987年6月22日
将来、殿堂入りのトム・シーバーが、ニューヨーク・メッツで
カムバックを試みた後、引退を発表します。
「テリフィック・トム(恐怖のトム)」として知られたシーバーは、
311勝205敗、防御率2.86、そして3640奪三振を記録しました。
1992年に殿堂入りしました。
★プチトリビア
86年にホワイトソックスで投げたシーバーは、
87年シーズンはどこからもオファーがなく、6月にメッツの
ファームで再起を目指したが断念。引退しました。
1986年6月21日
ハイズマン・トロフィーを受賞し、最初にNFLドラフトにかかった
オーバーン大のボー・ジャクソンは、カンザスシティ・ロイヤルズと
契約する事を決定します。
彼は、フットボールをケガでキャリアを終わらせるまで、
ベースボールをパートタイムでプレーし、2つのスポーツで成功をしました。
★プチトリビア
1989年のオールスターで本塁打と盗塁という珍しい記録で
MVPに輝きました。
1911年6月20日
殿堂入りのタイ・カッブは、クリーブランドのウィリー・ミッチェルから
内野安打を放ち、アメリカン・リーグ記録の30試合連続安打を作ります。
ジョージア・ピーチは、40試合連続まで伸ばし、これは1922年に
ジョージ・シスラーが41試合連続とするまでア・リーグ記録でした。
★プチトリビア
連続試合安打の大リーグ記録は、ジョー・ディマジオの56試合連続です。
2位がウィリー・キラーの44試合ですから、これも不滅の大記録といえそうです。
イチローには、これにも挑戦して欲しいものです。
1972年6月19日
フィラデルフィア・フィリーズにトレードされた
前セントルイス・カージナルスのカート・フラッドが制限条項
の撤廃を求め、大リーグを訴えたが、米国最高裁判所は、
フラッドに敗訴の判決を下します。
判決は、野球の独占禁止の免除を支持しました。
(これは、1922年に決められました)
★プチトリビア
このフラッドの自由契約を求めた、制限(保留)条項の廃止の
裁判が、後のフリー・エージェント制導入のきっかけになりました。
1972年6月18日
カラフルなオークランド・アスレチックスのオーナー
チャーリー・フィンリーは、ベースボールで初の「口ひげの日」を開催します。
フィンリーは、父の日までに口ひげを成長させた選手には
300ドルを支払う契約をします。
レジー・ジャクソンは、口ひげでスプリング・トレーニングに
現れ、この傾向をスタートさせました。
これは、1914年のフィラデルフィア・アスレチックスの
ウォーリー・シャング以来の大リーガーでした。
★プチトリビア
フィンリーは、とにかく奇抜なアイデアで世間をアッといわせた
名物オーナーでした。
この他には、オレンジ・ボールやボール・ガールの採用、
マスコットをロバにしたり。
でも、指名打者制は今に残っているいいアイデアでした。
◆今日の気になった出来事
MLBのロブ・マンフレッド・コミッショナー(62)が23日、
物議を醸している粘着物質取り締まりについて
「ここまで、満足している」と問題がないことを強調した。
取り締まりは21日から開始され、翌日にはナショナルズの
先発右腕マックス・シャーザー(36)が4回の投球中に
3度目のチェックを受け憤慨する騒動が起こった。
だが同コミッショナーはジ・アスレチックのインタビューに
「私の見解では、最初の2日間は非常にうまくいったと思う。
違反者の退場処分はなかった。選手はみんな、大変協力的だ。
実際の取り締まりは、イニングの合間に素早く行われている」とコメントした。
シャーザーの騒動については「その出来事については、喜ばしいことではない
と理解している。だがたった1つの出来事だ。ほとんどのケースで、もめごとは起こっていない」
と見解を述べた。
この新ルールについて多くの投手から批判され、メディアでも批判的論調が多いことには
「この問題について話すことは、やぶさかではない。もし電話をくれれば、話に応じる」
とも語った。
ことしは大谷の年~!
1978年6月17日
ニューヨーク・ヤンキースのロン・ギドリーは、
アメリカン・リーグの左腕投手の記録となる18奪三振で
カリフォルニア・エンジェルスに4-0で勝利します。
「ルイジアナ・ライトニング(ルイジアナの稲妻)」は、大リーグ史上
最も素晴らしいシーズンの一つとなる、25勝3敗、防御率1.74
248奪三振を記録しました。
★プチトリビア
この年、9完封、勝率.893、被打率.193と合わせて5部門で1位、
文句なしでサイヤング賞にも輝きました。(三振が2位)
ギドリーは、06年、07年とNYYの投手コーチをつとめました。
1996年6月16日
伝説のブロードキャスター、メル・アレンが83歳で死去します。
アレンは、1939年から1964年までニューヨーク・ヤンキースで
アナウンサーを務め、後には「ディス・ウィーク・イン・ベースボール」
という番組を長く続けました。
1978年、アレンは優秀な放送に携わったとして、栄誉殿堂入りの
フォード・C・フリック賞を受賞しました。
★プチトリビア
フォード・C・フリックとは、元新聞記者でナ・リーグの広報部長となり、
1935年にリーグ会長になりました。
栄誉殿堂の創設を提唱し、ジャツキー・ロビンソンが登場した折には
会長として擁護しました。
そして、1951年に第3代コミッショナーとなりました。
1977年6月15日
ニューヨーク・メッツは、シンシナチ・レッズのパット・ザクリー投手、
内野手ダグ・フリン、外野手スティーブ・ヘンダーソン、ダン・ノーマンと
フランチャイズ投手、トム・シーバーをトレードします。
「脅威のトム」は、全盛期を過ぎたからという理由からでしたが、
まだシーバーは、レッズで5シーズン半で75勝をあげ、
1978年にはノーヒッターを成し遂げるだけの力がありました。
★プチトリビア
確かに、トレードされる前年は14勝11敗と、らしくない成績でした。
移籍した77年は、2チーム合計で21勝6敗と復活。
92年の殿堂入りは、史上最高得票率98.8%。
開幕投手16回は、歴代最多という「脅威のトム」でした。
1978年6月14日
シンシナチのピート・ローズは、シカゴ・カブス戦で
3-1の勝利において、2安打を放ちました。
ローズは、続く43試合に1安打以上を記録し、
大リーグ史上第二位となる連続試合安打でウィリー・キーラーと並びます。
彼は、ジョー・ディマジオの記録に挑みましたが、
8月1日にアトランタ・ブレーブスのラリー・マクウィリアムスと
ジーン・ガーバーが彼をストップさせました。
★プチトリビア
この44試合連続安打は、ナ・リーグ記録ですが、
スイッチヒッターとしては、歴代1位です。
しかし、大リーグでは色々な細かい記録を残していて
左打者だと、ナ・リーグがキーラー、ア・リーグはジョージ・シスラーになります。
1948年6月13日
ニューヨーク・ヤンキースは、ヤンキー・スタジアムの25周年
セレモニーで引退したベイブ・ルースのNO.3のジャージーを
記念にします。
ルースは、古くからの強打パートナーのルー・ゲーリックに次いで
ヤンキースで二人目の永久欠番となりました。
★プチトリビア
1939年にゲーリックがヤンキース初というより、大リーグ史上初の
永久欠番となり、ルースはヤンキースと大リーグ史上で二人目の欠番でした。
◆今日の気になった出来事
大谷はアスレチックス戦に「2番・指名打者」で先発出場。
2回の第2打席で2試合連発となる19号ソロアーチを放ったほか、
今季10個目の盗塁を決めるなど4打数2安打、1打点1得点、1盗塁だった。
エンゼルスは4─8で3連敗。
レッズの秋山翔吾外野手はブルワーズ戦に代打で出場して1打数ノーヒット。
守備には就かずにベンチへ下がった。レッズは2─1で勝利した。
レッドソックスの沢村拓一投手は、ブレーブス戦で同点に追いつかれた直後の
5回途中から登板。続投した6回に勝ち越しホームランを浴びるなど、
1回2/3を2安打1失点、1四球、2三振だった。
チームが10─8の逆転勝利を収めたため、沢村に勝敗はつかなかった。
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1939年6月12日
偉大な大リーグ・プレーヤーたちが、
ニューヨークのクーパースタウンの野球殿堂に集まります。
タイ・カッブ、ベイブ・ルース、ホーナス・ワグナー、ウォルター・ジョンソン
そして、故クリスティー・マシューソンは、殿堂入り最初のメンバーです。
生存しているメンバーのサイ・ヤング、エディー・コリンズ、コニー・マック
グローバー・クリーブランド・アレキサンダー、トリス・スピーカー、
ナポレオン・ラジョイ、ジョージ・シスラーは、プラーク(額)を受け取りました。
★プチトリビア
第一回の殿堂入りは、1936年の5人。
最多得票は、予想を覆してタイ・カッブでした。
誰もが1位と思っていたルースは2位となりました。
(「大好き!!MLB2」では、Hall of Fameもあります!)
1938年6月11日
シンシナチ・レッズのジョニー・バンダー・ミーアが
連続ノーヒッターの最初の投手になります。
バンダー・ミーアは、ボストン・ビーズに4奪三振、3四球で
3-0で勝ち、4日後、ブルックリン・ドジャースに6-0で
勝利しました。
彼は、今でも大リーグ史上で2試合連続ノーヒッターをした
唯一の投手です。
★プチトリビア
ボストン・ビーズは、今のアトランタ・ブレーブスの前身です。
左腕のバンダー・ミーアは、コントロールに難があった投手でしたが
この年は、15勝、125奪三振(3位9、被打率.213(1位)と
花開いたかと思いきや続く2年間は故障でふるいませんでした。
1944年6月10日
シンシナチ・レッズの15歳のジョー・ナックスホールが
大リーグ史上で最も若い選手としてセントルイス・カージナルス
戦の9回に登板します。
若いナックスホールは、激しく苦闘し、5四球と2安打を許し
ビル・マッケクニー監督は、彼を降板させました。
★プチトリビア
詳しくいうと、15歳と10ヶ月11日で史上最年少です。
その後はマイナーで7年間を過ごすが、52年に再昇格。
54年から58年まで連続2ケタ勝利をあげた。
16年間で通算135勝だったが、15本塁打した打力もありました。
1914年6月9日
現代の大リーグ史上初の3000本安打の達成者である
キャップ・アンソンがマイルストンに到達してから20年後、
ピッツバーグ・パイレーツのホーナス・ワグナーが2番目に
この記録に到達します。
栄誉殿堂入りの遊撃手は1917年に引退するまでに
415本を上乗せしました。
★プチトリビア
アンソンが大リーグデビューしたのが1876年。
以降,1897年までシカゴ・ホワイトソックス一筋でプレー。
1879年からは監督も兼任する19世紀の大リーグにおいて
最大の功労者といわれています。
1950年6月8日
おそらく大リーグ史上で最も点差のついた試合であろう
ボストン・レッドソックスが29-4でセントルイス・ブラウンスを
破る試合がありました。
ボビー・ドーアが3本塁打で8打点、テッド・ウィリアムスと
ウォルト・ドロッポが2本塁打づつで続きました。
レッドソックスは、28安打して記録的な58塁打しました。
★プチトリビア
この29得点は、今でもア・リーグ記録です。
ちなみに大リーグ記録は、1897年6月29日のシカゴ・カブス対
ルイビル・カーネルズ戦で36対7という記録があります。
1973年6月7日
テキサス・レンジャースは、アマチュア・ドラフトで
高校生投手のデビッド・クラウドを全米1位で指名します。
クラウドは大きくなれませんでしたが、将来に3000本安打
クラブ入りする二人がいました。
ロビン・ヨーントとデイブ・ウィンフィールドで、それぞれ3位、4位指名で
ミルウォーキー・ブリューワーズとサンディエゴ・パドレスに指名されました。
★プチトリビア
後は、6位にSFのジョニー・レマスター、
8位にMONのゲーリー・レニキー、14位にNYMのリー・マジリー
くらいが大リーグでそこそこ活躍したぐらいで、ほとんどが消えていますね。
ドラフトの難しさが分かるような気がします。(生意気?)
1921年6月6日
ニューヨーク・ヤンキースのスラッガー、ベーブ・ルースは、
前年にフィリーズの外野手、ギャビー・クラバスによって
作られた記録を破る、120本目の本塁打を放ちます。
バンビーノは、そのシーズンに59本塁打し、この後53年間
彼の記録を破るものは出てきませんでした。
★プチトリビア
まず、ルースはシーズン59本塁打を27年に60本で自ら更新。
61年にロジャー・マリスが61本を打って、ついにルースを抜いた。
そして、1974年にハンク・アーロンが715本目を放ちました。
◆今日の気になった出来事
パドレスのダルビッシュは、10日までに一部投手による
粘着物質の不正使用疑惑に言及し「度を越す人間が出てくる。
それによって(不正していない選手に)タイトル、契約金というところで、
どんどん迷惑を掛けてしまう」と改善を求めた。
自身は潔白とした。
かねて松ヤニなどの使用が暗黙の了解ともされているが、
今回は新たな粘着物質を使って劇的に球質を改善したと疑われ、
ヤンキースのコールやドジャースのバウアーらの名前が取り沙汰されている。
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セントルイス・カージナルスは、初めての交渉で
16歳のスタン・ミュージアルと契約します。
ミュージアルは、最初、投手として契約しますが
カージナルスは外野手兼一塁手に転向させます。
セントルイスでの22年間のキャリアで「スタン・ザ・マン」は、
通算で打率.331、475本塁打、1951打点を記録しました。
★プチトリビア
首位打者7回、最多安打6回、打点王2回、得点王5回
最高出塁率6回、オールスター20回そしてMVP3回と
輝かしい様々な記録を残し、1969年に殿堂入りしました。
◆今日の気になった出来事
パドレスのダルビッシュ有投手(34)は3日、本拠地でのメッツ戦に先発。
5回1/3を投げ4安打2失点。「カットボールが久しぶりに良くて、
それを中心に投げた」。
6回に2ランを浴びたものの、救援陣がリードを守り6勝目を手にした。
これで日米通算170勝。
松坂(西武)、岩隈(元巨人)に並び「ここで松坂さんと岩隈さんに
追いつくというのは分かっていた。2人とも若い時から目標にしていた。
すごく感慨深いものはある」と素直に喜びを表現した。
この日は打撃でも2年ぶり2度目のマルチ安打をマーク。
4回に右翼線へと放った二塁打は、貴重な追加点につながった。
節目の勝利で、チームの連敗も4でストップ。
今季、自身が先発した試合は11勝1敗とエースとしての役割をきっちりを果たし
「僕が投げる日は、チームの打撃が今のところはかみ合っている」と充実の笑みを浮かべた。
1990年6月4日
アトランタ・ブレーブスは、アマチュア・ドラフトで
フロリダ高校の遊撃手のチパー・ジョーンズをNO.1で指名します。
続いてデトロイト・タイガースがトニー・クラークを、そして
フィラデルフィア・フィリーズがマイク・リバーサルをNO.3で指名しました。
その他としては、マイク・ムシーナ、トロイ・パーシバル、アンディ・ペティット
そしてホーヘイ・ポサダが指名されました。
★プチトリビア
ジョーンズが全米1位、クラークが2位、リバーサルが3位で指名された。
全米でNO.1というのは、プレッシャーがすごいでしょうね。
なかなか芽が出ず、消えていく人たちも多いのです。
1932年6月3日
ヤンキースのルー・ゲーリックが1試合で4本塁打よりも
ニューヨーク・ジャイアンツの監督、ジョン・マグローの引退が
新聞の見出しを大きく飾ります。
彼は20世紀初頭のユニークなキャラクターの一人で、
「リトル・ナポレオン」は、ジャイアンツを3度のワールドチャンピオンに
導き、34年間の監督キャリアで2763勝を上げました。
★プチトリビア
マグローが監督になったのが1899年のボルチモア・オリオールズ。
1901年に新設のアメリカン・リーグで再びオリオールズで指揮をとるが
リーグ会長のバン・ジョンソンと衝突してニューヨーク・ジャイアンツへ。
ここから1932年まで同一チームで31年間の長期政権をつとめました。
1925年6月2日
ニューヨーク・ヤンキースの一塁手、ウォーリー・ピップは、
ワシントン・セネタース戦に頭痛の為に試合から外すように
頼みます。
ヤンキースは21歳のルー・ゲーリックを彼の位置で先発させ、
若い強打者は、5打数3安打してチームを8-5の勝利に導きます。
ゲーリックは、ここから2128試合にラインアップから外れることなく
そして、ピップはシーズン終了後にシンシナチにトレードされました。
★プチトリビア
連続試合出場が始まったのが、この年の5月31日。
39年5月2日まで2130試合に出つづけた「アイアン・ホース」は、
球史に残る引退セレモニーを行いました。
1975年6月1日
カリフォルニア・エンジェルスのノーラン・ライアンは、
サンディー・コーファックスが持つ大リーグ記録と並ぶ
4度目のノーヒッターを達成します。
1-0でボルチモア・オリオールズを封じ、自身100勝目。
ファイアボール右腕は、コーファックスの記録を破り、
前代未聞の7度のノーヒッターを記録しました。
★プチトリビア
73年の5月15日が1度目のノーヒッター、同年7月15日に2度目。
74年9月28日に3度目、75年6月1日が4度目、81年9月26日が5度目、
90年6月11日に6度目、91年5月1日に7度目を達成。
7度目が44歳4ヶ月で史上最年長の記録です。
◆今日の気になった出来事
ア・リーグ西地区の最下位に沈んでいるレンジャーズは3日、
敵地デンバー(コロラド州)でロッキーズに6―11で敗れて22勝36敗。
ロードでは通算15連敗となり、ワシントン・セネターズ時代の1961年に
喫したチーム・ワーストにあと「1」と迫った。
5月25日に始まった今回の遠征(アナハイム→シアトル→デンバー)では
チーム初の屈辱となるロード9戦全敗。
9連敗自体も2003年5月30日~6月8日以来、18年ぶりの出来事となった。
最後にロードで勝ったのは5月6日のツインズ戦(4―3)。
今回のロード9連戦では1点差が3試合、2点差と3点差が各1試合あったが、
接戦をものにすることはできなかった。
ホームでは今季13勝13敗だがロードでは9勝23敗。
レンジャーズの次のロードゲームは11日のドジャース戦(3連戦)となっている。
レンジャーズに勝ったロッキーズは23勝34敗。
レンジャーズの4投手に対して16安打で11点を奪い、5連敗のあと4連勝を飾った。
1968年5月31日
満塁でサンフランシスコのディック・ディーツにぶつけた時、
ドン・ドライスデールの44イニング連続無失点は途切れます。
しかし、審判のハリー・ウェンデルシュテットは、ディーツが投球を
避けなかったと判定し、バッターボックスに戻るように命じます。
ドライスデールは、ピンチを切り抜け58回2/3の無失点記録を
作りました。
★プチトリビア
コントロールが身上のドライスデールでしたが、激しい内角攻めは有名で
1961年には20死球も記録している。
14年のキャリアでオールスター8回出場し、19.1イニングと19奪三振は
いまでも史上1位の記録です。
1956年5月30日
ニューヨーク・ヤンキースのミッキー・マントルは、
今季第20号本塁打をはなちます。
その一打は、ヤンキー・スタジアムの場外に飛び出さんばかりの
勢いでアッパー・デックの正面に当たりました。
数人の評論家達は、もしそれが正面に当たらなければ、
600フィート以上飛んでいたと計算しました。
★プチトリビア
1956年のマントルは、打率.353、52本塁打、130打点で三冠王。
そしてアメリカン・リーグMVPにも輝いた、脂の乗り切った年でした。
1989年5月29日
フィラデルフィア・フィリーズの強打者マイク・シュミットが
大リーグからの引退します。
間違いなく偉大な三塁手のシュミットは、18年間で
548本塁打を放ちました。
かれは、3回のMVP,10度のゴールドブラブ賞、
12回のオールスターチームに選出。
1995年、栄誉殿堂入りしました。
★プチトリビア
さらに本塁打王8回、打点王4回、得点王1回、最高出塁率3回
も受賞して、89年5月に引退したが、その年のオールスターにも
選出されるほどの人気、実力を兼ね備えたスーパースターでした。
1951年5月28日
ニューヨーク・ジャイアンツの新人、ウィリー・メイズは
ボストン・ブレーブスのウォーレン・スパーンから大リーグでの
初安打となる本塁打を放ちます。
「セイ・ヘイ・キッズ」は、打率.274、20本塁打、68打点を
あげて、ナショナル・リーグ新人王に輝きました。
★プチトリビア
メイズもジャッキー・ロビンソンが大リーグの壁を壊してくれたおかげで
黒人リーグからニューヨーク・ジャイアンツへ入団した。
昇格後は12打数無安打など苦しんだが、最終的には新人王になった。
1937年5月27日
カール・ハッベルは、ニューヨーク・ジャイアンツが3-2で
シンシナチ・レッズを破った時、24試合連続勝利を得ました。
ハッベルは、将来殿堂入りのメル・オットが9回に本塁打して
勝利を助けられました。
しかし、ハッベルの連続記録は、4日後ブルックリン・ドジャースが
ジャイアンツを10-3で下し、途切れました。
★プチトリビア
「キング・カール」ハッベルは、前年26勝、防御率2.31で16連勝で閉幕。
翌37年は開幕から8連勝で、合計24連勝の大記録をつくりました。
1959年5月26日
ピッツバーグ・パイレーツのハービー・ハディックスは、
ミルウォーキー・ブレーブスに対して、12回までパーフェクト投球を
しましたが、13回に負けます。
フェリックス・マンティーヤをエラーで出し、パーフェクトが途絶えた後に
ハンク・アーロンを歩かし、ジョー・アドコックに本塁打されます。
アドコックがベース上でアーロンを追い越し、両者がアウトを宣告されたが
マンティーヤの得点は認められて、1-0でブレーブスが勝利しました。
★プチトリビア
ハディックスは、新人で20勝で6完封したが新人王投票では2位。
この年の新人王は、黒人リーグから入ったジム・ギリアム。
打率.278、6本塁打、63打点、21盗塁の普通の成績だったが
17三塁打が1位、新人記録の100四球で受賞した。
新人からツイてなかったのかもしれない、ハディックスだった。
1935年5月25日
ベーブ・ルースは、彼の比類なきキャリアで最後の
3本塁打(712,713そして714号)を放ちます。
ボストン・ブレーブスでプレーしていたルースは、
この3本に二塁打を加えますが、11-7で
ピッツバーグ・パイレーツに敗れます。
ルースの714本塁打は、39年後にハンク・アーロンに
破られるまで大リーグ記録となっていました。
★プチトリビア
34年の秋に日米野球で来日。
帰国後にヤンキースから解雇されてブレーブス入り。
この最後の714本目は、推定180m飛んだといわれています。
◆今日の気になった出来事
マリナーズの菊池雄星投手は30日(日本時間31日)、先発した
本拠地でのレンジャーズ戦で、自身2連勝となる今季3勝目を挙げた。
4回途中までパーフェクトの内容で、6回2/3を3安打2失点、
フォーシームの最速は98.5マイル(約158.5キロ)を記録。
チームの4連勝に貢献した。
レンジャーズの先発ヤン・ヒョンジョンとの“アジア人左腕対決”と
なったマウンドで、菊池は3回まで完全投球。
4回2死から遊撃クロフォードの悪送球で二塁に走者を背負ったが、
後続を危なげなく遊ゴロに仕留めた。6回先頭のカルフーンに右前に運ばれて
この試合の初安打を許すも、後続を三塁併殺打に。
ただ、7回1死一塁からギャロに右翼越えの2ランを被弾。
2死を奪った直後に四球を出したところで降板が告げられた。
打者24人に対して104球を投げ、5奪三振、1四球。防御率3.88、
フォーシームの最速は98.5マイル(約158.5キロ)を記録した。
6回0/3で4安打1失点で2勝目を挙げた前回24日(同25日)のアスレチックス戦に続き、
自身2連勝。3勝3敗の五分に戻した。
6試合連続のクオリティスタート(6イニング以上で自責点3以下)も達成。
マウンドを重ねるたびに安定感を増している。
2001枚限定シリアルナンバー入り!
1935年5月24日
大リーグ史上初となるナイト・ゲームが、シンシナチの
クロスリー・フィールドで行われます。
フランクリン・デライノ・ルーズベルト大統領がホワイトハウスで
ボタンを押し、球場は点灯されました。
試合前のセレモニーの後で、地元レッズが2-1で
フィラデルフィア・フィリーズを破りました。
★プチトリビア
この頃のレッズは、お世辞にも強いとはいえず、
31年からずーっと最下位の8位で35年はこのお陰(?)で6位。
36年5位まで上げるも、37年はまた最下位へ転落しました。
1999年5月23日
ボストン・レッドソックスのトム・ゴードンは、
ミネソタ・ツインズから10-8で勝利し、50連続セーブ機会成功の
彼の大リーグ記録を更新します。
6月5日にアトランタ・ブレーブスが9回に彼に負けをつけるまで
ゴードンの記録は54までのびました。
★プチトリビア
98年に46セーブでセーブ王になったが、
99年はこの記録の後、ヒジを痛めてわずか11セーブに。
00年は全休でしたが、01年はCHCで復活。
調子を落とし、04、05年はNYYでセットアップを経て
06年からはPHIで再び、クローザーへ返り咲いた。
ちなみにディーは、息子です。
1969年5月22日
アトランタ・ブレーブスの強打者、ハンク・アーロンは、
彼の大リーグキャリアで初めて、代打と交代します。
ニューヨーク・メッツに15-3と圧倒したため
バックアップ外野手のマイク・ラムが7回にアーロンに
代わり、二塁打を放ちました。
アーロンは、代打と交代するまで9015打席に入りました。
★プチトリビア
「精密機械」といわれたアーロンは、首位打者2回、最多安打2回
本塁打王4回、打点王4回、得点王3回、さらにゴールドグラブ3回
通算240盗塁で63年には30-30(41本塁打、31盗塁)も達成し、
そして23年間でオールスター21回と走攻守全てに「精密機械」でした。
◆今日の気になった出来事
パドレスのダルビッシュ有投手(34)は23日(日本時間24日)、
本拠地でマリナーズとの交流戦に先発。7回を7安打1失点、
5奪三振、無四球と好投して今季5勝目を挙げた。
防御率はリーグ4位の1・75となった。
巧みな投球術で、ダルビッシュがこの日最大のピンチを切り抜けた。
1―1で迎えた同点の6回。二塁打と単打で1死一、三塁のピンチを招くと、
打席には左打者の新人ゴドイ。
前の2打席はいずれも球速の遅いスライダーで、空振り三振と遊飛に
抑えていた右腕は「スライダーを意識してくれたら(球速の速い)
カッターは絶対に詰まる。セカンドゴロを打ってほしいなと思って、
強いカッターを投げられればゴロにはなりやすい」。
打者心理を冷静に分析した上でカットボールを連投し、
注文通りの二ゴロ併殺打に仕留めた。
初対戦の打者が多かったこの日は、カットボールとスライダーの緩急で相手を翻弄。
7回も1死から走者を背負ったが、今度はスライダーで8番メイフィールドを
三ゴロ併殺打に仕留め「スライダーを真ん中あたり投げて、アウトに
なってくれればうれしいなという神頼み的な感じでいったらゲッツーでした」と、
好結果に屈託のない笑みを浮かべた。
苦手だと公言するデーゲームで「今日はそんなに良くはなかった。
単純に体の状態が元気でなかったという感じ」と話しつつも、
7回1失点の好投で5勝目。
さらなる高みを目指す右腕は「デーゲームで、ナイターのような体の
強さというのがあれば。それを(今後)どうしていくかということ」と
朝食の取り方などについての課題も口にした。
チームは主砲タティスに満塁弾が飛び出すなどし、9―2で快勝。
本拠地9連戦を負けなしの9連勝で終え、ダルビッシュも
「チームにとっては最高。これ以上ないホームスタンドだったんじゃないかな」。
メジャーで今季30勝一番乗りを果たし、地区首位を走るチームの勢いに目を細めていた。
首位快走のSD。このまま突っ走るか?
ニューヨーク・ヤンキースの強打者、ベーブ・ルースが
フィラデルフィア・アスレチックスとのダブルヘッダー第一試合で
3本塁打を放ち、9回の打席では右打席に入ります。
ジャック・クウィンが2ストライクからの投球を投げる時に
素早く左打席に入りなおしますが、バンビーノは三振に倒れます。
★プチトリビア
破天荒な性格同様にやることもど派手なのがルース。
1927年には頭めがけてきた投球を本塁打。
これがシーズン60号の新記録だったり、32年のワールドシリーズの
予告本塁打などエピソードはことかかないルースです。
◆今日の気になった出来事
ドジャースはダイヤモンドバックス先発のメリル・ケリーの前に
12三振を喫するなど苦戦したが、アルバート・プーホルスの6号先制2ラン、
ウィル・スミスの5号勝ち越しソロと2本のアーチで3点を奪い、3対2で辛勝。
デービッド・プライスから始まった7投手のリレーを最後はケンリー・ジャンセンが
締めくくった。ドジャースはダイヤモンドバックス4連戦をスイープし、
首位ジャイアンツとの2ゲーム差をキープ。明日から直接対決3連戦を迎える。
ドジャースは2回裏一死1塁からプーホルスの6号2ランで先制。
プーホルスの移籍後初アーチは通算668本目の本塁打となった。
また、この一打は通算3256本目のヒットとなり、エディ・マレーを抜いて
歴代単独13位に浮上している。
6回表にエドゥアルド・エスコバーの11号2ランで同点に追い付かれたが、
7回裏にスミスが5号ソロを放ち、この一発が決勝点となった。
なお、元アストロズのジョシュ・レディックが今日から
ダイヤモンドバックスの一員としてメジャー昇格。
ドジャー・スタジアムのファンから大ブーイングと
「Cheater」コールが浴びせられた。
ドジャースの筒香嘉智は「7番・レフト」でスタメン出場したものの、
空振り三振、見逃し三振、空振り三振で3打席連続三振。
3打数ノーヒットで今季の打率は.161、OPSは.454となった。
故障者リスト入りしているコディ・ベリンジャーとザック・マキンストリーが
明日からマイナーでのリハビリ出場を開始する予定となっており、
筒香は今後数日間がメジャー生き残りをかけた正念場となりそうだ。
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