母が入院したのをきっかけに祖父母の家に住むことになりました。

祖父は脳梗塞を患い左半身麻痺で杖があれば歩ける程度でした。

祖母は元気な健常者でした。

私はいつもお風呂から出る時に湯船からお母さんの病院の方向にむけて「お母さんがよくなりますように。」とずっと言っていました。



そんな母も意識を取り戻しICUから個室に戻りました。
酸素マスクはずっと付けてましたがこちらの答えには何とか反応している感じがしました。



しかし夜中、電話がなり祖母が電話に出たみたい何ですがどうやら母に人工呼吸器を付けると連絡が入った見たいでした。

人工呼吸器を付けた母は何だか可哀想に見えました。


それから2週間後ぐらいたった朝、祖父から「今日は学校に行かなくていい」

と言われすぐにわかりました。



母が亡くなったんだなと。


病院に運ばれてから1ヶ月で亡くなりました。



病院へ行き母を見ると、守れなかったごめんなさい。

後悔が押し寄せてきました。

お葬式でお経を唱えてる中、お母さんはもういないんだ私はどうしたらいいんだろと泣きそうになり途中で席を立ちました。

後ろを向くと祖父が手を広げてましたが

「ごめんトイレ行ってくる」

と嘘をつき居間に行きその場で泣き崩れました
それもお経の声を消すかのように
ずっと「お母さん、お母さん」と叫んでいました。

実は父と母に私から約束をしてと言ったことがあります。

それは

中学の制服姿を見るまで死なないでね

その夢も叶いませんでした。

両親をわずか1年で無くしました。

世の中には同じ人がいるかもしれないしと思うと
私なんてちっぽけだなと思います。

生まれた時からご両親がいない方や事故とかでご両親がいない方には不快に思ってしまうかも知れません。

すみません。


それから私は祖父母の養子になりました。

まだ話は続きます。
父が入院中寂しくないようにと母はジグソーパズルを
していました。

父が亡くなってからも続いていました。

母は私の前では涙を見せませんでした。

父の火葬の時も影に隠れて泣いている背中を見ていました。


父が亡くなっても二人で楽しく生活を送っていました。




そんなある日

夜中寝ているとうめき声が聞こえなんだろと思い
寝ている母を見ると母の様子がおかしかったのです。

母に話しかけると水が欲しいと何とか聞き取れる感じでした。
私はコップに水を入れストローをさし母に飲ませました。

「お母さん様子がおかしいから救急車呼ぼ?」
と言ったのですが
「呼ばなくていいすぐに治る」
と母が言ったので救急車を呼ぶのを諦めました。

母は相変わらず苦しそうにうめき声をあげていて
私は怖くて怖くてどうすればいいのかわからない
でも母は救急車呼ぶなと言ってるしと思って、明日の朝もこの様子だったら呼ぼうそしたら大人の人は起きてるよねと思い耳を塞いで寝ました。



翌朝

母のうめき声が小さくなっていました。
午前7時頃でした。

布団に2ヶ所失禁してました。

これはもうダメだと思い母に「救急車呼ぶから!」
と伝え救急車を呼びました。

呼び終えたあとすぐに母の友達に連絡をしました。
「お母さんが変なの助けて早く来て」
とそれだけを伝え電話を切りました。

近所に住んでる知り合いにも連絡しました。

知り合いは直ぐに駆けつけてくれました。

しばらくすると救急車が到着しました。

救急隊員の人に何があったか説明をして隊員の人達が母の処置をしている様子を自分の部屋から見てました。
手には父と母が買ってくれたぬいぐるみと父の遺影を抱きしめてました。

処置が終わると救急隊員さんが「今からお母さんを病院に運ぶから一緒に行こう」と言われ救急車に乗り病院に行きました。


病院に着くと母はどこかに運ばれ私は看護婦さんにここで待っているようにとイスに座らせました。

しばらく立つと母の母がきました。

二人で待ってると看護婦さんに呼ばれ医師からこう言われました。

「お母さんは脳梗塞と言って頭の血管に塊ができてしまったの、小渕総理わかるかな?あの人と同じ病気なんだ。」と説明されました。

私の母の父も脳梗塞で倒れた事があったので「わかります」と言いました。

すると医師が「一人で救急車呼んでここまで出来たねエラいよ」と先生に言われた瞬間

今まで怖かった思いや不安だった思いが一気にこみ上げてきその場で号泣しました。

先生に「お母さんを助けて下さい、お願いします」
と泣きながら言うと先生は
「わかった、できる事は全部やるね」
と言っていました。


これは父が亡くなってから半年の出来事でした。


それから私は母方の祖父母の家で住むことになりました。

私は現在27歳平成元年生まれです。

父と母と私の3人暮らしでした。

私が生まれた時からか後からかわかりませんが、父は体が弱い人という印象がありました。

私が小学1年生の頃から父は車椅子生活を送っていました。
父は入退院を繰り返していました。

そんな父を母は介護していました。

それでも3人とも仲よく幸せに暮らしていました。










ある日

父の様態が急変しました。
私はその時小学5年生になりたてでした。

入院生活を送っていた父でしたが日に日に父ではない父になっていました。
言葉もまともに話せない赤ちゃんみたいになっていました。
それを見るのが辛かったです。

けど今思えば母の方が辛かったのでしょう。

父の母がお見舞いに来ると体調もよくて見ていて安心してました。

ですが父の母が帰ってしばらくたったある日また様態が急遽しました。

母が「今日は病院に泊まって3人で寝よ」
と私に言いました。

次の日父は亡くなりました。

父が亡くなった…

実感が湧きませんでした。

母が私に手帳とテレホンカードを渡してきて
「ここに書いてる人全員にお父さんが亡くなった事を教えて」と言われたので1人1人電話しました。

ふと母の方を見るとこちらに背中を向けてました。

私が母を守らないといけない
母を楽にさせてやる

その瞬間誓いました。