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清静放下

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合気道は剣の理合

故に剣の理合を求めている

かと言って

手近な道場もなく

またあったとしても

合気道と併用して通える訳もない

今、出来るのは

愚直に木刀を振ってみる事だけである

1日500

半年以上はやっているが180×500として

9万回

剣術の修行者は年間30万回振ると読んだ事がある



あまり気にする必要はない

俺のペースでやらなければならない

木刀しか振った事はないが

真剣はそれとは全く違うものらしい

もし

剣の理合が真剣を前提としたものであるならば

そんな不安が頭を過ぎった

結局のところ

素振りだけでは

自分がちゃんと使えているのかどうか

わからないのではないか

いわゆる

刃の立て方

切り下ろす角度、方向

これで正しいのだろうか

そんな不安が頭をもたげた

剣術の稽古には

試し斬り

と、言うものがある

刀を使えているかどうか、それで確認するのだと言う認識がある

やりたい

と、思った

試し斬りについて調べてみると、牛乳パックや新聞紙を使用する事もある

刀は無いがカッターでやってみたような人もいるらしい

ならば俺も

牛乳パックは固定しなくてよいらしい

水は入れるのだろうか

空の容器をただ置いたのでは飛んで行くと思う

一応小さいペットボトルは買った

最初は空

やりやすい袈裟斬りで

真っ二つには至らない

カッターの刃より紙パックの幅が大きいからだ

斬った時に大きな音がして紙パックは地面に落ちたが

一応は斬れた



だから何だ



そう思った

こんな事は誰でも出来る

それでも1日10、20やるなら稽古にもなるだろうが

音がうるさくて迷惑であろう

継続すべきものとしては、適さない

やはり、やるならちゃんとした場所で、ちゃんとした道具を使わなければならないのだ

実際にやってみて、そういう結論を出した







木刀素振り

まずは姿勢から

改めて五輪書を読んだ

それに従う

十年以上昔に読んだ事はあったが、あの頃は空手をやっていて、木刀等持った事も無く、すぐ忘れてしまった

それはともかく

実際にはどのような姿勢なのか

試し斬り関連の動画を色々観ていたら

Yi  Long

と言う人物の試合に行き着いた

全然知らない人だが

物凄い動きをする

それにしても

あの姿勢

五輪書にある姿勢と言うのはああ云うものではあるまいか

そんな事を思う



持ち方

深く持つ

と、言う意識がある

茶巾を絞るように

もしかしたら

片手で絞るのではないか

綿に含んだ水を握って絞り出すような

刀は片手で扱う

振りながら両手でするように捻ったのでは、刃の立て具合が狂うと思う

両手を使うにしても、ただ変化に応じて順番に指を締めていくのではないか

あくまで、仮説に過ぎず実際にはどうだかわからない

そう言った事を検証する為に試し斬りは有効だとは思う

そこに誤魔化しの入る余地が無いからだ

ただ

慣れた動きと初めての動きの差とかもあるだろうから、やはり一概には言えない、か



刀身の重さに添えて、それを邪魔しない位の心持ち

正しい姿勢を保ちながら

ただ脇を締めるだけ

今の所

振り下ろす時はそんな風にしている

ただそれだけの事を維持するのが、中々難しい

しかし、それにしても

宮本武蔵と言う人は現実的である

徹底した合理主義者

そういう人は好ましい

兵法と言う観点

改めて、ハッとさせられるものがある

すると、大山総裁は紛れもなく兵法者であった

植芝盛平翁も然り

塩田剛三然り

そこには

類まれな武術的実力のみならず、身を立てる為の工夫があったと思う

佐川義行と言う人は、そういう事に関心がなかったらしい

しかし、文字通り生涯現役の修行者であった

と、本に書かれている

そういう人を尊敬する

俺が釈尊、つまりブッダ・ゴータマを好きなのは、一生の間インド中を歩いて伝道をするような欲の無さも大きい

そんな創始者は今まで聞いた事がない

弟子が増え、有名になり、齢を重ねたら伝道は弟子に任せておけばよいのに

だって偉いし、優秀な弟子を沢山育てて尊敬されてるのに、歳取ってまでボロ一枚で乗り物にも乗らずに、長い道程を自力で歩いて

そこ

それを

どう捉えるか

俺はこう思う

要するにこの人は

生涯現役だったのだ

最後の最後まで

わからない事があれば何でも聞きなさい

と、言うその言葉

釈尊と言う人は、請われるままに教えてくれ

必要に応じてアドバイスし

修行僧とは如何なるものか?

その問いに対して

自らの生き方を答えとして示した生涯現役の教師なのだと思う


宮本武蔵も本質的には、そういう生涯現役の人であるような気がする

誤魔化しの効かない、純粋無垢な本質主義者

目的達成の為に最も有効な事だけを研究し続ける

ひたすらに真っ直ぐな、現実主義者



実際は、そんなんじゃなかったのかも知れない

殺意の波動的な何かがとぐろを巻いて、常に毒見を欠かさず、平和の最中にさえも独り修羅場に立っているかのような、近寄り難い感じだったのかも知れない

一つ命を奪えば、今度はその者が命を狙われる

武士にも当然家族はあって、武士の子は武士なのだし

武蔵独りを討ち取りさえすれば破格の名誉が得られる訳で、死人に口なしの諺に従って


どんな手を使ってでも


そう思う輩はいただろう

常に命を狙われていれば

疑心暗鬼になっても不思議は無い



独行道

と、言うものがある

釈尊、つまりブッダ・ゴータマの

サイの角のようにただ独り歩め

と、言う言葉に似ている



その目的に決定的な違いを持ちながらも

武の道と仏の道は、よく似ている






厳しい寒さが磨くのだろうか

澄み渡るような、冬の空

月明かりの下で小さな気付き

感謝すべきは何であろうか

この木刀も多くの事を教えてくれる

何の変哲も無い木刀だが

振る前には誰も見ていないのに、礼をしてしまう

だって

有難いもの

木の棒を削っただけのものが

こんなにも沢山の充実を与えてくれる

気付きを授けてくれる

何時でも何処でも

文句も言わず

見返りも求めず

無償で

俺の段階に合わせて教えてくれる

有難い

何処の先生にも出来ない事を

このありふれた木刀はやってくれる



お願いします

ありがとう



心の声は何に向けたものだろう

きっと木刀だけではない

沢山の事

言葉には出来ない何か

そう感じる瞬間がある







誰も見てない月の下

心を込めて頭(こうべ)を垂れる