<伝来と鉄砲の相性の良さ>
伝来という言葉は鉄砲とセットでしか使われない気がします。
調べてみると、
「西明寺――もとこの寺は、松平氏が旧領石州から奉搬の伝来で、土地の町村に檀家がない。」
(泉鏡花 燈明之巻)
「これは、元祖から、今の宗家へ伝来したのだと云うが……」 生憎、その内に、僕は小用に行きたくなった。」
(芥川竜之介「野呂松人形」)
というように文例もあるのですが、いまいちしっくりきません。
さて、鉄砲は種子島に伝来しました。
通説では、たまたま漂着したポルトガル人が持っていたという話です。
この後、量産に成功したので、伝来という起源が歴史に残りました。
生産できず、いつまでも弓とやりで戦っていたら、鉄砲自体がないわけですから、その出所もありません。
成功が歴史を作るのです。
幸い(?)にも、既存技術とニーズがあった日本において、鉄砲は薩摩に伝わり、堺で量産され、戦国時代の勢力図を、さらには歴史を、変えていくことになります。
<やりきってこそできるようになるし、出来るようになってはじめてマニュアルができる>
当たり前ですが、その間にはたくさんの鉄砲が生産されていますし、その数を上回る失敗もあった事でしょう。
そしてこれも当たり前ですが、生産者全員が最初の鉄砲を見ているわけではありません。
ましてやその作り方を教えてもらったわけでもありません。
広まる間に多くの人が関わることになりますが、そのほとんどは直接的な指導を受けたことはありません。
技術者がやってきて製造方法を手取り足取り教えるというようなことは、ずっと後の時代になって行われるようになった方法です。
それだけ人や物の往来にコストがかかった時代でした。
したがって、最終結論である鉄砲そのものはあるが、作り方は自分で考える必要がありました。
たまたま既に持っていた技術や材料を応用して、考えることができた国だけが製造できました。
考えてみれば、細かい部分まで指導が行き届いていたり、マニュアルが整備されていることなど、今の世の中でもありえません。
基本は自分で考え、間違っていたらその指摘を受けられる程度です。
鉄砲を自分で作ってみて、間違っていたら暴発して、怪我をすることでその間違いを知ることができるという状態と、本質的にはなんら変わっていません。
今も昔も、知ることの多くは、正解ではなく失敗です。
噂話程度の不完全な知識で試行錯誤して、失敗を重ね、正解にたどり着く。
そしてそのころになってようやく、完全(には程遠いでしょうけれども何とか使い物になるよう)な知識になっている。
今も昔も変わらない流れです。
算式にするとこんな風に表せます。
噂+既存技術+努力=成功
やり切ってこそできるようになります。
<運と努力の相関>
この式が正しいとすると、既存技術があるタイミングで噂を聞くという運も必要だということになります。
しかし、多くの既存技術があれば多くの噂に対応できるわけですから、結局は努力するしかないのです。
<デスクワークでも同じ>
私は補助金や助成金の申請書を添削することがあるのですが、上記の法則は当てはまります。
添削なので、残念ながら、「こう書けば良い」という赤ペンはなかなか入れられません。
「ここが変です」「これが足りません」という指摘がメインです。
書いた方からすると、失敗点のみ並べられることになります。
心の準備ができていないと、ストレスがたまることでしょう。
補助金のルールを無視し、助成金のマニュアルを逸脱した記載であれば、言い方は別として、添削の内容ははかなり初歩的(=辛辣)なものになります。
もちろん、元が良ければ、すなわち自分でよく考えたものであれば、その指摘も建設的なものになります。
鉄砲の例でいえば、前者は暴発して怪我をするような手痛い失敗。
後者はあと一歩で完成しそうな惜しい失敗。
ということになるでしょう。
いずれも「失敗」を指摘されることになりますが、努力の程度に応じて建設的か辛辣かが決まるわけです。
噂話 → 手痛い失敗 → 惜しい失敗 → 成功
前述の算式に似ていますが、その通りです。
手痛い失敗を乗り越えると、技術(≒知識)が蓄積されます。
惜しい失敗までくればあとは熟練度の問題です。
確かに苦しい過程ですが、ここで脱落してしまうと、待っているのは、従属・蹂躙、または敗北・淘汰です。
鉄砲を生産できたからその伝来があったように、成功してこそその努力は「ある」ことになります。
今日のまとめ
〜勝てば官軍〜
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