Wcup players  bographies
the biographies of  soccer player of  cup
Amebaでブログを始めよう!

Didi

Didi

player name

 イラ バウジール・ペレイラ(ジジ)

 

country brazil team

1946-49 カンポス・アメリカ 1949-50 マドゥレイラ 1950-55 フルミネンセ 1956-59 ボダフォゴ 1959-60 レアル・マドリード(スペイン) 1960-62 ボダフォゴ 1963-64 スポルティング・クリスタル(ペルー) 1964 ボダフォゴ 1965 ベラクルス(メキシコ) 1966-67 サンパウロ

player title

1958年 ワールドカップ優勝

1962年 ワールドカップ優勝

 player history 

もし現代サッカーにジジが蘇ったとしても、極々汎用な選手として一生を終える事だろう。競り合いに弱く、90分間走り回るスタミナも持ち合わせてはいなかった。しかし技術が重要視された1950年、60年代のサッカーシーンにおいては、ジジは正に神の如く存在だった。

「枯葉」と呼ばれる急激に落ちる柔らかなシュートでスタジアムを熱狂させ、センターサークル付近から放たれる長短自在のパスでゲームを組み立てた。また素晴らしい人徳者としても知られ、ブラジル代表のキャプテンを永らく務めた。 

バウジール・ペレイラ、通称ジジは1928年10月8日にブラジルのカンポスに生まれ、ストリートでサッカーを学んだ。しかし14歳の時、ジジは自らが育ったストリートで大怪我を負う。仲間達とサッカーを楽しんでいた最中に誤って右足を蹴られ、一時は足の切断まで迫られるほど状態が悪くなったという。

なんとか切断だけは免れたものの、その後半年もの間、車椅子での生活が続く。しかし怪我の巧妙とでも言うべきか、傷めた右足をかばうためにジジは独特のキックを身に付け、それがやがては枯葉シュートを生み出すきっかけとなった。 

枯葉シュートを身に付けたジジは、18歳でカンポス・アメリカのレギュラーの座を獲得し、1950年に名門フルミネンセに入団。ブラジルを代表する名手へと成長を遂げていく。1958年ワールドカップでも代表の座を射止めたジジは、母国の初優勝に大きく貢献。彗星の如く現れたペレやガリンシャが注目を集めたが、チームの中心は間違いなくジジだった。

 そしてワールドカップ終了後、当時最強クラブと謳われたレアル・マドリードがジジの獲得に動く。目の飛び出るような移籍金で迎えられたジジは、当初チームの舵取り役として期待されていた。しかしレアル・マドリードには生きる伝説アルフレッド・ディ・ステファノがいた。ディ・ステファノは素晴らしい選手だったが素晴らしい人間とは言い難く、チーム内に自分以外の権力者がいることを執拗に嫌った。

結局スペインでは僅か2試合に出場しただけでジジの挑戦は終わりを告げた。 しかし、枯葉の伝説はまだ終わらない。1962年ワールドカップを迎える頃にはジジは既に34歳という高齢だったが、それでも卓越な戦術眼を武器にセレソンの中心選手として活躍。2大会連続の優勝を勝ち取った後にブラジル代表から引退し、1967年にサンパウロで現役生活にピリオドを打った。

 引退した後は監督してサッカーに関わり、1970年ワールドカップではペルー代表を率いて本大会に出場。準々決勝ではかつて自分が選手として活躍したブラジル代表と対戦し、敗れはしたもののスペクタクルなサッカーで観客を大いに楽しませた。 2001年5月12日、バウジール・ペレイラは呼吸不全のため71歳でその生涯に幕をおろす。しかしながら、枯葉の伝説は時を越え永久に生き続けるだろう。

Pele

player name

ペレ(エドソン・アランテス・ド・ナシメント)

 

country

brazil

 

team

セッチ・ジ・セテンブロ→クルゼイリーニョ→バイ・ケン・ケール→カント・ド・リオ(53年)→アメリキーニャ→サンパウリーニョ→バキーニャ(54年)→ラジウン(55年)→ノロエスチ(55年:親善試合)→サントス(56年9月7日~74年10月2日)→ニューヨーク・コスモス(米国北米リーグ:75年6月15日~77年9月25日)

 

 player  taitle

62、3年リベルタドーレス杯、インターコンチネンタル・カップ優勝

61、2,3,4,5年タッサ・ブラジル優勝

58、60、1、2、4、5、7、8、9年サンパウロ州選手権優勝

57、8、9、60、1、2、3、4、5、9、73年サンパウロ州選手権得点王(以上サントス)

77年北米リーグ優勝(以上ニューヨーク・コスモス)

73年南米年間最優秀選手(エル・ムンド紙)

 player history

16歳で名門サントスFCに入団の翌年にはもうワールドカッププレイヤーとして世界の桧舞台に立ったスーパースター。しなやかな身体とインテリジェンスあふれるプレーで数多くのゴールを生み出した不世出のストライカー。58年スウェーデン大会では5得点をゲット、17歳でブラジル初優勝の原動力となる。62年チリ大会では相手チームの執拗なマークで負傷退場するが偉大なペレの存在がやはり優勝に導くことになる。66年イングランド大会はブラジルスランプの年となり予選敗退した結果、代表引退を表明したが70年メキシコ大会で見事にカムバック。ワールドカップ史上唯一の3度の優勝経験選手となる。その後、サントスでプレーを続けた後、74年に北米プロサッカーリーグのニューヨークコスモスの花形選手として活躍、その一員として来日したこともある涯ゴールが1283とはまさに”神様”の称号が当てはまる。

brazil game of mecxico 1970

group

Team 得失点 勝点
ブラジル 3 0 0 8:03 6
イングランド 2 0 1 2:01 4
ルーマニア 1 0 2 4:05 2
チェコスロバキア 0 0 3 2:07 0


game

6.3 グアダラハラ・ハリスコスタジアム ブラジルVSチェコスロバキア 4-1(1-1)
6.7 グアダラハラ・ハリスコスタジアム ブラジルVSイングランド 1-0(0-0)
6.1 グアダラハラ・ハリスコスタジアム ブラジルVSルーマニア 3-2(2-1)

6.14 グアダラハラ・ハリスコスタジアム ブラジルVSペルー 4-2(2-1)
6.17 グアダラハラ・ハリスコスタジアム ブラジルVSウルグアイ 3-1(1-1)
6.2 メキシコシティ・アステカスタジアム 西ドイツVSウルグアイ 1-0(1-0)