「死の待合室」が増える時代 | 奇跡のだいちゃんのブログ

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人生100歳時代を迎えることは確実

内閣府の推計によると

2007年生まれの二人に一人は

107歳まで生きるという

ということは、人生100歳時代が

確実なものとなりつつある



照れニコニコ 人生100歳時代の課題 チューびっくり



人生100歳時代の課題として

健康寿命が100歳ということであれば

まだしも、平均寿命がやたらと

増えるばかりだと医療や介護

さらには生活保護といった

社会保障費がかさむことは明らかだ

その社会保障費をどう捻出するか?

大きな課題になることは必須である

費用という経済的なものだけではない

人的な資源をどうするか?

少子高齢化社会において

この金と人の問題は極めて大きい

こういう社会的な側面以外に

個人的な課題も大きい



プンプンチュー 人生ってなんのために びっくりガーン



人生、なんのために生きるか?

生きる意義は何かを問うと

多くの人は答えられない

「ただ生きているから生きている」

「死ぬのは怖い」

「死にたいと思っても手段がない」

などと漠然と生きていることが多い

加えて「死生観」には

「生」を肯定して

「死」を否定する傾向にある

人口が少ない時代には

「産めよ殖やせよ」という価値観

に基づいて経済発展に寄与してきた

ところが地球人口は間もなく100億人

の時代に突入する

食糧やあらゆる天然資源は不足する

天然資源だけでなく

その内、発展途上国においても

少子高齢化時代が訪れるはずだ

そうすると先進国と同様の

社会保障費から人的資源に至るまで

大きな障壁にぶつかり

長寿の良し悪しという課題が出てくる

そうすると地球上の価値観が

「死」の否定から「死」の肯定に

死生観も変わらざる得ない局面が

訪れると予測する



びっくりガーン「死生観」の転換  ムキー笑い泣き



20世紀までは「生きることの権利」

が主張されてきたが

21世紀の半ばには

「死ぬことの権利」が認められる

主張されるようになると推測する

いくら医学が進歩しても

人間の平均寿命を押し上げる

限界はある

SF小説のように自分と同一のコピーを

つくり、脳により進化したAI を移植して

永遠に生きれることが可能になっても

どのような意味があるのか?

哲学的な解答は得られないだろう



爆笑ムキー「死の待合室」が増えるびっくりガーン



いずれ「安楽死」も認められよう

現段階でも条件が厳しい「安楽死」

スイスにオランダ、米国の一部州

などでしか認められていない

なぜ、それほどまでに厳しいのか?

「生きることの権利」があれば

「死ぬことの権利」があっても

良いと思うが…

どうして「個人の死」が法的に

拘束されないといけないのか?

疑問に思い出して数年になる

宗教的な視点に立てばわからない

でもない

しかし、無神論者からすると

論理的な意味がわからない

「死ぬ」ということに罪障が伴うのか

「安楽死」が駄目であれば

「満足死」を提唱したい

満足して死ぬのだから阻まれる

理由はない

超高齢社会において

「死」は「否定」から「肯定」に

変わるだろう

人間の価値観や倫理観は

社会の趨勢で変化し得るものだ

歴史を紐どけば明らかだ