多死社会でどのように
「死」を迎えるか?
2025年になると
団塊の世代が後期高齢者になり
団塊ジュニアは50歳を超える
そして、50歳代以上の人口が
80%を超えるという
超高齢化社会では
人口の50歳以上が80%を超える社会
労働生産者人口が減少する社会
社会保障はどうなるのだろうか?
現在の社会保障制度は
高齢者を優遇する形になっている
税収が細る中、
高齢者の寿命はますます伸びる
「人生100年時代」という委員会が
内閣府に立ち上げられた
人生60㍍走から100㍍走への転換期
人生60㍍走は殆どが仕事をして終った
100㍍走になると距離が延長して
息切れする余生になるかもしれない
長寿が良いとばかりは言えないと思う
人口構造の多くを高齢者が占めると
社会にも負担をかけることになる
本人も「生きているから生きている」
と漠然とした生き方になりかねない
「生きる」とはどういうことなのか?
ますます、その意味が問われることに…
寿命を考える
人生を否定し、
長寿を否定しているのではない
ただ、自分の意思で
生まれてこなかった人生だから
せめて、人生の終焉を自分の意思で
閉じることはいけないことなのか?
例えば、80歳を過ぎれば
自分の意思で終焉を告げても良いと
考えるがいかがなものか?
尊厳死や安楽死はあるが
ハードルが高過ぎる
安楽死の条件をみても
「どうして、そこまで厳しい条件」が
必要なのかわからない
言ってみれば「本人の死」を
第三者が判定するという不可解な
事態になっている
「尊厳死」や「安楽死」が
いけないのであれば
「満足死」を提唱したい
自分の人生を自分の意思で
決定して「何が悪い」のか?
わからない
ブロ友のみなさん、
良い知恵があれば教えてください