大司馬とは何か?
そもそも大司馬とは?
大司馬(だいしば)とは何か?大司馬とは軍事に関わる官職で
一応、軍事の最高職である。
軍事の最高職を示す将軍といえば大將軍であり、軍事の最高職を示す三公といえば太尉である。
大司馬と大將軍と太尉の違いは何なのか
この謎をそれぞれの起源を探ることによって解明したい。
まず、中国最古の王朝といえば夏(紀元前2070年?~紀元前1600年?)。夏そのものがよくわかっていない。
次が、殷(商)(紀元前1750±49年?~紀元前1046年)。そもそも夏も殷も本当に王朝を開いていたのか。
単なる部族連合だった可能性もある。よくわからないので立ち入らない。
殷王朝の次が周王朝(紀元前1046年?~紀元前256年)。
周も、ただの部族連合なんじゃないの?と思うが、よく知らないので立ち入らない。
ここからが本題。
金文によれば、(金文とは周の時代に製造された青銅器に刻まれた文字のこと)
周の行政機関を「卿事寮」(けいじりょう)といい、以下の三職を「三有司」(さんゆうし)と呼んだという。
土地や戸籍の管理を担当する「司土」(しと)
労役や租税の管理を担当する「司工」(しこう)
軍馬や兵車の管理を担当する「司馬」(しば)
(※要出典。三有司が刻まれた金文資料が見つからなかった。)
ただし「三有司」は固有名詞では無く文章だと思われる。
その場合、書き下しは「三の司を有す」で、「有」は動詞だろう。
つまり、固有名詞としては「三司」(さんし)とするべきである。
結論から言うと三有司=「三司」中の司馬が、大司馬の名の由来と思われる。
※『周礼』においては司土は司徒、司工は司空へと書き改められている。(と思われる)
『周礼』における司徒、司空の職掌と、金文における司土、司工の職掌は微妙に異なっている。
『周礼』が漢代に書かれた周代の制度についての書物とするのであれば、
これを作った人間は、周の制度を完全には把握していなかったと思われる。
もちろん周代を恣意的に比定して、当時の制度改革の方便とした可能性も考えられるが。
三国志では、太尉、司徒、司空を「三公」と呼ぶが、
「三国志」『魏書』七巻 呂布伝 本文
允以布爲奮威將軍 假節 儀比三司 進封溫侯 共秉朝政
王允、呂布を以て奮威將軍と為て節を仮し儀は三司に比す。進めて温侯に封じ朝政を共に秉ず。
※司徒の王允は董卓の中郎将である(董卓は呂布を将軍に任命していない)呂布に誘いをかけて、
董卓を殺させると、呂布を奮威将軍とし、節(専断権=自己判断で自己の軍を動かせる)を仮りに与えて、
儀礼(儀式的な待遇)は三司に比肩するものとした。呂布を温(河内郡温県)侯に封爵して、
漢王朝の政治を呂布と共に執り仕切った。
このような三公を三司と表現する例が「三国志」本文中14箇所に見られる。
三司=三公に於いて軍事を担当する役職名が司馬→大司馬→太尉へと変遷したことが伺える。
春秋戦国時代以降、諸国には複数の司馬が置かれ、
これらを監督する司令官として、大司馬の官職名が見られる。



参考文献
『秦漢法制史の研究』大庭脩 (1982年 創文社)
『歴史群像シリーズ32 項羽と劉邦 上巻』 (1993年 学習研究社)
『歴史群像シリーズ33 項羽と劉邦 下巻』 (1993年 学習研究社)
『正史 三国志』陳寿,裴松之 [翻訳:今鷹真,井波律子,小南一郎](1994年 ちくま学芸文庫)
『史記』司馬遷 [翻訳:小竹文夫,小竹武夫](1997年 ちくま学芸文庫)
『漢書』班固 [翻訳:小竹武夫](1998年 ちくま学芸文庫)
『古代中国』貝塚茂樹・伊藤道治共著 (2000年 講談社学術文庫)
『王莽 儒家の理想に憑かれた男』東晋次 (2003年 白帝社)
『歴史群像シリーズ78 争覇 春秋戦国』 (2005年 学習研究社)
大司馬(だいしば)とは何か?大司馬とは軍事に関わる官職で
一応、軍事の最高職である。
軍事の最高職を示す将軍といえば大將軍であり、軍事の最高職を示す三公といえば太尉である。
大司馬と大將軍と太尉の違いは何なのか
この謎をそれぞれの起源を探ることによって解明したい。
まず、中国最古の王朝といえば夏(紀元前2070年?~紀元前1600年?)。夏そのものがよくわかっていない。
次が、殷(商)(紀元前1750±49年?~紀元前1046年)。そもそも夏も殷も本当に王朝を開いていたのか。
単なる部族連合だった可能性もある。よくわからないので立ち入らない。
殷王朝の次が周王朝(紀元前1046年?~紀元前256年)。
周も、ただの部族連合なんじゃないの?と思うが、よく知らないので立ち入らない。
ここからが本題。
金文によれば、(金文とは周の時代に製造された青銅器に刻まれた文字のこと)
周の行政機関を「卿事寮」(けいじりょう)といい、以下の三職を「三有司」(さんゆうし)と呼んだという。
土地や戸籍の管理を担当する「司土」(しと)
労役や租税の管理を担当する「司工」(しこう)
軍馬や兵車の管理を担当する「司馬」(しば)
(※要出典。三有司が刻まれた金文資料が見つからなかった。)
ただし「三有司」は固有名詞では無く文章だと思われる。
その場合、書き下しは「三の司を有す」で、「有」は動詞だろう。
つまり、固有名詞としては「三司」(さんし)とするべきである。
結論から言うと三有司=「三司」中の司馬が、大司馬の名の由来と思われる。
※『周礼』においては司土は司徒、司工は司空へと書き改められている。(と思われる)
『周礼』における司徒、司空の職掌と、金文における司土、司工の職掌は微妙に異なっている。
『周礼』が漢代に書かれた周代の制度についての書物とするのであれば、
これを作った人間は、周の制度を完全には把握していなかったと思われる。
もちろん周代を恣意的に比定して、当時の制度改革の方便とした可能性も考えられるが。
三国志では、太尉、司徒、司空を「三公」と呼ぶが、
「三国志」『魏書』七巻 呂布伝 本文
允以布爲奮威將軍 假節 儀比三司 進封溫侯 共秉朝政
王允、呂布を以て奮威將軍と為て節を仮し儀は三司に比す。進めて温侯に封じ朝政を共に秉ず。
※司徒の王允は董卓の中郎将である(董卓は呂布を将軍に任命していない)呂布に誘いをかけて、
董卓を殺させると、呂布を奮威将軍とし、節(専断権=自己判断で自己の軍を動かせる)を仮りに与えて、
儀礼(儀式的な待遇)は三司に比肩するものとした。呂布を温(河内郡温県)侯に封爵して、
漢王朝の政治を呂布と共に執り仕切った。
このような三公を三司と表現する例が「三国志」本文中14箇所に見られる。
三司=三公に於いて軍事を担当する役職名が司馬→大司馬→太尉へと変遷したことが伺える。
春秋戦国時代以降、諸国には複数の司馬が置かれ、
これらを監督する司令官として、大司馬の官職名が見られる。



参考文献
『秦漢法制史の研究』大庭脩 (1982年 創文社)
『歴史群像シリーズ32 項羽と劉邦 上巻』 (1993年 学習研究社)
『歴史群像シリーズ33 項羽と劉邦 下巻』 (1993年 学習研究社)
『正史 三国志』陳寿,裴松之 [翻訳:今鷹真,井波律子,小南一郎](1994年 ちくま学芸文庫)
『史記』司馬遷 [翻訳:小竹文夫,小竹武夫](1997年 ちくま学芸文庫)
『漢書』班固 [翻訳:小竹武夫](1998年 ちくま学芸文庫)
『古代中国』貝塚茂樹・伊藤道治共著 (2000年 講談社学術文庫)
『王莽 儒家の理想に憑かれた男』東晋次 (2003年 白帝社)
『歴史群像シリーズ78 争覇 春秋戦国』 (2005年 学習研究社)