今年一年はいろんなことがありました。


息子が亡くなって淋しい思いをした一月二月、三月の28日が予定日の日で手を切りました。

12針ぬったんだよなぁー。


四月になり妊娠が発覚しました。妻のつわりがひどく傍にいてやろうと退職を決意しました。

五月二十日今までいた肉屋を退職し五月三十一日に今の老人ホームへ入社しました。

六月は安定期に入りましたので長野の善光寺へ双子の供養と帯祝いをかねてお参りに行きました。


七月お腹も大きく目立ってきまして拙者の仕事も板についてきました。
横びらきのファミリーカーほしいということでボクシーを買いました。


八月はお腹の赤ちゃんが少しずつ動いたりするようになりました。まだそのころは父親の実感がわかなかったし胎動もわかりませんでした。

釣りによくでかけました。

九月は妻の親戚一同で東尋坊や永平寺を見に福井県まで遊びに行きました。
大きくなったお腹を抱えながら永平寺の階段を登っていた妻が懐かしいニコニコ


十月同僚がやめて厨房の責任者になりました。
またそのころから妻の血圧が上がりだし大学病院に通うようになりました。

妹が嫁に行きました。


十一月、妻は産休に入りました。毎週土曜日はお産の学級で拙者もついていきました。
プラス普通の検診も毎週あったのでほとんど病院に通いました。

愛犬のボルフがなくなりました。12歳でした。


そして12月。
待望の赤ちゃんが誕生音符
そしてもうじき一ヵ月たちます。
早いようで色々合った一年ですが、赤ちゃん中心の幸せな一年を過ごせたと思います。


来年も良い年であればいいなぁ。
先日のべましたように美優は2360グラムの小さな体で産まれましたが、赤ちゃんは産まれると排便や色々なことで体重が減ります。


入院中は非常におとなしく心配なこともありました。おっぱいを飲むのもへたくそでしばらく粉ミルクを飲ませていましたが、退院したとたん急に本性を剥き出してぎゃーぎゃー泣きます。


おっぱいにも強烈に吸い付きます。


でも検診に病院に行くとおとなしいんですよ!


猫を被るんですよ!


我ながら世渡り上手な娘ですニコニコ


最近は大きくなってきてもう2500以上ありますニコニコ

泣くたびにおっぱい飲んでるから豚ちゃんになりそうでパパは心配ですしょぼん
遅くなりましたが12月9日にやっと


パパになりましたニコニコ


十ヵ月いや二年間待ち続けやっと拙者は父親になれたんですよ!


もちろん立ち合いました。というか立ち合わずしていられなかったというか・・・。


我々夫婦の出産とはなんとも早くあっという間の出来事でありました。

12月5日、妻は血圧が高くなり信州大学付属病院に入院いたしました。
予定日は二十日。

少し早めの入院となり離れ離れになることを惜しみながら病院に送っていきました。


よみがえる昨年の不安・・・。

入院の四日目で亡くなってしまった息子達。

入院という言葉に不安を感じておりました。


12月6日
とくに何もなく過ごせたようでした。母親学級で知り合った人とも仲良くなっており入院生活を楽しんでいる妻の姿にホット胸を撫で下ろしました。
予定日は後に週間。なにごとも無ければよい。ただそれだけでした。


12月7日
妻は拙者の生活が心配なようで朝から電話してきました。
仕事終わりに顔を出し休憩室でお菓子を食べながら一時間ばかしお話をしました。そろそろホームシックになったらしく家に帰りたいと言いだしました。
それを勇ましく断り赤ちゃんの為と言い聞かせ泣く泣く帰りました。


12月8日
入院四日目。
ここを乗り越えれば不安は少しでも無くなるだろうといつもより多めに連絡を取り合います。
しかも拙者は遅番で見舞いにはいけませんでした。
明日、明後日が連休だったので朝から番まで妻と過ごそうと思っておりました。

そして何事もなく四日目を終えようとした時、
腹が痛いと妻が言いだしました。
助産師は陣痛では無いといいなかなか拙者に連絡がこず12時を回り12月9日になりました。
メールでは痛い痛いとしきりに連絡がきておりましたが病院からの連絡が無かったので拙者は顔を見にいくこともできず一人で遊んでおりました。

12月9日3時10分

妻からの電話がなります。どうしてもお腹が痛いから会いたいと・・・。
思わずはっと立ち上がり車を飛ばして出て行きました。行く手は信州大学付属病院。

時間外の入り口から入ると妻は廊下でうずくまってました。
助産師は妻の背中をさすりながら旦那さん来てくれたけどまだ当分産まれないから痛みが引いたら帰ってください。といいました。

んなこと言われてもあんた妻が苦しんでいるのを置いて帰ることはできないでしょう!

病室に帰るのはしんどいということで陣痛室で寝ろといわれてつれていかれました。


どうにかして痛みを散らそうと必死に背中をさすったりしました。が一行に痛みが引くことは無くますます妻は苦しむばかり・・・。入院四日目の悪夢が頭をよぎります。


そこへのうのうと助産師があらわれおかしいなーというんです。
時間は朝の六時。
では子宮口見ますと言って調べてもらったらベイビーはもうすぐそこにおりました。

焦って分娩室に運ばれたのが七時半。

妻の血圧を計りながら慎重にお産が始まりました。

ふーふーと拙者の呼吸にすべてを預け妻が苦しみながらがんばっておりました。


それから二人は呼吸を合わせフーフーと約三十分。


2008年12月9日8時6分
妻は母となり拙者は父になりました。

産まれた赤ちゃんと三人で声を出して泣きました。

助産師はこんなに感激したお父さんは初めてだといいました。


2360グラムの小さめでしたがすぐに触らせてもらいました。小さな手で拙者の指を握ります。

うれしくてちょっと照れ臭くてなによりもかわいくてかわいくて・・・。


心の美しい優しい娘に育つようにと願い、
美優と名付けました。



あっという間の出来事でありました。


これからは家族三人でがんばっていきたいと思います。           あっミルクの時間だニコニコ
それではこれからもよろしくお願いします。