真面目さと効率性という相反する形式について、どっちが正義なのであろうか。いくつかの観点に立って考察したい。
まず、勉強について。僕は受験期に1日の休日平均13時間くらいしセンター本番で(810/900)取った前提のもと述べるが、効率を求め続けていた。どんな参考書をやったら、どんな覚え方をしたら、どんな方法で解いたら、などなど一つの方法に固執することはなかった。
よく、勉強する気はあるが勉強方法がわからないという人がいる
教科書1つ覚えるにしても、マーカーで引く人や書き込む人や綺麗なままでいる人などかなり人によってやり方は異なる
僕はその全部を試して最後に行き着いたのがpost itであった
それは自分に合っていた。教科書や参考書を複数冊持ち歩くのはだるいなと思っていた。ノートにまとめるとそれですら複数冊になってしまう。僕はノートに何でもかんでもまとめたがる人の気持ちは書く時間が無駄で理解できないのでどうにか効率よくできないか考えていた。
そしてある日思い付いた
教科書統一しちゃえばいいじゃん。と。
その方法は一見めんどい。他の教科書に書いてあることをpost itにその教科書の名前とページ数を書き、主となる教科書の該当部分に貼るというものだ。
これの利点は、主教科書を読むだけで今までの記録がすべて復習できるということ。僕の大学は地歴の論述があったので教科書・問題集・過去問の丸暗記が求められていた。そのすべてに対処できるのがこの方法であった。
当然、これに行き着くまで時間がかかった。教科書に参考書・過去問のメモを書き込んだ時期や、全く書き込まないでひたすら問題を解いた時期もあった。書き込むデメリットは教科書が汚く読みづらくなること。全く書き込まないデメリットは数学とは違い時間との勝負になりにくいことがあげられると思う。この方法を地歴公民・理科基礎全てに試したところ全て飛躍的に点数が延びた。
数学に関してはいつも裏紙にボールペンで書いていた。ノートで振り替える暇があったら問題解いた方がいいと思ったから。ボールペンで書いていたのは不要なことを書かないため。試験場は時間との勝負。筆算を書くのは時間の無駄。できる計算は暗算でやろうって心掛けていた。
英語は単語と文法しかやんなかった。長文なんかいらないそれが全て。
国語は最後まで勉強方法がわからなかった。現代文は一応最後まで全く線を引かず一読してから解くという方法に行きついたがあんまりしっくりきていなく、古文漢文に関しては単語と文法で押さえるしかなかった。古典知識なんか覚えてる暇もなかったし。
総合して
複数の教科書に手を出すより一冊の教科書を極めろというやつがいる。それは浅はかである。例えセンターレベルであっても、その年の試験の全てを詳細に1冊にまとめてある教科書など存在しない(欄外や脚注などを全て注視すればあるかもしれないが)。複数の教科書・参考書・過去問を漁り、共通部分を主教科書に付箋を着けて覚えていく方が広く知識がつくし既に覚えているところを反復するという時間の無駄もなくなる。
あと、暗記が苦手な人向けに。暗記って単に覚えることだと思ってませんか?暗記には段階があります。
①全く見たことがない状態
②見たことはあるが思い出せない状態
③完全に理解している状態
の三つです。①→②に時間をかけましょう。なぜなら②→③は比較的短時間で済むし、①→③に行くことも可能だからです。①→②に移行するためには何回も反復する必要があります。ひたすら手を動かして雑紙に書いたり、一日何回も見るところに貼ったりするのが一般的でしょう。②になればあとは楽です。人はもう少しでわかったのに間違えた問題に対しては悔しいという思い出が残ります。この思い出が長期記憶に結び付くことが多いからです。
最後にセンター本番(2018)の詳細
国語 156 (42 26 45 43)
数学 193 (94 99)
英語 188
リスニング 42
地歴公民 188 (97 91)
理科基礎 89 (39 50)
Σ810/900
上には上がいるのは知ってるけどこんくらいあれば一橋は余裕で受かりま