努力なしで幸せになれる人生と経営のアドバイザー

努力なしで幸せになれる人生と経営のアドバイザー

人生と経営のビジョンを創造する「創造型ライフデザイン」の作成と「終活トータルプランニング」で人生を大逆転させるセミナーとコンサルタントを全国に展開中です。

Amebaでブログを始めよう!

 講演でお会いしたみなさんとお話したりする機会によく出る言葉があります。それは「私にはできないです。」「私には無理です。」「自信がないのです。」などという言葉です。

 

 謙遜で言っておられるのならいいのすが、私は「自己承認」がもっと必要だなとつくづく感じるのです。

 

 マズローの欲求5段階説で言えば、第4段階の承認の欲求のことです。

 

 人の心の中に「承認のタンク」があると考えてみるとわかりやすいかもしれません。このタンクが満タンなら自分は自信がある行動がとれ、タンクがゼロなら自信ゼロというか「うつ病」のような状態になります。

 

 このタンクには2種類の承認のパワー(自己承認)が注入されることになります。自分はタダモノではないというような自分を認めてほめてあげるパワーと他人からあなたはすごいよねとほめられたり承認されたりするパワー(他者承認)です。

 

 自分で自分を認めてあげるパワーがたくさん入っている承認タンクの場合は、他人からの承認が少なくても承認タンクは満タンに近く、いつでも自分に自信をもって行動できる心の状態を保つことができます。

 

 一方、自分で自分を認めてあげるパワーが少ない承認タンクの場合は、他人からの承認がなければ自信を保てない不安な心の状態となってしまうのです。

 

 つまり自己承認の十分できている人は、他人からどう思われようと自分の信じた道を堂々と歩いていくことができますが、自己承認の不十分な人は、いつも他人の目を気にして、自分を認めてほしい・・・と他者承認を必要とする心の状態となってしまうのです。

 

 他者承認を必要とする心の状態の副作用としては、他人の行動が気になり心が休まらない状態となり、自己否定がさらなる自分のセルフイメージを下げていく悪循環へと陥っていき、さらには、その同じ価値観で今度は他人を見るために他人の悪いことばかりが目につくようになり、他者を否定し、裁いてしまうことになりかねません。

 

 つまり自己否定は他者否定にもつながってしまうということです。

 

最後には孤立してしまうという結果になるかもしれませんね。

 

 一方、自己承認のできている人は、他人からどう思われているかということは重要でないので、本来自分がやりたかったことを選択することができるのです。さらに同じ価値観で他人をみることができるので、他人も認めてあげることができるようになります。

 

 だからどんどん仲間と味方が増えていきます。

 

 どうですか?自分を認めてあげること、自分の価値を認めてあげること、セルフイメージを高くもつことの大切さがわかっていただけたでしょうか。

 

 自分を認めてあげることで他人も認めてあげることができる。そんな仲間の中で生きていけたらどんなに幸せでしょう!それこそが自然流な的生き方だと私は思います。

 最近のテレビや雑誌を見ていて感じるのは、パワースポット巡りであったり、パワーストーングッズなどちょっとスピリチュアルなモノが流行っているなということ。

 

 テレビを見ていると「今年のおすすめパワースポットはココ!」このパワースポットで○○のような方法でお願いするとご利益抜群!という番組。

 やたらと儀式にうるさく不自由なことをさせたりします。

 

 また、このパワーストーンをブレスレットにして身に着けていれば、愛情運もバッチリ素晴らしい恋人に出会いますよとピースサインする人の体験談。この○○柄のついた財布にお金を入れて持っていれば金運アップ間違いなし!これであなたも大金持ちという広告など・・・

 

 例を挙げればキリがないほどスピリチュアルなグッズは私たちの身の回りにあふれ始めています。これって大丈夫??って言っても、効果のことを言っているのではありません。

 

 効果はあるかもしれませんし、ないかもしれません。私が問題にしたいのは、その心の在り様です。

 

 この心の構造は新興宗教にひれ伏して高額なツボを買ったり、高額なお布施を教団に支払ったりする構造と同じだということです。

 

 同じということは、それは自分を見失い、投げ出して、その教団に依存する心と同じという意味です。

 

 金額や対象の違いはあれ、何かに依存している心の状態とは自分を投げ出している状態、もっといれば自分を見失っている(自分をあきらめている)心の状態なのです。

 

 自分を見失って何かに依存する心というのはスキだらけ、一時は運のいいことが起こっても、いずれは誰かに利用され騙される運命が待っています。だって捨てたのだから誰かに拾われ再利用されるのは必定ですよね。

 

かといって、神様を信じるな、スピリチュアルなものもインチキだということを言っているのではありません。こういうモノに接する際の心構えが重要だと私は言いたいのです。

 

神様やスピリチュアルなものというのは私たちを応援してくれる存在ではあるのですが、それはあくまで自分がしっかりとした(価値観)軸をもった行動をとっている人を応援してくれるということです。

 

もっとわかりやすく言えば、周りに感謝を忘れずに笑顔でイキイキ生きている人が70点で終わってしまいそうなとき、そっと味方してくれてあと30点を足して100点にしてくれるという意味なのです。何もしてない0点の人を100点にしてくれるわけではないのです。

 

後者の心は「依存する心」であり自分を見失っている状態と言えます。正義のヒーローもウルトラマンも人間が最後まで戦ってヤバいというときにしか助けに来てくれないのと同じですね(例が古くてすみません)。

 

 フワフワした軸のないスピリチュアルなものは、これからますます周りに氾濫してきて皆さんを誘惑する時代となってきます。

 

 スピリチュアルなものに依存するのではなく、しっかりと自分の中に価値観(軸)をもって行動する、そして上手に私たちがあらゆるパワーを使いこなし、活用して賢く生けば、皆さんの人生には鬼に金棒!これこそ自然流生き方にふさわしい生き方ですよね。

 時代が変わったというシリーズで、今回はこんな話をしてみたいと思います。

 

 志や夢をもって、何かことを成し遂げようとする場合、自分が一人で努力して全部やって夢を達成しようと頑張ります。

 

 私一人の力でなんとかしようと悪戦苦闘する。昔の私もそうでした・・・。何でも一人で遮二無二がんばって、解決しようとしてました。

 

 しかしながら、さまざまなことを経験し、学んだ今は、それは古い価値観だったなあ・・また時代が変わったんだなあ・・、と反省しています。

 

 最近大切だと思うことは、「共感していただいた仲間とつながること」。つながることができた仲間同志が自己責任のもとにお互いに役割分担しながら何かを創り上げていかないと、夢は実現できないということです。

 

 つまり、一人で全部なんでもやる時代ではなく、つながっている仲間が役割を自己責任のもとに共感共鳴し合って、何かを創り出していく、そんな新しい価値観でないと夢は実現できないのです。

 

最近読んで面白かった本に「ペンギン夫婦がつくった石垣島ラー油のはなし」という本があります。今ではどこのスーパーにもあって、当たり前にある「食べるラー油」ですが、これはさまざまな事情で石垣に移り住んだ夫婦がさまざまな出逢いの中で仲間と共感・共鳴し合いながら完成した石垣の食べるラー油の誕生の秘話です。

 

何がヒットするかという商品ありきの考えではなく、同じ世界観(価値観)を持った人が出会って・集まって新しい世界を夢見て、その中から生まれたものなのです。

 

おいしいとか、まずいという発想ではなく、「生きる」ということにつながる素晴らしい商品誕生秘話です。

 

この本はほんの一例に過ぎないのですが、自分がどんな世界観(価値観)を持ってどんな夢を見るか、どんな人とつながっていくか、ということがこれからの人間の運命を左右していく、影響を与えていくということは間違いないようです。

 

あなたが今つながっている人は、人との縁を大切に、つながりあえる同じ世界を夢見ている人ですか?そうであれば、あなたはきっと現実を変えていけるとてつもない可能性を今現在秘めているといえるでしょう。

 

つながる人を間違えたらたいへんですが、自然流生き方に共感・共鳴いただいている皆さんであれば、きっと大丈夫!すばらしい運命が待っているのではないでしょうか。

 2018年になり、すっかり日本の価値観が変わったと思いませんか?

 

 他人と競って、比べて、自分の欲望を満たす価値観は影を潜め、何か人の役に立ちたい、自分が人の役に立てることの喜びがどれほど大きくて素晴らしいものなのかという価値観を経験する出来事が次々と起こっているように思えます。

 

 22年前、私は阪神大震災で被災し、震度7の地域で三方を火に囲まれましたが、逃げることのできた方向にたまたま避難所があり、幸運にも助かりました。

 

 会社(当時は会社に勤めていました)では生死確認がとれなかった最後の人だったそうです。周りの家はほとんど倒壊し、私のマンションが倒壊しなかったのも本当に幸運でした・・。

 

 生死を分けたものは、本当に紙一重だったと今でも思っています。しかし、「幸運」で済ますには余りに大きな違い・・。

 

 私は、何かのおかげで「生かされたのだ」と思うようになりました。そのとき私の自分勝手な価値観を改めようと決心したことを覚えています(まだ少し残っていますけど・・(笑))。それから思想・哲学的な勉強を始め、今こうしてブログを書いています。

 

 そのなかで、「おかげさま」という言葉を学びました。宇宙や地球はある大きな力で動いているし、自分の心臓も自分の意志で動いているのはなく、大きな力で動いている。いえ、動かされている・・。

 

 自分の力だけで生きているというのは、非常に傲慢な考え方で、自分は宇宙のおかげで、周りの環境や周りの人のおかげで支えてもらって生きさせてもらっている。

 

 それらを総称して「おかげさま」というそうです。漢字で書けば「御蔭様」、目には見えないけど、どこにでもいて蔭から私たちを見守ってくれている存在。神道風に言えば「八百万(やおよろず)の神」、仏教風に言えば「阿弥陀さま」。

 

 言葉は違えど、意味は同じです。大災害が起こっても残された私たちは、「おかげさま」のおかげで生かされているのです。自分勝手な生き方や人をうらやんで生きる生き方では、せっかくの自分の命も自分の価値をも無駄にすることになりかねません。

 

 今日が無事に終わったのも、「おかげさま」が見守ってくれたおかげです。私たち日本人はもともと、どんなものにも感謝ができる民族なのも、「おかげさま」のおかげかもしれません。

 

 今日もどこかで私たちを見守ってくれている「おかげさま」に、そっと笑顔で感謝してみてください。そうすれば、「おかげさま」はきっとあなたに魂のメッセージを送ってくれるはず。

 

 どんな形で運んでくれるのかはわかりません。環境を通してなのか?人を介してなのか?しかしながら、そのメッセージに気づく人の運命と気づかない人の運命は大きく変わってくるのは間違いありません。

 

 幸いにも生き残った私たちは、「おかげさま」への感謝と笑顔を忘れずに、「おかげさま」からの魂のメッセージに耳を傾け、自分の人間としての価値と命を全うすることこそ、これからの日本を再生する原動力になるのではないでしょうか。これこそ、自然流生き方の基本だと私は思います。

買い物をして店員さんにおつりを間違えられたとき、買ったものにキズがついていて交換してもらうとき、お店の人の対応が悪かったとき…。

 

皆さんは店の人にどんな言葉を投げかけますか? 

 

私は怒りに任せて「どういうこと?」「この店はどうなっているんだっ!」と、怒鳴ってしまうことがあります。そういう人を見かけることもよくあります。

 

 明らかに相手側に落ち度があるとき、私のように怒りに任せて自分の正当性を主張し、相手をコテンパンにやっつける。それは正義感からくる行動です。

 

 「言ってやったわよ!」「ああ、すっきりした」「相手が悪いのだから、怒って何が悪いのよ」と思う人もいるでしょう。

 

 しかし私はその後に「またやってしまった・・・」と計り知れない自己嫌悪感に襲われるのです。みなさんはいかがですか?

 

 確かに正義というものはあります。正義がなければ世の中は真っ暗。しかしながら正義と正義感は違うと思うのです。正義は心の外にあるものですが、正義感は心の中に生じるものです。

 

 その正義感の後ろには、相手を憎む心がしっかりと潜んでいます。以前‘心に憎しみが生じたとき、私たちは悪魔に心を奪われた状態になる’とお伝えしたのをご記憶でしょうか? 

 

 いつもの法則「自分が投げかけたものは、自分に返ってくる」で、心に憎しみをもって相手を裁けば、今度は自分が裁かれたり、憎まれる番となって返ってくるのです。

 

私が怒鳴った店の人は、たとえ自分に落ち度あったとしても怒鳴った私を憎むでしょう。そして私はその店との信頼関係を築けず、その店がどんなに素晴らしいものを提供しているのかを知るチャンスもなく、私の世界はひとつ小さくなるのです。

 

私の心はそれを察知し、自己嫌悪感というサインを私に送ってくれるのです。そのサインに気づかない限り「何が悪いのよ!」と、なってしまうのではないでしょうか。

 

 相手の落ち度で自分の心の中に正義感を生んだとき、言葉を発するのを待ってみませんか? 心の中に生じた憎しみの心に光を当て、愛に変えてみることが重要です

 

 そうすれば相手を思う心が芽生え、どうすれば良くなるのかという観点からの言葉に変わるはずです。

 

 そして相手からも「本当にありがたい、また来てください」と、真の喜びの言葉が返って来て、信頼関係に結びつくはずです。怒り続けた人の人生と、愛の言葉を投げかけて信頼関係を築き続ける人との人生は、まったく違うものになるに違いありません。

 

コミュニケーションで伝わるものは言葉ではなく心です。正義感を感じたとき、「そこに愛はあるかい?(どっかで聞いた古いセリフ?)」と問いかけてみましょう。ちょっとクサいですが、それが自然流生き方です。