泣いて過ごしても、笑って過ごしても同じ一年なら、笑って過ごすというようなことを母は言っていました。

私の中にもそれはあるので、
仕事で無理を押し付けられたと思った時
子どものことでとっても大変だった時
そうして過ごして来たように思います。

ただ、義母の際限の無い依存と嫌がらせには、
ここから先は義母の生き方の問題だときっぱり心の中で一線を引いた「瞬間」があり、以来私の許容範囲で出来ることをするようになりました。

「や〜めた」って思っちゃったのよ。

私の臨海点はまたどこかで書いてみたいと思います。

今振り替えって思うのは、あの時自分の中で一線を引いて良かったということです。そうでなければ義母はますます酷く私に意地悪をし、そのくせ依存しまくっていたと思います。そしたら、私が壊れていたかもしれない。本当にそう思います。

お母さんが元気で初めて子ども元気でいられる

こんな簡単なことをなぜ姑って分からないのだろう。いや、全部の姑がそうでは無いのかもしれないけど。

年だから変わらない

この言葉旦那が良く言っていましたが、だから我慢してとでも言いたいの?何とかしようとは思わないの?っていつも何とも言えない気持ちになって…なので。

態度でしっかりここから先は立ち入り禁止と知らせました。

出来ることはやったら良いけど、人にあわせすぎて結果自分が壊れるような頑張りは、「お嫁さん」はしちゃいけません。と、今思います。姑さんが、お嫁さんが自分より嬉しそうだと悔しいという人種だと、そういう頑張りは人生の無駄遣いだから。
誰かのストレスの足吹きマットに  なることは、ないよね。