北海道釧路市阿寒町 雄別散策2。 | 水辺の土木遺産

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水辺の土木遺産、冠水橋や流れ橋、石橋やレンガ樋門など、自転車で見て回りながら、ついでに狛犬なんかも追いかけています。

<『北海道釧路市阿寒町 雄別散策1。』

何も企画を考えていなかったという情けない理由から、
7万件記念はいつもとは少し違ったお話を……という訳で、
2008年9月末に走ったツーリングの中から、雄別炭鉱跡周辺を紹介しています。

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さて、しばらく走っていると、道道667号線の行く先に見えてくるのが大煙突です。
炭礦の文化には、それほど詳しいわけでは無いけれど、北海道地域では炭鉱跡からは可能な限りで人工物を壊して現状復帰するのが通例なのに、夕張の町にも2つの大煙突が残されていることや、ここにもこうして煙突だけが残されているのを見ると、大煙突には炭礦の誇りのようなものが込められているのでしょう。


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そして、この構造を見る限り、2m足らずの板きれを巻き付けて下から順に造り上げる。
そういった形で作られた煙突に見えます。

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そして、この煙突、ハシゴが天辺まで残っているのですが……。
もちろん、私には登れません(苦笑)。

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川の対岸には橋台跡。

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そして、西に向かってはトロッコ線の橋脚跡。

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選炭池でしょうか? コンクリート製の丸い土台。

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そして、今になってみると脇から眺めただけで通過したのがもったいなさ過ぎる雄別鉄道跡の煉瓦アーチ。
ここで運行されていた車両はSLであり、石炭を運ぶ重量級の貨車が通る路線だったためでしょう、7重巻き立ての重厚なもので、アーチの中央には名前でも入れていたものか、アーチ状の扁額型のコンクリートプレート。それに路線の下には真っ直ぐに伸びた鋸型の二重デンティルが確認できます。

向かって右手が斜めにカットされて見えるのは、本来のこの部分には煉瓦製の翼壁があったのかも知れません。

今であれば、藪こぎをしてでも線路跡の廃橋を歩いてみたでしょうし、何をしてでも、この水の少ない沢に降りてアーチを潜り抜けてみた筈なのですが……。

このエリアには他にも、鉄筋コンクリートで状態も良い廃墟の病院跡(心霊スポットとして有名ですが、そもそも問題の事故よりも後に建設されているようで、心霊話の信憑性は極めて低いようです。また、その近くには雄別の駅跡もあるのですが、ちょうどその分岐点の辺りでヘルメットを被ったこの辺りの管理関係者らしい人影が遠くに見えて、素直に立ち去った方が良さそうだと言うことで、そのまま奥に向かいました。

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県道が東に向かう箇所から、何かあるかも知れないので林道をもう少しだけ北へ。
雄別炭鉱関連の土木遺産と言える場所はここまでで終わりになりますが、もう少しだけ続きます。