世界一デカい大仏!
実は、日本にあるって知ってました?
茨城県の牛久大仏っていうのが、1993年に完成して、全高120mもあるらしい。
是非、帰国したら拝みたいものや。
でも、近代史以前に創られたもので、世界で一番大きい大仏が中国の楽山にあります。

大仏の高さは71m、頭だけでも14m。
そして、足の甲には余裕で100人座ることが出来るとか。(←地球の歩き方情報)
↑てか、誰が世界遺産の大仏に100人も座らせることをしたんやって感じやけどね(笑)
なんでこんな馬鹿でかい大仏を創ったかというと、ここは2つの大きな川が交差する所で、水上交通の要だったらしいけど、昔から水害が多発する地域だったとか。それを713年に、大仏様に水害を鎮めてもらおうと創ったらしい。
確かに、こんなデカい河が氾濫したら、ひとたまりも無いやろうな。

階段を登って行くと、凌雲寺っていうお寺があり

ご利益がありそうなお腹と

閻魔大王?

寺を通りすぎて行くと、人だかりの向こうに頭が見えて来た。

人民どもの長蛇の列を押し分けて行くと


でました、大仏!!!
でも、ちょっと眠そう。
そして、この長蛇の列の原因は、これ

大仏があまりにも巨大すぎて、横からは全体像が見えないから、崖の階段を下りて、下から大仏の全体像を見上げるための列。
でも、もはや何処に行っても人民の多さに嫌気がしていた今日この頃。
崖のしたから500メートル(断じて過大評価をしてません)は続くであろう列に並ぶ気もせず、敢えなく断念。

少しだけ下も見えたという事で、満足。
ちなみに、この大仏を創る際にでた大量の土砂を河に入れた事で、川底が浅くなり水害は大幅に減ったとか。
大仏様々です。
雲崗石窟
雲崗石窟は、洛陽の龍門石窟</strong>、敦煌の莫高窟と並ぶ、中国三大石窟の一つで、大同から西に20km行ったところにある。

北魏の時代(460年頃)から作られ始め、東西1kmに渡り、53もの石窟が残っている。

そして、仏像は数センチのものから

十数メートルのものまで合わせると

5万1000体もあるらしい。

はっきり言って、途方も無い数の仏像です。
そして、乾燥した土地で石窟の中にあるため、風雨にさらされることが少なく保存状態も良いようです。

なかなか写真では分かりずらいかも知れないけど、こんな数センチのものが数百年も残ってるとかあり得ないです。

そんな、見所満載の雲崗石窟の、これまた見所だけ書いて行くと、まず第5窟。

ここは、石窟の前に木造の楼閣があって、中には雲崗石窟最大の17メートルの仏像がある。
ただ、残念なことに中は撮影禁止orz
只々、圧巻です。
第13窟。

弥勒菩薩の腕を、力士が支えてる。
この可愛らしいのが、なんとなく好き(笑)
雲崗石窟のシンボル、第20窟

これだけ、大きくても一番大きくないって、どれだけ第5窟の仏像がデカいかって。

是非、自分の目で確かめてみて下さい。
以上、仏像便りでした。


北魏の時代(460年頃)から作られ始め、東西1kmに渡り、53もの石窟が残っている。

そして、仏像は数センチのものから

十数メートルのものまで合わせると

5万1000体もあるらしい。

はっきり言って、途方も無い数の仏像です。
そして、乾燥した土地で石窟の中にあるため、風雨にさらされることが少なく保存状態も良いようです。

なかなか写真では分かりずらいかも知れないけど、こんな数センチのものが数百年も残ってるとかあり得ないです。

そんな、見所満載の雲崗石窟の、これまた見所だけ書いて行くと、まず第5窟。

ここは、石窟の前に木造の楼閣があって、中には雲崗石窟最大の17メートルの仏像がある。
ただ、残念なことに中は撮影禁止orz
只々、圧巻です。
第13窟。

弥勒菩薩の腕を、力士が支えてる。
この可愛らしいのが、なんとなく好き(笑)
雲崗石窟のシンボル、第20窟

これだけ、大きくても一番大きくないって、どれだけ第5窟の仏像がデカいかって。

是非、自分の目で確かめてみて下さい。
以上、仏像便りでした。

宙に浮いた寺
大同市から60Km離れた所に、懸空寺という寺がある。
仏教・道教・儒教と3つの宗教が祭られている寺院。
それだけなら、へえ~としか思わないけど、なんとこの寺、何度か修復されてはいるものの、1500年経っている木造建築。
さらにこの寺のスゴい所は、寺がある場所!!
まさに断崖絶壁にぶら下がっている。

その名の通り、懸空寺

英語ではHanging Temple
まあ、こっちもそのままやね。
なんで、こんな所に寺を作ったかというと、ここは元々交通の要だったらしく、懸空寺のすぐ下を流れる深河は何度も氾濫して災害を起こした川に対し、人々は災害を「龍の怒り」と捕らえて寺院をこの地に造り怒りを鎮めようと考えたらしい。
見ての通り、断崖にへばりついてるような感じ。

さらに、この寺を支えてるのはちょっとした岩のでっぱりと、この細い木のみ。

嘘か本当か知らないけど、この見えてる木は全体の1/3に過ぎないらしい。
通路も細すぎて、一方通行。


写真ではなかなか伝わらないけど、結構な高さにあって、足もすくむ。

一見小さく見える寺だけど、部屋は大小40室あるらしく、仏像も100体近くあるらしい。

写真禁止だったから、撮ってないけど、本当に優しい顔の仏像だった。

蛇、じゃーん
龍だけどね・・・

世の中、こんな所に作る寺があるんやねえ。スゴいの一言です。

仏教・道教・儒教と3つの宗教が祭られている寺院。
それだけなら、へえ~としか思わないけど、なんとこの寺、何度か修復されてはいるものの、1500年経っている木造建築。
さらにこの寺のスゴい所は、寺がある場所!!
まさに断崖絶壁にぶら下がっている。

その名の通り、懸空寺

英語ではHanging Temple
まあ、こっちもそのままやね。
なんで、こんな所に寺を作ったかというと、ここは元々交通の要だったらしく、懸空寺のすぐ下を流れる深河は何度も氾濫して災害を起こした川に対し、人々は災害を「龍の怒り」と捕らえて寺院をこの地に造り怒りを鎮めようと考えたらしい。
見ての通り、断崖にへばりついてるような感じ。

さらに、この寺を支えてるのはちょっとした岩のでっぱりと、この細い木のみ。

嘘か本当か知らないけど、この見えてる木は全体の1/3に過ぎないらしい。
通路も細すぎて、一方通行。


写真ではなかなか伝わらないけど、結構な高さにあって、足もすくむ。

一見小さく見える寺だけど、部屋は大小40室あるらしく、仏像も100体近くあるらしい。

写真禁止だったから、撮ってないけど、本当に優しい顔の仏像だった。

蛇、じゃーん
龍だけどね・・・

世の中、こんな所に作る寺があるんやねえ。スゴいの一言です。

万里の長城
万里の長城は、秦の始皇帝時代(紀元前221年)、北の匈奴からの侵入を防ぐため作られたのが始まりらしい。
うーん、昔教科書で習ったけど、忘れてしまわれた記憶たち。
全長6350km。
中国の距離単位「里」(1里=0.5km)に換算すると1万里を超えてるから、万里というらしい。
そんなプチ情報に満足しながら、長城へ。
北京市内からは3つの有名な長城がある。八達嶺長城、司馬台長城、慕田峪長城。
なんせ6350kmだから、入り口は沢山あるのだ。
その中でも今回行ったのが、慕田峪長城(ぼでんよくちょうじょう)。

入り口からは一気に、ロープウェイで長城へ。


早速、てっぺんに長城が見えてくる。

ロープウェイを下りて、階段を登ると

第一感想、
長城、ながっ!!(笑)

これはスゴいわ。
高校の時は、たぶんここじゃなくて、八達嶺長城に行ったと思うんだけど、感動した覚えがない・・・
年をとった証拠なのか、昔は絶対に感動しなかったような事にも、感動するようになった。

だって、電気もない時代にこれだけの物を作るのに、どれだけの労力が掛かったんだろう。

現代でも、どれぐらいの歳月を掛けたら作れるんだろう??

もともとは馬や人が乗り越えられなければ良かったみたいで、それほど高い城壁ではなかったものが、よくぞここまで。

でも面白いことに、外敵防御という長城構築の目的はほとんど達成されなくて、単に威圧感を与えた程度だったらしいけどね。

うーんにしても、中国は全てのスケールがデカいなあ。

侮ってました、中国。

もはや、長城はローマにも通じてるんじゃないかな?
と思いながら、万里の長城観光は終了。
そして、帰りもロープウェイ・・・
ではなく、
スライダー(笑)

世界遺産を、こんな感じにしてしまう中国がたまりません!!

うーん、昔教科書で習ったけど、忘れてしまわれた記憶たち。
全長6350km。
中国の距離単位「里」(1里=0.5km)に換算すると1万里を超えてるから、万里というらしい。
そんなプチ情報に満足しながら、長城へ。
北京市内からは3つの有名な長城がある。八達嶺長城、司馬台長城、慕田峪長城。
なんせ6350kmだから、入り口は沢山あるのだ。
その中でも今回行ったのが、慕田峪長城(ぼでんよくちょうじょう)。

入り口からは一気に、ロープウェイで長城へ。


早速、てっぺんに長城が見えてくる。

ロープウェイを下りて、階段を登ると

第一感想、
長城、ながっ!!(笑)

これはスゴいわ。
高校の時は、たぶんここじゃなくて、八達嶺長城に行ったと思うんだけど、感動した覚えがない・・・
年をとった証拠なのか、昔は絶対に感動しなかったような事にも、感動するようになった。

だって、電気もない時代にこれだけの物を作るのに、どれだけの労力が掛かったんだろう。

現代でも、どれぐらいの歳月を掛けたら作れるんだろう??

もともとは馬や人が乗り越えられなければ良かったみたいで、それほど高い城壁ではなかったものが、よくぞここまで。

でも面白いことに、外敵防御という長城構築の目的はほとんど達成されなくて、単に威圧感を与えた程度だったらしいけどね。

うーんにしても、中国は全てのスケールがデカいなあ。

侮ってました、中国。

もはや、長城はローマにも通じてるんじゃないかな?
と思いながら、万里の長城観光は終了。
そして、帰りもロープウェイ・・・
ではなく、
スライダー(笑)

世界遺産を、こんな感じにしてしまう中国がたまりません!!

青春時代の思い出 北京
実は、北京には高校2年生のときに修学旅行で来た事がある。
あの頃は、長崎県の公立高校はほぼ全校、姉妹都市かなんかで中国が修学旅行先になっていた。
当時は、長野のスキーや東京に行く事のほうが魅力的で、ブーブー文句を言っていた覚えがある。
毎日、中華のフルコースを食べては脂っこいと言って、隠し持ったカップラーメンを食べ。
夜になれば、思春期の学生は夜な夜な何かをやりだす。
まあ、健全な自分たちは、要人も泊る4星ホテルの廊下で匍匐前進ゲーム(ただ単に、負けた人がエレベータの所まで匍匐前進で行って先生にバレないように帰ってくる?)とかいう遊びをしていた。
うん、なんて健全なんだろう(笑)
あの頃は、そんな事でも楽しかったよなあ。
いや、ゴメンなさい。
大人ぶりました・・・
きっと今やっても楽しいです(笑)
そんなこんなで翌日は睡眠不足でガイドさんの話はそっちのけで、バスの中は爆睡。
目的地についたら、真冬の北京(氷点下)でブーブーいいながら強制観光。
いま思うとガイドを付けての観光なんて贅沢で、勿体ない事をしたんだろうと後悔。
担任のMも「お前たちも不幸ね。」
と、ブツくさ言ってた気がする。
そんなこんなの青春時代の思い出、北京。
最初に行った所は天安門広場。

一度に50万人を収容できるという世界最大の広場らしい。
バッチリ毛沢東さんの肖像画も健在。

今回は天安門の上に登れるという事で、上がってみる。

ここから、かの毛沢東さんは建国宣言をした。
50万人もの人をここから見下ろすって、どんな気分なんやろうなあ。
確かに、天下を取った気になれそう。
そして、なんか特別そうな広間がある。

写真撮影禁止だったが、周囲の中国人と怒られながら盗撮。

次は天安門からそのまま、故宮へ。

この先は、大和で殿、保和殿といくつかこういう建物があるが、正直違いが分からず。


若干、建物にはお腹いっぱいになりつつ、こういう物の方へ興味が。

やっぱ、高校の時からあまり成長してないのかな。
まあ、人はそう簡単に変われんからね!

そうそう、一つ変わったことと言えば、少し大人になってお金を持ったこと。
何をしたかと言うと、
北京と言えば北京ダックでしょ!!!
もちろん食べに行きました。
しかも、日本でも有名な、全衆特の店に。

まあ、中はいつもの一品100円、200円の店とは違う。

値段を恐る恐る見ると、まあ日本で考えるととかなり安いくらいの値段。
まあ、軽く普段の10食分の値段はしますが、北京に来て北京ダックを食べない訳にはいかない!!!
注文は、北京ダックのみ!!
あ、ビールは除外してね(汗)
ビールをちびちび飲む事15分。
なんとコックが目の前に来て、鳥をさばき出した。

おお、素早い包丁さばき(当たり前か?)

皮だけ剥いでいく。
そして少しだけ肉の部分も。
そして終わり。
え~、噂通り勿体ない。

まあ、これが贅沢な食べ方なんだろう。
なんか、包む物も出て来て、どうやって食べるか聞くと
ご冊子の通り、巻いてタレに付けて食べろと。
そらそうですわな、すみません。


お味の方はというと、ほ~これが北京ダックかあ!
・・・
うーん、本場の北京ダックを堪能しただけで、もういいかな(笑)
だって、皮の外はカリカリだけど、中は全部油やもん。
ジューシー通り越して、油です。
カリカリの中に、めちゃくちゃ油を吸い込んでるスポンジがあるみたいな。
まあ一生に一度は食べてみたいけど、二度目はちょっとね。っていうのがぶっちゃけだ感想。
みなさんも、一度は是非堪能してみて下さい。
財布を盗まれた!!!!! 詳細版
通算41カ国目にして、ついにヤラレてしまった。
プラハからクラクフへの夜行列車での中。
21:17発、2等の座席でfree seat だった。

この写真を撮った時は、まさかこんな事が起ころうとは夢にも思っていなかった。
時期的に人が少なかったのか、みんな一人 or 二人でコンパートメントを使って、横に寝ていたから、自分も同じように、1つのコンパートメントを占拠して、横に寝ていた。
夜中1時、一人の男が入って来た。
でも、一時間おきに駅に止まっては乗客が乗り降りしていたから、自分の部屋に入って来ても気にも留めてなかった。
そもそも、free seat なんだから。
朝方4時頃、同室の男が出て行くので目が覚めたが、特に変わりはなくそのまま寝た。
朝5時、何となく目が覚めて、右ポケットが破れていることに気がつく。
でも、部屋は真っ暗であまり見えないし、寝ぼけ眼。
グルジアの古着屋で買ったジーンズだし、寝てる間にどこかに引っかかって破れてしまったかと思い、気にも留めず、また眠りについた。
朝7時、目的地のクラクフに着く。
電車を降り、パスポートと財布がある事を確認する。
と、
???
財布がない!!!
あ、右ポケットが破れてる!!!!
その時、はじめてズボンが鋭利な刃物によって引き裂かれている事に気づいた。
それが、これ

暗闇で見た時は、ただ単に破れてると思ったが、こんなに鋭く切られているとは思わなかった。
とうとう、やられた・・・
しかも、こんな所で。
でも、この時に感情は意外と冷静で、自然と駅員に向かい、警察を呼んでもらう。
そして、警察署で直ぐに事情聴取してくれると思いきや、なかなか始まらないで待たされる。

その間、早くクレジットカードを止めたくて、電話だけでも貸してくれないかと警察に催促するが、
通訳が来るまでWait a minute の連続。
20分後、
プッちーん
「自分の財布が盗まれたらどうするんだ?警察署に行くのか??そんな事より、まずクレジットカードを止めるだろう!!」
と、ぶちまけると、ようやく納得して電話をさせてくれる。
ようは、彼ら自身も取り戻せるとは思ってないし、あくまでも、警察は盗難届の証明書しか出してくれない。
さらにその後、通訳は4時間後にしか来れないと言い出した。
十分、警察も英語をしゃべれるのに・・・
かたくなに通訳が必要だと。
まあ、オフィシャルなレポートだし、責任の所在が大事だって事もわかるけど、なんだかねえ。
もはやクレジットカードさえ止めてしまえば警察なんてどうでもいい。
12時頃に事情聴取の約束をして、いったん警察署を後にする。
外は無情なほどにまで清々しかった。

そして、今回の被害総額は・・・
現金11ユーロ(1200円弱)
不幸中の幸いだった。
そして、時間が経ってからの感想。
今回、もしバックが盗まれていたら、自分に隙があったと思う。
防ごうと思ったら、デイバックを抱いて寝れるとか対処が出来るから。
でも、今回のようにズボンのポケットはどうだろう。
正直、睡眠薬を飲まされた訳でもなく、自然に寝て、ナイフでズボンを引き裂かれても気づかないくらいのテクニック。
ウォレットチェーンもしてたけど、この通り

ここまでやられると、あっぱれだと思う。
そして何よりも、人を起こさず、ここまでジーパンとウォレットチェーンを簡単に引き裂くナイフ。
もし、自分が運悪く盗まれている最中に起きてったほうが恐ろしい。
幸い取られた金額も11ユーロ(1200円弱)のみ。
キャッシュカードやクレジットカードの再発行などが面倒くさいが、不幸中の幸いだったってのが正直な感想だ。
防げる犯罪と、防げない犯罪があると思うけど、今回は果たしてどうだったのか?
何か、他に手だてがあったのだろうか??
正直、自分にはあまり思いつかない。
強いて言うならば、1等に乗っていれば、座席指定で、相手のチケットなど確認できたかもしれないけど。
やっぱり、ある程度の安全はお金だ買う必要があるのかなあ。(実際そう思うけど)
いやいや、普通ナイフであんなにズボンを切り裂かれれば、気づくだろう普通!!(笑)お前どんだけ寝てんだよ!!!
って方。
ゴメンなさい。
だって、気づかなかったんだもん(笑)
よければ、皆さんの知恵をお貸し下さい。
プラハからクラクフへの夜行列車での中。
21:17発、2等の座席でfree seat だった。

この写真を撮った時は、まさかこんな事が起ころうとは夢にも思っていなかった。
時期的に人が少なかったのか、みんな一人 or 二人でコンパートメントを使って、横に寝ていたから、自分も同じように、1つのコンパートメントを占拠して、横に寝ていた。
夜中1時、一人の男が入って来た。
でも、一時間おきに駅に止まっては乗客が乗り降りしていたから、自分の部屋に入って来ても気にも留めてなかった。
そもそも、free seat なんだから。
朝方4時頃、同室の男が出て行くので目が覚めたが、特に変わりはなくそのまま寝た。
朝5時、何となく目が覚めて、右ポケットが破れていることに気がつく。
でも、部屋は真っ暗であまり見えないし、寝ぼけ眼。
グルジアの古着屋で買ったジーンズだし、寝てる間にどこかに引っかかって破れてしまったかと思い、気にも留めず、また眠りについた。
朝7時、目的地のクラクフに着く。
電車を降り、パスポートと財布がある事を確認する。
と、
???
財布がない!!!
あ、右ポケットが破れてる!!!!
その時、はじめてズボンが鋭利な刃物によって引き裂かれている事に気づいた。
それが、これ

暗闇で見た時は、ただ単に破れてると思ったが、こんなに鋭く切られているとは思わなかった。
とうとう、やられた・・・
しかも、こんな所で。
でも、この時に感情は意外と冷静で、自然と駅員に向かい、警察を呼んでもらう。
そして、警察署で直ぐに事情聴取してくれると思いきや、なかなか始まらないで待たされる。

その間、早くクレジットカードを止めたくて、電話だけでも貸してくれないかと警察に催促するが、
通訳が来るまでWait a minute の連続。
20分後、
プッちーん
「自分の財布が盗まれたらどうするんだ?警察署に行くのか??そんな事より、まずクレジットカードを止めるだろう!!」
と、ぶちまけると、ようやく納得して電話をさせてくれる。
ようは、彼ら自身も取り戻せるとは思ってないし、あくまでも、警察は盗難届の証明書しか出してくれない。
さらにその後、通訳は4時間後にしか来れないと言い出した。
十分、警察も英語をしゃべれるのに・・・
かたくなに通訳が必要だと。
まあ、オフィシャルなレポートだし、責任の所在が大事だって事もわかるけど、なんだかねえ。
もはやクレジットカードさえ止めてしまえば警察なんてどうでもいい。
12時頃に事情聴取の約束をして、いったん警察署を後にする。
外は無情なほどにまで清々しかった。

そして、今回の被害総額は・・・
現金11ユーロ(1200円弱)
不幸中の幸いだった。
そして、時間が経ってからの感想。
今回、もしバックが盗まれていたら、自分に隙があったと思う。
防ごうと思ったら、デイバックを抱いて寝れるとか対処が出来るから。
でも、今回のようにズボンのポケットはどうだろう。
正直、睡眠薬を飲まされた訳でもなく、自然に寝て、ナイフでズボンを引き裂かれても気づかないくらいのテクニック。
ウォレットチェーンもしてたけど、この通り

ここまでやられると、あっぱれだと思う。
そして何よりも、人を起こさず、ここまでジーパンとウォレットチェーンを簡単に引き裂くナイフ。
もし、自分が運悪く盗まれている最中に起きてったほうが恐ろしい。
幸い取られた金額も11ユーロ(1200円弱)のみ。
キャッシュカードやクレジットカードの再発行などが面倒くさいが、不幸中の幸いだったってのが正直な感想だ。
防げる犯罪と、防げない犯罪があると思うけど、今回は果たしてどうだったのか?
何か、他に手だてがあったのだろうか??
正直、自分にはあまり思いつかない。
強いて言うならば、1等に乗っていれば、座席指定で、相手のチケットなど確認できたかもしれないけど。
やっぱり、ある程度の安全はお金だ買う必要があるのかなあ。(実際そう思うけど)
いやいや、普通ナイフであんなにズボンを切り裂かれれば、気づくだろう普通!!(笑)お前どんだけ寝てんだよ!!!
って方。
ゴメンなさい。
だって、気づかなかったんだもん(笑)
よければ、皆さんの知恵をお貸し下さい。
あの始皇帝も登った「泰山」
高速鉄道を乗り継いで来た所は泰安市。
道教の聖地とされている「五岳」の中でも最も尊いとされる「泰山」がそびえる町。
秦の始皇帝が登って以来、歴代の皇帝たちが、ここで「封 禅」(ほうぜん)と呼ばれる祭祀を行ってきたことでも知られ、「中国人なら人生で一度は上りたい山」らしい。
そんな山に、なんの所縁もない自分が登ってみたかったのは
ただ山頂からのご来光を拝みたかったから・・・
そして天気予報は晴れマークと雨マーク。
うーん、微妙・・・
と思いながらも、登山口へ。

ここから、ひたすら7000段の石段を登る。

登る、登る、登る

実はこのとき、前日まで熱があり、かなりの体調不良。
普段なら、そんなにきつくないはずだけど、まさにボディーブローのように効いてくる。
登るにつれて景色が良くなると思いきや、
景色はあまり開けず・・・
そんな中、ようやく見つけた中天門(登山口から山頂まだの中間地点)までの中間地点。

ようやく1/4まで来た嬉しさと、まだ3/4残ってる悲しさ。
再びNO BO RU・・・

もはや、なんの楽しみもなく登ること3時間半
ようやく中間点の中天門に辿り着いた。

が、ここからさらに4時間ほど登る事は体力的に不可能と悟り
はい、甘えちゃいました
文明の力に('^^*)/

科学の力に感謝しつつ、頂上まで頑張って歩いているゴメンなさいと心の中で謝りつつ、
いやいや、でも昨日まで熱があって、今日は無理なんよと自己弁解しつつ
足取りはまっすぐロープウエイの方へ。
ロープウエイは、今までの自分の歩きがなんだったかの如く上昇

そして、あれよあれよという間に雲の中。

もはや、前も後ろも見えない。

うーん、これはマズいパターンか?
いやいや、きっと山頂の方は雲の切れ目があるはずだと自分に言い聞かせ降りると

やっぱり雲の中orz
まるであの世に通じてるんじゃないかと思うような道。

ここで、階段で登って来た人たちと合流。

ここからが天街と言い

素晴らしい景色のようだが、

本日はこんな感じ

はい、何も見えません。
内心、中天門から歩いて来なかったことをホッとする。
この先、先代の皇帝たちや孔子が彫ったと言われる岩がある。
これは726年、玄宗皇帝が封禅の儀式を行った時に彫ったと言われる「紀泰山銘之碑」らしい。

これも誰かが掘ったらしいけど、良くわからない。

そして、ここが翌朝ご来光を拝もうとしていた所

だけど、正直明日のご来光が見れる自信はゼロ・・・

玉皇殿でお参りして

下山することにした。

ちなみに天気がいいときの景気はこんな感じらしい。

あと余談だけど、この後天候不良(強風と雨)のためロープウエイは停止しました。
道教の聖地とされている「五岳」の中でも最も尊いとされる「泰山」がそびえる町。
秦の始皇帝が登って以来、歴代の皇帝たちが、ここで「封 禅」(ほうぜん)と呼ばれる祭祀を行ってきたことでも知られ、「中国人なら人生で一度は上りたい山」らしい。
そんな山に、なんの所縁もない自分が登ってみたかったのは
ただ山頂からのご来光を拝みたかったから・・・
そして天気予報は晴れマークと雨マーク。
うーん、微妙・・・
と思いながらも、登山口へ。

ここから、ひたすら7000段の石段を登る。

登る、登る、登る

実はこのとき、前日まで熱があり、かなりの体調不良。
普段なら、そんなにきつくないはずだけど、まさにボディーブローのように効いてくる。
登るにつれて景色が良くなると思いきや、
景色はあまり開けず・・・
そんな中、ようやく見つけた中天門(登山口から山頂まだの中間地点)までの中間地点。

ようやく1/4まで来た嬉しさと、まだ3/4残ってる悲しさ。
再びNO BO RU・・・

もはや、なんの楽しみもなく登ること3時間半
ようやく中間点の中天門に辿り着いた。

が、ここからさらに4時間ほど登る事は体力的に不可能と悟り
はい、甘えちゃいました
文明の力に('^^*)/

科学の力に感謝しつつ、頂上まで頑張って歩いているゴメンなさいと心の中で謝りつつ、
いやいや、でも昨日まで熱があって、今日は無理なんよと自己弁解しつつ
足取りはまっすぐロープウエイの方へ。
ロープウエイは、今までの自分の歩きがなんだったかの如く上昇

そして、あれよあれよという間に雲の中。

もはや、前も後ろも見えない。

うーん、これはマズいパターンか?
いやいや、きっと山頂の方は雲の切れ目があるはずだと自分に言い聞かせ降りると

やっぱり雲の中orz
まるであの世に通じてるんじゃないかと思うような道。

ここで、階段で登って来た人たちと合流。

ここからが天街と言い

素晴らしい景色のようだが、

本日はこんな感じ

はい、何も見えません。
内心、中天門から歩いて来なかったことをホッとする。
この先、先代の皇帝たちや孔子が彫ったと言われる岩がある。
これは726年、玄宗皇帝が封禅の儀式を行った時に彫ったと言われる「紀泰山銘之碑」らしい。

これも誰かが掘ったらしいけど、良くわからない。

そして、ここが翌朝ご来光を拝もうとしていた所

だけど、正直明日のご来光が見れる自信はゼロ・・・

玉皇殿でお参りして

下山することにした。

ちなみに天気がいいときの景気はこんな感じらしい。

あと余談だけど、この後天候不良(強風と雨)のためロープウエイは停止しました。
中国鉄道 危機一髪 & 出発200日を経て
アヒルを棒で追いながら歩く、のどかな町を後にして向かったのは杭州。

たまたま一緒になったイングランド人と、まずはアモイまで出て切符を買う事に。

が、その先にはまたしても人民どもが立ち塞がる。

そして、
またしても、あと2人を目前にして
cloesed orz

このイングランド人たちは初めての経験だったらしく、F●ck!!! の連発。
ようやく待つこと2時間、明日の切符を購入。
そして、朝食も食べてなかったから、イライラも限界に来ているイングランド人二人が向かった先は

そう、ここBurgerking

さっきとは打って変わって、この笑顔。
どうも、中華がしんどいらしく、この5日間で4回目のBurgerkingらしい。
ほんとに欧米人は、発展途上国に来ても、自分たちの慣れ親しんだ食生活から抜け出せない人が多い。
どんなに田舎に行っても、ローカルフードにはあまり手を出さない。
若干、来ている意味が無いんじゃないのかと思うくらい・・・
その点、アジア人(日本人や韓国人など)は環境に流動的というか、その土地での食を楽しんでいる気がする。
まあ、彼らは今日が最後のファーストフードだと行って、翌日もマックに行ったことは言うまでもない・・・
翌日の列車に乗る前の風景。

さすが人口13億人の国。
列車1つに1000人以上が乗る。
にも関わらず、この先の改札口は5つだけなんだけどね(笑)
だから、改札開始と同時に1000人以上の人が場所取りのために5つの改札口に殺到する。
乗り込んだ列車は、中国ご自慢の高速鉄道。

最高速度も250km/H

はい、お気づきでしょうか。
自分が乗った20日後、自分が乗った路線であの鉄道事故が起こりました。
いつ自分の身に起きてもおかしくなかった。
そう、話は変わるけど、先週夫婦で旅していた人たちが、夫婦そろってマラリアで亡くなられた。
実際にお会いしたことはなかったが、有名なブロガーでなんどか覗いた事がある。
病気や事故は、いつも「自分だけは大丈夫」っていう、なんの根拠もない自信が何処からとなく湧いてくるけど、それじゃダメなんだよね。
そろそろ、世界一周の半分に来たのか来てないのか良くわからないけど、また初心にかえらないとね。
「初心忘るべからず」
昔の人はよく言ったものだ。

たまたま一緒になったイングランド人と、まずはアモイまで出て切符を買う事に。

が、その先にはまたしても人民どもが立ち塞がる。

そして、
またしても、あと2人を目前にして
cloesed orz

このイングランド人たちは初めての経験だったらしく、F●ck!!! の連発。
ようやく待つこと2時間、明日の切符を購入。
そして、朝食も食べてなかったから、イライラも限界に来ているイングランド人二人が向かった先は

そう、ここBurgerking

さっきとは打って変わって、この笑顔。
どうも、中華がしんどいらしく、この5日間で4回目のBurgerkingらしい。
ほんとに欧米人は、発展途上国に来ても、自分たちの慣れ親しんだ食生活から抜け出せない人が多い。
どんなに田舎に行っても、ローカルフードにはあまり手を出さない。
若干、来ている意味が無いんじゃないのかと思うくらい・・・
その点、アジア人(日本人や韓国人など)は環境に流動的というか、その土地での食を楽しんでいる気がする。
まあ、彼らは今日が最後のファーストフードだと行って、翌日もマックに行ったことは言うまでもない・・・
翌日の列車に乗る前の風景。

さすが人口13億人の国。
列車1つに1000人以上が乗る。
にも関わらず、この先の改札口は5つだけなんだけどね(笑)
だから、改札開始と同時に1000人以上の人が場所取りのために5つの改札口に殺到する。
乗り込んだ列車は、中国ご自慢の高速鉄道。

最高速度も250km/H

はい、お気づきでしょうか。
自分が乗った20日後、自分が乗った路線であの鉄道事故が起こりました。
いつ自分の身に起きてもおかしくなかった。
そう、話は変わるけど、先週夫婦で旅していた人たちが、夫婦そろってマラリアで亡くなられた。
実際にお会いしたことはなかったが、有名なブロガーでなんどか覗いた事がある。
病気や事故は、いつも「自分だけは大丈夫」っていう、なんの根拠もない自信が何処からとなく湧いてくるけど、それじゃダメなんだよね。
そろそろ、世界一周の半分に来たのか来てないのか良くわからないけど、また初心にかえらないとね。
「初心忘るべからず」
昔の人はよく言ったものだ。
アメリカを震撼させた、中国の家
無事、中国初切符を手にして向かった先は福建省の永定土楼。

これが土楼を目指す起点となる町のメインストリート

ここから、さらに先に進むと

なんと、山奥にロケットの発射基地みたいなのが出てくる。

はい、これが土楼です。
12世紀から19世紀にかけて、武装した盗賊団から身を守るために作った、共同集合住宅。
アメリカはこれを1970年代に偵察衛星で発見して、中国がミサイル基地を密かに作っていると思い、スパイを送り込んだらしい。
まさか家だったとは、当時のアメリカもビックリだっただろうね・・・
形は丸い物もあれば

四角いものもある。

なかはこんな感じで、意外と広い。

今でも人が住んでて、生活感漂う。

もともと、盗賊から守る為に作られてて、外界に通じる扉を閉め切っても、土楼の中だけで自給自足が可能なようになっている。

トイレも然り。これはトイレなんだけど、中は大きな壷が一つあるだけ。ちょっと、写真は撮れたもんじゃなかったから割愛(笑)

そして、この土楼の素晴らしいところは、世の中の住居は身分や社会階層によって大きく異なるのが常だけど、この土楼に限ってはそうで無いらしい。
全ての部屋が、同じ大きさ、同じ素材で作られてて、全ての人が対等な共同生活を送っていたらしい。
農作物や家畜も全て共有財産。
そう考えると、世界で唯一成功した社会主義社会だったかもしれない。

これが土楼を目指す起点となる町のメインストリート

ここから、さらに先に進むと

なんと、山奥にロケットの発射基地みたいなのが出てくる。

はい、これが土楼です。
12世紀から19世紀にかけて、武装した盗賊団から身を守るために作った、共同集合住宅。
アメリカはこれを1970年代に偵察衛星で発見して、中国がミサイル基地を密かに作っていると思い、スパイを送り込んだらしい。
まさか家だったとは、当時のアメリカもビックリだっただろうね・・・
形は丸い物もあれば

四角いものもある。

なかはこんな感じで、意外と広い。

今でも人が住んでて、生活感漂う。

もともと、盗賊から守る為に作られてて、外界に通じる扉を閉め切っても、土楼の中だけで自給自足が可能なようになっている。

トイレも然り。これはトイレなんだけど、中は大きな壷が一つあるだけ。ちょっと、写真は撮れたもんじゃなかったから割愛(笑)

そして、この土楼の素晴らしいところは、世の中の住居は身分や社会階層によって大きく異なるのが常だけど、この土楼に限ってはそうで無いらしい。
全ての部屋が、同じ大きさ、同じ素材で作られてて、全ての人が対等な共同生活を送っていたらしい。
農作物や家畜も全て共有財産。
そう考えると、世界で唯一成功した社会主義社会だったかもしれない。