玉木雄一郎議員のブログから転載させて頂きます。
民主党の若い議員さんは素晴らしい方もいらっしゃいますね!
何で上に行くほどあれなのか・・・。
たかが動物の命と言う人もいるかと思います。しかし、こうした理不尽さえ正すことのできない政治なら、他の「重要な」案件も解決することもできないでしょう。」
動物さえ助けられない政府が他の重要な案件を解決することは出来ない、確かにそうです。
現に被災地への支援も原発対応もまったく酷いです。
一番弱い立場の動物たちの窮状を全く無視できる政府は、同じ様に苦境に立たされている被災者の方の気持にも寄り添えるはず無いですね。
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牛の苦しみは、自分の苦しみだ。
http://ameblo.jp/tamakiyuichiro/entry-10882754659.html#main
昨日も南相馬市に行ってきました。
城島政調会長代理(民主党獣医師議連の会長でもあります。)をはじめ、同僚議員数名と一緒に警戒区域に入りました。
目的は、20km圏内の警戒区域における家畜およびペットの救護を進めるためです。
今回は、お忙しい中、桜井南相馬市長が同行してくれました。
昨日は、市長の恩師の命日でもあり、発災後、はじめて休みをとる予定だったそうですが、それを返上して、我々に同行していただきました。
桜井市長と話をして、私は、深い感銘を受けました。
市長ご自身、26年間、酪農に従事した経験をお持ちです。
その市長が語る言葉は、穏やかな口調ではありましたが、極めて重いものでした。
家畜は、一頭一頭が自分の家族だ。だから、牛の苦しみは、自分の苦しみだ。20km圏内の家畜を放置しているのは、ものすごく残酷な仕打ちで、まず、生かす方法を考えることが人間の務めだ。
そして、こうもおっしゃいました。
自分の汗と、牛の汗は同じだ。私たちは彼らから命をもらっている。彼らの命が絶たれることは、自分の手足をもがれることと同じことだ。
また、政府に対しての言葉は、批判というよりも、もっと現場を分かって欲しいという気持ちで一杯でした。政府は、こうした声にもっと素直に向き合うべきです。
現場と官僚の感覚は違う。政治家や官僚には、現地の状況を思い浮かべる想像力を持ってもらいたい。官邸もよくやってくれていると思うが、タイムラグが生じると、それは反発になる。だからスピードが大切だ。何より、現場の皮膚感覚を汲み取ってもらいたい。
一つ一つの言葉が、家畜やふるさとに対する深い愛情に溢れていました。桜井市長に派手さやパフォーマンスは全くありません。しかし、私は、本物のリーダーの姿を、桜井市長に見たような気がしました。
また、市長さんだけでなく、市の職員の皆さんも、動物の命を守ろうと懸命に働いています。彼ら一人一人がリーダーであるし、無名のヒーローなのです。
国政に携わる私たちには、その思いに応える責任があります。
人間が作った原子力発電所の事故により、人間が設定した20km圏内の中で、そして、人間が何ら明確な方針を示さないために、日々、多くの動物の命が失われています。こうした現実をただ放置するなら、これほど理不尽なことはありません。
たかが動物の命と言う人もいるかと思います。しかし、こうした理不尽さえ正すことのできない政治なら、他の「重要な」案件も解決することもできないでしょう。
私は、昨日、お話を伺ったある養豚農家さんの言葉が忘れられません。
とにかく、今の状態を放置しないで欲しい。大切な豚が共食いしているような姿を見たくはない。
振り絞るような声で訴えかけてこられました。
豚一匹から少しずつ経営規模を拡大し、今では3000頭を超すブランド豚を育てていた方です。そんなお父さんの姿を見て、息子さんも10年前に養豚を継ぐと言ってくれたそうです。最近では、高校生になるお孫さんも獣医になると張り切っていたそうです。
そして、新しい豚舎の基礎工事が完成した矢先、福島第一原発の事故が発生しました。引き続いての計画区域の設定。
彼らは何も悪いことをしていません。
しかし、生活の全てが、失われました。
そして、大切にしていた豚が共食いをするような、まさに地獄のような光景が眼前に広がっているのです。
今、未来へのかすかな希望も消えつつあります。
私たちは、政治の責任として、こうした状況を放置してはなりません。
役所では、先例がないために、リスクをとることに慎重になり、縦割り行政の弊害だけが目に付きます。
こんなときこそ、政治が決断するときです。
本日、桜井市長さんとも打ち合わせをしたうえで、一部の豚を区域外に移動できるよう、今日付けで、南相馬市から、官邸、現地対策本部、農林水産省など関係部局に対し、緊急要請文を発出しました。
明日は、その実現に向け、関係各部局に働きかけを急ぎます。
時間はありません。
なんとしても、救える命を救わねばなりません。