去年の6月末に膵臓癌で 亡くなった母

2月頃から 激ヤセをして 糖尿病じゃないかと

4月のゴールデンウィーク明けに病院に行った

その日に入院になり まだ癌だとはわからず

一週間後にレントゲンに膵臓らへんに影が

あると言われ 大きな病院に移転になり

家族全員呼ばれ 兄 姉 自分 自分の妻

姉の旦那 甥っ子 姪っ子 の7人で先生の話を

聞いた その時点では 重い感じの話しではなく

頑張っていきましょうみたいな感じで 自分も

母が亡くなるなど 一ミリも感じなかった。

ところが 移転して 一週間過ぎた頃 姉と兄が

病院に呼ばれ 余命1ヶ月だと告げられた

自分や他の人に言うとパニックなると思い 姉と兄

は告げなかった

その次の日 土曜日 夕方 いつものように 兄と

二人明日休みなので お見舞いに行く 前に母が

好きなゼリーの飲み物などを買って 車で病院に

向かう前に 病院の方から 連絡があり

心拍数が低いので 病室を 個室にかえますが

大丈夫ですか?と変な電話があり

病院に着き 母の病室に兄と二人行くと

視点が上を向いて キョロキョロ 瞬きもせず

何かを追ってるような いつもと明らかに違う

母を見た びっくりしたが 自分と兄で 何度か

呼びかけたら いつもの 表情に戻って 少し

安心したが そこに担当医が来て おそらく あぶな

い状況なので ご家族に連絡して下さいと 言われ

た 少し混乱したまま 兄と二人 病院の玄関前で

姉 自分の妻に電話して 直ぐ来るように伝え

姉の甥っ子がたまたま休みだが めったに電話に

出る事がないのに その日 姉が電話したら

直ぐ出て 自分の妻 姉を車に乗せ病院に向かった

自分はその場にいなかったので わからないが

後で妻から聞いたのだが

母は 一番 甥っ子の事を気にかけ 大好きで

いつも おーちゃん おーちゃん(お兄ちゃん)と

自慢の孫だったので 病気の子供をこの日まで

甥っ子だけには 伝えず 母も心配かけて 仕事に

影響があると思ってたのか 今の姿を甥っ子だけに

は見せたくなかった感じでした

その事を病院に行く 車の中で 伝えると

甥っ子は 涙が止まらなかったみたいだ

兄と自分が病室に戻り 母の足をマッサージなど

して 何度も話していた 姉の旦那が来て

姉 甥っ子 自分の妻が着き 姪っ子だけは 仕事で

遅くなったが 母が まだ意識がある内に 来れた

呼吸がしづらいせいか 酸素マスクを付け

深夜になり 皆 母のベットの回りで ウトウトして

姉が代わりばんこに 皆仕事後だったので

疲れているだろうと 姉が 告げた

深夜4時頃 姉に代わりに 自分が母の手を

握っていた 痩せ細り ふくよかだった 母の

面影がなく ガリガリに痩せた胸は 洗濯板の

ようで 顔の肉もなく 骨の上に 皮があるだけ

のようだった 日曜日の朝 最後は 甥っ子が

手を握っていて 姉が 息してる? 脈は?

みたいな事を 甥っ子に告げた

甥っ子静かに 泣きながら してない、、

と告げた。 8:15だった

前の日に担当医から 余命1ヶ月と告げら

その1日後に 亡くなってしまった事の辛さ

悔しさ 色々な思いが 一気に押し寄せてきた

最後に姉が 一人 一人 お母さんに ありがとう

って まだ温かいうち に言いなさい と言った

皆泣きながら 一人 一人 もう息をしてなく

動く事はない けれど 母のぬくもりを感じ

一人 一人が ありがとう ありがとう

最後に 病室の入口の前で背を向けて いた兄が

姉に 言われ 最後にまだ温かい母を抱きしめ

ありがとうと一言告げた。

母の最後を家族全員で見送れた事 これは

最後に母が 皆を全員を揃えてくれ 自分で

この日と 想って 亡くなって いったのか

わからないが いい方は 不謹慎だけど

ものすごく悲しかったけど 母の最高フィナーレ

でした










全然汗暇がなく(>_<)更新できなかったかったけど
ちょっとずつ更新していきたいと思いま~す音符