今回のブログは、今までに何度も書いたことを、
性懲りもなく、また書きます。
ああ、私は、子供の頃から、統合失調症の病気の
ため、一生、デクノボウでヨタロウだった。私が、
統合失調症の病気に罹ったのは、私が、思いっきり
過保護、わがままに育てられたからだと思うが、
私は、1986年(昭和61年)に、やっと、永年
の病気が治り、具体的にいうと、今まで、一級だった
病気が、二級、三級と軽くなっていったのである。
それからの、私は、「これからの僕は、何をやっても
上手くいくだろう。僕は、根性を、すっかり入れ直し
たんだ。」と、いろいろなことを、研究熱心旺盛に
やったが、やっぱり、私はダメおやじのまんまだった。
私の病気が治って、ようやく人並みのやつになれた時、
私は、もう壮年になっていたが、やはり、熟年の自己開発
というのは遅すぎるのだろうか・・。やっぱり、人は、
年齢がひとけたのうちから、やっておかないとダメなの
だろうか・・。四十歳の手習いなどというが、それは
ウソなのだろうか。大体、熟年の遅咲きなんてものが、
しょっ中あるのだったら、何のために、義務教育があるのか、
てんで分からなくなっちゃうもんな。やはり、人は、初等教育の頃
から、自己管理をしっかりやる姿勢を持ち、そして、その頃から、
異性を意識し、恋愛しといたほうが、有能な社会人になれる
可能性が強いのかも知れない。私も、統合失調症の病気に
なることもなく、普通の人並みのやつになれたかも知れない。
私は、初等教育の頃は、ただ、毎日ちゃらんぽらん頭持て余して
るだけの小僧だった。女の子も、ただ、何となく生意気なやつと
考えてただけで、女の子の色気なんて考えたこともなかった。