昭和という言葉で想起されるものはなに?

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 もう一回、同じテーマで、コメント書きます。
 昭和というと、私が、快いイメージが湧くのが、
もう、しつこいようだけど、レコードと、それと
SF小説ですね。いずれも、邦人の作者のみのです。
 ところで、私は、初等教育、中等教育、思春期の頃は、
想い出がありません。当時、私は、今でいうダウン症の
病気だったと思う。ただ、私は、自分の情緒不安定(つま
り、ちゃらんぼらん頭、極楽とんぼ頭)、持て余し、その
日その日を、面白おかしく暮らしてただけ。人の和とか、
人の絆なんて、何も考えませんでした。わるいことばかり
して、良いことなんか何もしませんでしたな。斯くして、
私は、どこに行っても袋叩き、四面楚歌の境遇だったので
ありました。家庭でも、父に鼻血が出るほど殴られたことも
あります。私は、ようやく病気がほとんど治って、何もかも
根性出して、真面目にやるようになったのが、1986年
(昭和61年)からであり、同時に音楽愛に目醒め、LPレコ
を頻繁に購入し、毎日、聴き耽っておりました。当時はもう
既にレコからCDへの過渡期になってましたが。当時、私は
「CDってなあに?」でしたけど。私は、病気だった時期から、
LPレコは時々買ってたのですが、その頃は、東宝レコード社
から、出版されてた、「日本のSF映画音楽シリーズ」(つまり、
ゴジラを始め、日本の怪獣特撮映画のBGⅯを編集した音源です
・・)しか、聴きませんでした。歌謡曲は、たまーに、クリスタル
キングとかアリス(谷村新司氏、堀内孝雄氏所属)を散発的に
買っただけ。病気だった私は感受性も、そんなに磨かれてなかっ
たのです。自分の自我の領域を更に広げようなんて、洒落た考え
何もナシ。私は思うのですが、もし、私が弱輩の頃から、自己管理
をそこそこにやり、いっぱしの根性を持っていたやつだったとしたら、
私の、音楽愛は、もっと早いうちから始まり、そのころから、LPレコ
を買いまくっていたと思うのです。現在、所持してるレコの枚数は
もっと豊富になっていたと思うのです。私は、今になって、あれも
手に入れたい、これも手に入れたかったと悔やんでおります。誰の
シンガーのレコを入手したかったかというと、BООWY(あれ、この
スペルでよかったっけ?)、ソロになった氷室京介氏、布袋寅泰氏、
竹内まりや女史、杉 真理(すぎ まさみち)氏とかですね。
「なあんだ、今でも、この人たち、CDが出てるから、それを買えば
いいじゃないか」と、言われそうですが、私は、どーいうわけか、
レコで聴きたい。今、なぜか、レコが再評価されてるとも聞きます。
 
 音楽の話しは、この辺にして、SF小説のほうの話しに移りたい
と思います。私は、若輩の頃は、邦人SF作家が大好きでした。
私は、音楽ヲタクになる前は、SFヲタクだったのです。高校生
の時から、小松左京、星 新一、筒井康隆氏を愛読するように
なり、他には、光瀬 龍、豊田有恒、眉村 卓、かんべむさし、広瀬正、
田中光二、荒巻義雄、純文学者の安部公房、推理作家の佐野 洋もSFを
執筆して読んでおりました。しかし、当時、まだ、頭が未熟で
感受性も育ってなかった私は、食わず嫌いも激しく、この人たちの
作品も、「よく分かんない」と、途中で本を放り投げた時も多かった
のでした。小松左京の「日本沈没」とか、「果てしなき流れの果てに」
とか「復活の日」なんか、当時の私には難しかった。でも、現在だったら、
楽しんで読めると思うけど、今更、むかしの本、読むのもしんどくて
出来ないですね。時代もはるかに変わったしね。
 
 とにかく、私にとって、昭和というと、明るい、ポジティブな
イメージというと、レコードとSF小説であります。実をいうと、
このオレも、クリエイターの端くれを目指していたが、オレは
作る側には、まったく向いてないんだね。受け取る側のほうが
オレには、無難なんだね。・・・・・