今年一番の思い出は?
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今年一番の思い出は、横浜市に50年近く常住していて、
時々、私の地元、札幌に戻ってきてた、叔母が、もう傘寿の
年代であり、要介護3になり、自立生活困難になりました。
叔母は、30歳前後から、千葉県の出版社に70歳で退職
するまで永年勤務し、そのあとは、年金で暮らしてました。
一人暮らしではなく、お花、お茶、俳句の女性のお師匠さんと、
ずーっと同居してたのです。いわば、叔母は彼女の妹分・・敬妹
です。叔母にふさわしい、老人ホーム施設を見つけなければ
なりません。叔母とお師匠さんは、横浜のマンションを退去し、
その手続きなどをするため、今年は数か月に一週間のサイクルで
姉が四回も上京しました。「あなたは、どうしてたのか?」ですって?
察して下さい。私は、小さい頃から、障害者で、驚くなかれ飛行機に
乗ったことありません・・。私は、昔から、長距離移動・常住には
向いてないのです・・。だから、私の出来ることは、姉を一生懸命
サポートすることなのです。それに、姉が上京してしまうと、札幌
での、私どもの営業は誰がするのでしょう?私は、留守番でも
あったのです。苦労の甲斐あって、叔母は漸く神奈川県の某
老人ホーム施設に入所が決まりました。ホテルみたいに豪華な処
だそうです。宿泊料は一月いくらか、プライベートなことは内緒ですが、
国が負担してくれるそうです。そして、残った、叔母たちが住んでいた
横浜のマンションの部屋は、汚れがひどく、姉は大掃除してるそう
です。叔母は施設に入所が決まる前、札幌に戻って、私と姉と三人で
暮らす案もありました。私も、「僕と、姉と叔母さんと、ちゃんと歩み寄って
生活出来るだろうか。」と、半分真剣なって考えました。でも、途中から、
横浜で叔母の介護人の方から、待ったがかかりました。「叔母が札幌の
あなた方の家に来ると、あなた方の家は潰れてしまう」というのです。
それで、この案はないことになりました。でも、やっと叔母の施設が
見つかってやれやれです。え、彼女のお師匠さんはどうしたって?
お師匠さんは、私どもと血の繋がりはありませんが、叔母にとっては、
深い絆のひとです。お師匠さんも、叔母と同じ施設に入れば良いのですが、
彼女は叔母よりも年上なのに、元気で、要介護2であり、例の施設は
要介護3以上の人でないと入所出来ず、彼女に見合った老人ホームを
探してるそうです。今、仮施設にいます。
私も、姉も将来は叔母さんみたいになってしまうのです。そうしたら
私と姉の面倒は誰が見てくれるのでしょう。「誰もいないよ!それこそ、
自分で何とかするしかないよ!」と、姉は言います。
ま、今年は、そんな一年でした。
あとは、リラックマのグッズを集め、だいぶ貯まったってことですね。
勿論、ちゃんと全部使ってますよ!